大内先生、西山先生。
38年間、ありがとうございます。
新年度から仙台教会へ転任となり、明日の日曜礼拝が最後のご奉仕となりました。
教会員にも町の皆様にも愛され、支えられ続けた日々。
この日は御近所のご夫妻に招かれての慰労会に私も陪餐。
火災後に別棟に新築された牧師館とゲストルームに今回は初宿泊です。
これから大江町の名湯、テルメ温泉に♨️行ってきます。
川崎は私が渡米前の丸2年間暮らしたところで故郷と言える場所。
当時勤務先の川崎キリスト教会と宿泊していたミッションホームの間2キロほどの距離を朝-昼-夕と3回ほど往復していました。
朝の6:30からの早天祈祷会のためには自転車で
それ以外は多くの場合走って。
川崎駅東口にある銀柳街を良く駆け抜けたなぁ。
その経路は旧東海道であったのが記念碑から分かります。
毛利も島津も井伊も、「シタニ〜、シタニ〜」と声掛けながら大名行列を組んで進んでいった街道であった。
その街道筋に立つホテルに滞在出来てかつ、
徒歩20分ほどで会場の川崎教会に辿り着けたのは絶好のロケーションであった。
総会と年会・聖会の4日間、スケジュール通りに会議が進行したのは裏方役のスタッフの活躍に負うところが大きい。
特に朝-昼-晩と食事を世話いただいた姉妹たちには頭が下がります。
美味しい手料理の日本料理は外国住まいの私には貴重でありがたいもの。
帰国した実感をもたらしてくれるもの。
午前と午後のパウロに関するセミナーは充実し、
幾つものウロコが目から剥がされる時となりました。
夜の聖会第二夜ではロマ書からパウロが常に書簡に書き表しているという信仰・希望・愛について掘り下げられたメッセージ。
特に神の義について
「神の義理」
「演歌の世界」であると表現したところはユニークで斬新。
岩上神学の真骨頂であろうか。
日本の文化脈宣教のヒントさえ感じました。
それにしても講師の岩上先生には朝の9時から夜の10時まで川崎教会に拘束し、
めちゃくちゃに働いてくださいました。
感謝です
年会聖会・セミナーの講師は、
インマヌエル武蔵村山教会牧師・岩上敬人(たかひと)先生。
聖会第一夜のメッセージは、
ガラテヤ書2章19節から20節から
「キリストとともに十字架に」
私は数ヶ月ほど前、同聖書箇所からインターネットによるEラーニングを通じて先生から教えを頂戴しています。
その時の重厚な講義は、頭に刺激を受けました。
昨日の聖会では平易な言葉ながら心の深淵を探られるメッセージとなりました。
本日はこれから午前・午後と教職者を対象とした2回のセミナー、
そして夜は再び一般対象の聖会メッセージと一日フル稼働となります。
岩上先生、今日も一日よろしくお願いします。
チャーチ・オブ・ゴッドの代議員懇親会と総会。
3年ごとの総会が開かれました。
そこでは教団を代表する責任役員の改選と
代表責任役員(COG理事長)の選出選挙が行われました。
向こう3年間の理事長に渡部貞雄先生が選出されました。
川崎キリスト教会の日曜礼拝へ。
この教会のユースの働きは、やばい❗️
本当にやばいほどの盛り上がり、そのレベル。
先ず教会の青年たちは、日曜学校教師やカウンセラーとして子供教育に関わり
熱心に貢献をしている。
その後の大人の礼拝では賛美チームを形成して会衆賛美を導く。
ランチを挟んでその後のユース礼拝ではさらに本領発揮。
軽快なバックミュージックに色とりどりの照明や効果音に合わせたゲーム。
このゲームの本気度がスゴイ。
歓声と悲鳴の混ざり合う肉弾戦。
力尽きたところで聖書タイムとなる。
一人ひとりの聖書に向き合ったところから出てくる日常生活に神様がどの様に働いてくっだったか、と言うの証しの数々。
そして高校生、大学生らが直面している現実にピッタリと寄り添う聖書メッセージ。
一般的に日本のキリスト教会は社会全体を反映して高齢化が進んでいます。
そんな中で突破口を開くケーススタディとなり得る事でしょう。
私のホームタウン横浜に到着。
横浜駅コンコースで夕食のために必ず買う弁当は
横浜名物の崎陽軒。
今回はこの春限定のちらし寿司弁当。
「今晩の10時までにお召し上がり下さい。
、、、、生ものですので〜」
こんな明け透けで親切なアドバイスは日本ならではではないか。
デルタ航空を利用してシアトルから成田へ帰国。
