10/07/2019 「若い頃っていうのは、ある抑圧をかけないといけない。ちゃんと規律的なことをやってからの自由っていうのが一番美しい。規律みたいなものをしっかり持っていてもらいたい。」 ー規律的なことをやってからの自由っていうのが一番美しい。 あなたの言葉こそ、美しい。です。 ・・・・・参りました!!
10/07/2019 「蛇蝎のごとく」向田邦子原作 を読み終える。 蛇蝎(だかつ)と読む。ということを表題の小さなふり仮名を見て知った。良く見えないもんだからわざわざ老眼鏡をかけて見たのだけれど。 調べると、この文字は「じゃかつ」とも読むらしい。どちらも正しい読み方だと。 蛇蝎とは読んで字の如く蛇と蠍のことで、人間が恐れを抱き忌み嫌うもののたとえ。 「蛇蝎のごとく」は、激しく嫌悪する様子をいう言葉、とある。 と、ここまで来てやっと「蛇蝎のごとく」という題名に納得。 なるほどそういうことか、と、腑に落ちた。 しかしものすごくインパクトのある題名だ。 でも、それが人間なのだなぁ、、、と考えさせられた。 それにしても、向田邦子氏が飛行機事故で亡くなったということをすっかり忘れていた。 あの頃は大ニュースだった。当時10代半ばのわたしでさえ彼女の名前を知っていたくらいで、大きく報じられたことをおぼろげに覚えている。 でも、今でもよく「向田邦子ドラマ」とかよく見聞きするので、まだ精力的に執筆されているように思っていた。というか錯覚か。 この文庫本はPC部屋の本棚にあったものなのだが、果たしてこれを誰から頂いたのか?どうしても思い出せない。 長らく読書をしておらず、この国に住み始めた頃(もうずいぶん前のことだ)は日本語の本(活字)に飢えていたものだが、最近老眼が進むにつれて本を読むということが極端に減った。 が、夏に友人から薦められた一冊(「マチネの終わりに」)を読んでから、自分の中の読書熱にちょっとだけ火が付いた感。それで久しぶりに本棚を物色していて見つけたのがこの本だった。ちなみに、今は「MISSING」という本多孝好氏の短編集を読んでいる。 向田邦子氏も本多孝好氏も(失礼ながら)、自分ではすすんで手に取るような作家ではなく(本多孝好氏に至ってはその名前すら知らなかった)、故にこの本もきっと同人物から譲ってもらったのだと思うのだが、一体誰だったのか、、、、こんなことも忘れてしまっているとはなんて不義理な人間なんだ、自分。 しかし気になる。。。
10/06/19 先週の金曜日から4連休中。 Fall Breakというわけではなく、ただのNo School(どちらかというとThanksgiving前後の4連休のほうがFall Breakとされる。なぜならDistrict OfficeもCloseとなるので)。 まぁネーミングなどどうでも良く、毎年10月始めにあるこの4連休はとてもありがたい。ちょうどぐっと気温が下がってきたこともあり、朝に温かいベッドでぬくぬくとしている時間が心地良い。 我が家はつい先日(木曜日だったかな?)思い立ってairをoffにしたのだが、義母のところはheaterをonにしたらしい(!)その日の朝の気温が40Fだったとか。我が家もそろそろかもね。 補習校の授業で『鳥獣戯画』を扱っている。 予定としては2回の授業で終わらせる単元なのだが、もったいなくて仕方がない。それでもしょうがないのでやるしかなく、ない時間をなるべく有効に使うだけだ。 鳥獣戯画のことを調べていたら、「鳥獣戯画制作キット」というものに目が止まった。鳥獣戯画の絵に自分でオリジナルな吹き出し(というかコメント)をつけることが出来るというもの。 ちょうど宿題として出したものと同じ内容だったこともあり、そのキットを提供しているwebを訪問してみた。 手順を見るとどうやらシステムをDLしなくてはならないらしい。しばらく迷ったが、試しにやってみようという気になり、DLアイコンをクリック。 音声ガイドではready to go!みたいなことが流れたが何も起こらない。 再度クリック。 同じように音声ガイド。 あれれ? 手順ではGoogleにextensionをつけなければならないとかなんとかだったのだ。 