中原中也全集『日記・書簡』を読んで
May
11
日記で書かれているものは芸術、詩についてや詩人の誰々がどうだ、という内容も多い。
中也が詩人や作品について論じる時、パターン化された書き方がある。
〇〇氏は悲しいくらいに狭い作品を書く(この文章は例え)。
→出だしは貶しているのか、というところから始まる。ここで読者をひきつける。
そして、作者と作品について述べる。
その狭い世界観が素晴らしい。
→最初に貶していると思った言葉は褒め言葉だった。という感じで終わる。
お前のその個性がなかなかいい、と。まあ、落としておいて持ち上げるといったスタンダードではあるが、その高低差のジェットコースター感が爽快だ。
手紙は母親に送った手紙がけっこう多く掲載されている。自分の現状が少し思わしくはないが、大丈夫だ、心配ないだろう、そんな感じで書かれている。そして、〇銭送ってくれ、〇円送ってくれとお願いが入る。母親がいなければ最低限の生活も出来ず、詩作への姿勢も変わっていただろう。今ある中也の作品が存在するのも母親あってのことだろう。
孤独が芸術を生む、そのようなことを言っている中也だが、個としての孤独は強くあっても日記や書簡に目を通すと「魅力あるコミュケーションの達人」、そんな人物像が浮かんでくる。
有意義に読むことができる日記と書簡であった。