シアトルからの羽田空港便がなくなってしまい、
しかもANAを利用出来ないのが残念。
デルタ航空では10時間近くの長時間、
狭いシートに身を縮こませるのは中々しんどい。
昼食と夕食が提供されますが、
ANA程にはクオリティーも良くなく。。。
最も嬉しかったのが日本に到着間際に配られたアイスクリーム。
喉も乾き、食品には食欲もそそがれない中で頼もしい味方となってくれたもの。
3列の真ん中という最悪の座席に10時間拘束されるという拷問。
この拷問からの釈放とホームに帰国できた開放感、
成田着陸の瞬間に湧き上がってきた。
先日の16歳の誕生日に運転免許証を取得した長女。
運転したくてじっとしていられないようで
とにかく運転させろと、やかましい。
この日も長男の塾あるところまで
せがまれて彼女に運転させた。
まもなく私は日本行きとなるがその間、
彼女がその車を毎朝の通学に使うこととなるらしい。
恐ろしい〜
今日だって左折する際に
直進してくる対向車と鉢合わせになりそうだったのだから。
先週末までは雨模様のシアトルでしたが
今日になって陽光が差して世の中が明るくなって来ました。
小鳥のさえずりも書斎の窓越しに聞こえてきます。
いよいよ春を迎えようとしています。
長い雨季と寒い冬を乗り越えた忍耐の向こうにやってくる春。
それはまるで私たちの人生の縮図のようです。
乗り越えることのできない試練はありません。
その向こうに春があることを期待し続けようではありませんか。
「あなた方のあった試練はみな、
人の知らないようなものではありません。
神は試練とともに脱出の道も備えていてくださっています」
(聖書)
我が家の子供たちには4連休が続いています。
先週の金曜日がセイントパトリックステイのために休校。
昨日の月曜日は教師たちの作業日のとして生徒らは休校。
この連休を利用し家内と長女がサンフランシスコへ旅行しています。
つまり私と長男との2人暮らしがしばらく続いています。
この無聊を慰めるために、友人が夕食に来てくれました。
近隣の町に住む友人ですがその子供たちの学校は連休とはならず
通常の二日間しか週末の休日がなかったそうです。
ベルビューの子供たちは損してますね。
長男曰く、ラッキーだと言うのですが。。。
オークランド空港でチェックインを終えて夕食のためのレストランを探しているときに見つけました。
メニューを紹介してくれているばかりかどんな質問でも受け付けますと言ってくれたかわいい紳士。
手振り身振りのジェスチャーや表情の豊かさはたいていのウェイトレスとあまり変わらないレベル。
私の英語でも通じるのか、テストしようと思ったのだけれど。。。
通じない公算の方が大きいのでやめておくことにしました。
通じないで相手を困らせたら悪いなぁなんて言う遠慮と恥じらいを感じさせるほどによくできたロボット君でした。
サンフランシスコのミッション通には多くの移民たちが暮らしている界隈です。
特にメキシコからの移民たちが多く、彼らはもはやマイノリティーではありません。
私の友人が長くその地区で高校教師をしているのですが生徒たちの大半がスペイン語圏からの移民たちの子供たち。
英語とスペイン語と分けて話しかけています。
彼の通うキリスト教会はプロテスタントの教会ですが大多数がメキシコ移民によって構成されています。
Guerrero 通りにある大聖堂でメキシコ系の方の結婚式が行われていました。
どうしてわかったかと言うと、テンポの良い明るい音楽が聖堂から流れ出ていて
すぐにメキシコとわかるのです。
親しくしている数十年来の友人がその結婚式に参列していたことを彼のFacebookの投稿から同日に知りました。
世界がほんとに小さくなりつつありますね。
3月末、日本では卒業式のシーズンです。
友人たちの子弟が小学校中学校高校の卒業式を迎え
その様子をFacebookなどで見聞きする機会が多く与えられています。
親御さんばかりでなく私までも感動をいただいて涙に誘われることも。
日本の小中学校の卒業式って、
いやー、どうしてあんなに感動するんでしょうか?
こちらの米国で我が子の小学校中学校の卒業式をすでに体験したのですが、
それはもう、あっけらかんとしたものでした。
この日米の卒業式における感動の相違はどこから来るものなんでしょう?