で、そのextensionは立ち上がっているっぽい。 とりあえずそこをクリック。 すると、何やらsearch engineらしい。 あ、、、、ヤバ、、、、、 慌ててextensionをremoveした。 ふたつも入れてた。 駄目じゃん。 この前もそれで大変なことになったんじゃん。 確かあの時も補習校の授業関連で調べていた結果だったし!! 今回、すぐに気付いたのでダメージはなし。多分。 あのextensionは実は不要だったのかもしれない。巧妙にそこをクリックさせるために設置されたものなのかも。 真偽の程は分からないが、わざわざまたそのwebを訪問して調べる気はないので、鳥獣戯画の絵で遊ぶキットというモノはとっとと諦めた。 DLアイコンをクリックする時にはもっともっと、もっと!用心しなくては、です。 危なかったー。
10/05/2019 「たれ」とは、断定の助動詞「たり」の已然形・命令形 *「たり」・・・だ。・・・である。 人間たれ。 のんたれ。 「自分の感じたことを零れないように、逃さないように」 女優・のんが映画を作ったらしい。 同時にその映画制作を追ったドキュメントが公開されたというので早速視聴。 なかなか良い。 おすすめです。 『のんたれ( I AM NON 』 視聴プレイリスト https://www.youtube.com/playlist?list=PLQntWbrycbJfJMzCikuL9KkqnQixdzuc4
10/04/2019 これまでにも何度も食べたことのあるものについて、「こんな魚食べるの初めて。これはなんて魚なの」と聞いてくる超高齢の母親に対して、「これは○○だよ」と普通に答えれば良いところを、なんだか悲しくなって、(何度も食べてもらったじゃないか、これは○○だよ)という心の声を表に、しかも苛立ちまぎれに声にしてしまう、という某ブログの作者の記述に、生前の母のことが思い出された。 母の認知障害は徐々に進んでいたのだが、帰郷した折からどんどん進行していったように思う。 あの頃、まだ島に帰る前の母は、何度も同じことを話したり聞いたり時に怒ったりもあったが、外界との接触はそれなりに出来ていた。外食など、出かけることを頑なに拒むようにはなったが、デイには毎日通えていたし、お気に入りの介護士さんもいたりして、笑顔も多かった。 わたしは毎夏、母の介護(の真似事)のために2か月ほど帰国した。母に会いたいのはもちろんだったが、わたしが一時的に母と一緒にいることで、姉たち(あの時は姉3がメインだった)のレスパイトになれば、という思いだった。 ある時、母が祖父のことを訊いてきた。 祖父はもちろんもう亡くなっていて、その時の母の口ぶりからすると、母はタイムスリップしたかのようだった。確か、病床の祖父のオムツをちゃんと確認してくれ、といったことだったと思う。 わたしは母に「わかった、確認しておくからね」というようなことを答えた。 すると姉3がすかさず、「なんで母ちゃん、じゅうはもうおらんがね」と言った。「じゅうはモリシタがね」 母は一瞬きょとんとした顔をしたがあまり意に介さなかったように思う。 後になって姉3はわたしに、母に嘘をつくべきじゃないような気がする、母にちゃんと話せばわかるのではないか、忘れているだけだから、もう死んでいないんだよということを思い出させればいいんじゃないか、というようなことを言った。「なんでもかんでも、そうだね、と言うのは、ちょっと違うような気がする」 あの時、姉3にそう言われて、あぁ確かにそうなのかもしれない・・・と思った。元看護師であるわたしは、母のそういった言動に、あまり深く考えることもなく、母に合わせて答えていた。マニュアル的だったと言っても良い。 思い返せばあの頃、母と一時的に同居していた姉1もそうだった。姉1もまた看護師だからか、母と接する彼女は、穏やかで優しく、母の言うことに異を唱えることはあまりなかったように思う。もちろんそれは、全て母の思い通りにするということではなかったが。 姉3の言葉から、自分は母を「認知症のある母」としてしか接していなかったのかもしれない、と反省した。