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詩は元気です ☆ 齋藤純二

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モチベーションが彷徨ったら

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なんだか今日はiPadが重たくて、肘あたりがピンピンと痛みが走る。その慣れた痛みは、腕を伸ばし右左に腕を捻るとポキポキと鳴らし落ち着く。問題は身体のことではなく精神の方に今ある。何もかもつまらなくなり何のために詩を書くの、的な負の誘いが手招き。それをモチベーションが彷徨う、と私は勝手に言っている。詩を書けば自分が救われるのはわかっているが、これを無いものにしたらどうなるのか、そんな思考へと繋がり。駄目になってしまう自分に酔い痴れたくなるのか、この感覚は幼い時からあり、愚かだと感じてしまっても入り込んでしまうのである。例えば砂を使い棒倒しで遊んでいる時、棒を倒してしまいたい衝動に駆られ、それでいてああどうしよう本当に倒れてしまう、と避けようとして砂を欠くようにはするが想像通りの悲しい結果。棒を倒してしまうという強い連想が、悲劇を好む場面を回避できない。倒す行為で駄目な自分を愛してしまう、書けない自分に通じる感じであろうか。そして、結果を見ればやはりショックが大きくて、自分の撒いた画鋲に自分がわざと刺さってしまうのである。重なり襲うショック。
しかし、いつの日だったろうか、そこから抜け出す方法を見つけたのだ。それは、意外と単純なことで解決する。無理矢理に今の気分を言葉にしようと始めると、ハマり屋の私は集中して作品を綴る習性モードに入り、止められない止まらない、って感じで楽しみだす。詩の場合、その趣が負へ進むものだろうと正に進むものだろうと自由なので、救われてしまうのである。集中が邪念を消し去るといったスタンダードな解決策を施すのであった。やる気スイッチが入っていないと言葉を連ねることは無理である。スイッチの入れ方は無理矢理に手を伸ばし書き始めることであった。そして今、それを書き終えようとしている。
#詩

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