母は母なのだから、母として接するべきだ、と思い直せたきっかけでもあった。姉3の言動すべてが正しいとは思わない。でも、間違いだとも思わなかった。 そんな姉も、母が帰郷しいよいよ認知障害が進んでくると、母との対応が変わってきた。母は母なのだが、それだけじゃなく、認知障害を持った母として、母の心の安寧を最善として対応する。 そんな姉3の変化が感慨深く、自分自身を省みることにも繋がった。 母がアルツハイマー型認知症と診断され感情の起伏が激しくなり、デイにも行きたがらず、かと言って家にいても「家に帰りたい」と訴えるようになった頃、わたしたち姉妹の母に対する接しかたは、いわば足並みの揃ったものだったと思う。 が、長兄は違った。 兄は娘らに母の介護を任せている罪悪感もあったのか(いやもちろん素直に母に会いたかったのもあったのだと思うが)、時々母の様子を見に他県から帰省し何日か滞在した。そして、母の言動に対しいちいち「また同じこと言ってる」とか「わからんわけないだろう」とか、そんなことをのたまっていた。その度わたしは(母のいないところで)、「兄貴、母ちゃんは認知症なんだからそういうことを言わんで」と言ったものだった。 あの時、兄はきっと悲しかったのだろうなと思う。母が、どんどん母でなくなっていくのが辛かったのだろう。 ある晩、友人らと飲みに出かけた兄は酔っ払って帰って来て、眠っている母のベッドの傍に跪き、「おっかんよー、おっかん、○○どー、わかるなー、わかるだろー、おっかんー」と言って、泣いた。「兄貴、母ちゃんせっかく寝たから起こさんで」と言いかけたが、そんな兄の姿に何も言えなくなった。 「ユックらって!ぬっちゅんニンギンかい!なんや長兄ど!」 そう叫んだのは母だった。 驚いた。心底、驚いた。 酔っ払って帰って来てムガル兄を諌めたのは、紛れもない母だったのだ。 翌日、そのことは兄も母も、どちらももう忘れてしまっていた。 でも、このことでわかったことがある。 認知症といってもその魂は確かにそこにあり、認知障害に常に侵されいるわけではないのだ。 あの時母は、母の魂の、心の声を出した。 (でもユックライは、、、、ユックライ兄の魂はそこから抜け出ている。 母と泣きながらでも話したいのであれば、酒の入っていないときにするべきだ。 まぁ気持ちはわからないでもないけれどね。)
10/03/2019 昨日、姉3からLINEで写真が届いた。コメントはなく、一枚のモノクロの古い写真。 そこには女の子ばかり幼な子から12-14歳くらいだろうか?が6人写っていた。 後方のコンクリート様の外壁や窓には見覚えがある。多分いやきっとあれはわたしたちの古い教会だ。 そして、よくよく見ると、右下に座っている女の子は姉1だった。また、その隣にちょこんと座っている赤子(と言っても多分2歳くらいかな?)、あれは姉2??? 仕事へ出てから見たので、返信が丸1日ほど遅れてしまったのだが、それを訊いてみた。 「そう」 姉3から一言だけの返事が来る。 一体どこでこんな古い写真を手に入れたのか?そういう説明は一切なかった。 我が家は十数年前に火事で燃えてしまったので、殆どの写真もその時になくなってしまった。 焼け跡から掻き集められた写真から修復出来るものが数枚あったが、それらは兄弟姉妹で何度も一緒に見たので、その中の写真ではないことは確かだ。そんな折、 「一番背の高い子はTちゃん」 と姉3から来る。 えええええええ???? Tちゃんというのは母の姪、つまりわたしたちの従姉妹で、歳はーーーー姉1よりいくつくらい上だったのか???歳のことなど考えたこともなかったのだが、この写真を見ると5-6歳くらい上に見える。驚いた。 Tちゃんと姉1、2とが、幼い頃にああやって一緒に過ごしていたこと、もしかしたらその写真撮影の時だけだったのかもしれないが、そこに一緒に存在していたのを目の当たりにして、なんだかいきなり時代(?)が接合したような気分。 Tちゃんの家はいわゆる「本家」というもので、わたしたちとは別格というか、全く接点がないように感じていたので尚のことだと思う。 それにしても姉1は母とよく似ている。とてもきょらむんだ。 姉2もそう。母がよく言っていたきょらむん赤子だったって、本当だわ。
10/01/2019 夜中に目覚め、何気なくiPadを開いたら「消費税が10%に」というYahoo!の速報が出ていた。 それで10月1日だったことを思い出す。 そう言えばこの前姉3と話したときに、消費税が上がる前に買った方が良いかな〜なんてことを言っていたっけ。まぁたいした額の買いものではないので、微々たる差だと思うが。 ちなみにわたしの住んでいるところのSales Taxは6%で義両親の住む街は7%。 アメリカは州内でも市や郡でも税率が変わってくるらしい。後、厳密に言うと、州で決められている州税にlocal tax(地方税)を合算したものがSales Taxとなるのだそうだが、わたしの住んでいるところは地方税が0%らしく、義理ママたちのところは地方税が1%ということだそうだ。 と、ここまで書いていたら、日本の10%ってのがえらく高く感じてきたわ。
9/30/2019 先週木曜日から我が家に滞在していた義両親及び義理叔父は昨日の朝に帰って行った。義理叔父については木曜の晩のみで金・土は予約していたホテルに移動するものだとばかり思っていたのだが、彼は予約をキャンセルしていたらしく、そのまま義両親とともに3泊4日していった。 この4日間を一言で表すと、 「カオス」 義理ママは義理叔父(彼女の弟)のためにあれこれ考え、義理叔父は義父(彼の義兄)も一緒に行動させようと躍起になり、義父はどこへも行きたがらず不機嫌オーラを辺りに撒き散らし、、、、、 夫は仕事のスケジュールがあいにく(幸い?)合わず、毎晩留守で、わたしは一人で彼らのホストとしてなんとかその場を楽しいものにしようと奮闘。 家族というものは不思議なもの。 家族だから許せるのだが、家族だからこその怒りもあり。 それでもなんとかこの4日間を全うし、昨日の晩は脱力感半端なし。 「家族は辛いよ」という映画があるのだが、本当にそうだわw あと、 ホストは辛いよ って感じかなー。
9/28/2019 補習校で、国語の単元授業とは別に独自で取り入れているものがあり、それは受け持つ学年によって変えてきたのだが、今年度は小学6年生ということで、毎週一つずつ四字熟語を紹介している。ここでの生活はもちろん英語が中心となっており、両親或いはどちらかの親がいくら日本語で会話を心がけたとしても、日本在住の子供たちにはなかなか追いつかない。まして四字熟語など、親が意識して使わないと耳にもしないものだと思う。 そういうわけで、数ある四字熟語の中から、知っておいたほうが良いものをこちらでピックアップして紹介しているのだが、今年度の生徒は(ほぼ)永住組ということもあり、割と有名なものでも耳慣れない様子。 先日、某記事を読んでいたら、「八面六臂」という四字熟語が出ていて、正直な話、わたしはこの読み方さえ知らなかった(恥)。 はちめんろっぴ、と読むらしい。 意味は、一人で何人分かの活躍をすること、他分野に渡って存在感を発揮すること、とある。 面は「顔」のこと、臂は「腕」を指すらしい。 つまり、8つの顔、6つの腕を持つ、ということで、すなわち、一人で数人分の働きをする、という意味になった。 また、「三面六臂」という言葉もあるらしい(驚)! こちらは八面六臂とほぼ同じ意味だが、八面とは「広い範囲」を意味するので、三面六臂よりも八面六臂の方が、多岐に渡って活躍するイメージとなるのだそう。 意味を知ってから、八面六臂の活躍を期待されている彼女のことが、少々気の毒に思えてきました。生れながらの役割とは言え、周囲から期待されることの重責を考えると、ちょっと同情・・・・こんなことを大っぴらに言うと非難されそうですが。 特殊な世界だとつくづく思う。
9/26/2019 昨日の夕方、出かけた時の空。 うろこ雲がずーっと続いていた。 木曜日。 今日から義両親がやって来る。今回は彼らの犬ヘンリーも連れて来る。 そして義理ママの弟もやって来る。彼も彼の犬リンゴを連れて来る。 3泊の予定。 日曜日の午前中までは賑やか(?)になるだろう。