今のところ謎です。
子育てについてこんな言葉に遭遇しました。
「覚えておこう
子供は成長の設計図を持っている
子供はその子の速さで伸びる
子供はその子の時間で育つ
子供はその子の図案で実る
子供はその子の歩幅で学ぶ
子供はその子の資質で生きる
子供はその子の頭で考える
子供はその子自身の人生の約束を果たす
子供は皆違うんだ 」
=ドロシー・ロー・ノルト=
毎日新聞に載っていた記事に目がとまりました。
横浜市立桜丘高校の国語教師が卒業式を迎えた教え子たちに送った詩が紹介されています。
その教師の教え子たちにかける想いの強さ、真摯さに胸がキュンとなりました。
その桜丘高校とは私の出身校でもあります。
記事にある千葉聡先生に負けず劣らずのような素敵な教師陣がその時にもいらっしゃいました。
私の2年3年時の担任も名物国語教師の稲木先生だったんです。
以下が毎日新聞の記事です。
「歌人の千葉聡さん(48)は、横浜市立桜丘高で生徒から「ちばさと」の愛称で親しまれる、国語の先生でもある。<強情な君の瞳を「夕日」と呼ぶ 「学校やめる」と言った仕返しに><書くことは傷つけること 叫んでもみたかっただろう解答用紙>。生徒との関わりや教師としての悩みを短歌にしてきた。
国語科準備室の入り口近くに小さな黒板を置き、毎日、短歌や詩の一節などを書きつづる。10代の心が迷った時、羅針盤や伴走者になってくれる一節はないか。祈る思いで言葉を選ぶ。
1年に1度だけ、自作の短歌を書く日がある。それは卒業式。今年の式では、担任した3年1組の生徒たちが退場間際、一斉に叫んだ。「ちばさと、サンキュー!」。千葉さん、思わずポロポロと泣いた。個性派ぞろいで苦労させられた日もあったけど、自由奔放な彼ららしい振る舞いじゃあないかと。「自分もお返しに何か叫べば良かったな。『ありがとう』とか『1組最高!』とか」。式の後、叫ぶ代わりに、万感の思いを込めて、数年前に詠んだ短歌を選び、黒板に書きつけた。
<フォルテとは遠く離れてゆく友に「またね」と叫ぶくらいの強さ>
「フォルテ」は「強く」という意味の演奏記号。イタリア語では音楽に限らず「力強く」「深く」などの意味合いでも使われる。声だけでなく思いの強さのにじむ別れの歌だ。」
Iran blocks Waze app for being Israeli-made
The Iranian Committee Charged with Determining Offensive Content temporarily blocks the GPS navigation application after concerns were raised due to its dev
毎日のように使っているWAZEと言うアプリがある。
GPS機能のアプリでその種のものでは最も便利。
UVERの運転手から教えてもらって利用するようになったが
Googleマップのそれよりも遥かに優れている。
目的地までの経路を複数紹介してくれた上に
その時点での道路状況を踏まえた所要時間を算出してくれる。
利用者同士が道の状況を報告し合う仕組みが整っていて
例えばどこに障害物があるとか道路に穴が開いてるとか
隠れたポリスがいるとかの情報もシェアできるようになっている。
この優れもののアプリをイランは自国内で使いないようにブロックしたと言う。
その理由がイスラエル国内で作られたアプリだからそうな。
自分で自分の首を絞めることも無いのに。。
雨の街シアトルを脱出して陽光輝くサンフランシスコ•ベイエリアへ。
ここはもうすっかり初夏を思わせるほどの陽気。
25度C程ははあったのではないか。
こうなると街中ではアイスクリームとかフローズンヨーグルト、
冷たい飲み物の店が流行る。
店頭に行くたびに長い行列を見ては引き返し
3度目になってようやくありつけたお店。
しばらくすると中学生位の子供たちが自転車に乗って駆けつけてきた。
子供同士でしかつながらないような言葉を話しながら
それぞれ注文したものをカウンター越しに受け取るとまた自転車で去っていった。
私がその年代の頃、50円のペプシコーラを飲みに駄菓子屋まで友人達と通ったことがある。
のどかで平和な時代、
いつまでも続いて欲しい。
ベルビューに戻ると息子のサッカーの試合があった。
前半は1対1で折り返し
後半になると彼のチームは俄然エンジンを全開し始めた。
終了15分間に3点ををたたき出して快勝。
息子もロングシュートを放ち、一点をゲットした。
トランプさんへの政権移行があってドル高の勢いは止まらずにさらに進んでいるようです。
もちろん日本円に対してだけでなくカナダドルに対しても上昇中。
現在の両替レートで言うと
カナダドル1ドルに対して
アメリカドルは73セント
日本円は83円となっています。
数年前はカナダドルがアメリカドルをしのいで1ドル以上の値をつけた事もありました。
米国からの旅行者にとってはドル高が好ましいものとなります。
バンクーバーで13ドルでラーメンをランチメニューにしている店に入りましたが
米国ドルでは10ドル以下となり、ありえない破格の値段です。
あらゆる物価が米国と比べて安いように思えるのですが
ガソリン価格だけはいつも別格です。
米国で満タンにすると45ドル
カナダでは80ドルでした。
為替レートを計算に入れても断然米国のガソリンが安いことになります。
このカラクリはどこから来ているのでしょうか。
米国が今や世界最大の産油国となり
最大の消費地でありながらも最大の資源供給国となっていることも報道から聞いています。
米国に及ばずともカナダとても立派な産油国であり輸出をしています。
世界的な金融資本と政権の強弱が絡み合った故の手品の産物なのでしょうが、
いつかそんなからくりをひもといてみたいです。
カナダバンクーバーでIさんと夕食を共にしました。
居酒屋スタイルのレストラン。
厨房に立つ人もウェイトレスなどのスタッフも日本人であるばかりか
料理の質も味付けも全く日本風。
ここおいしいねーいけるねー、
と言いながら小鉢の料理をじゃんじゃんとオーダー。
ここまでおいしいと感じる居酒屋店は
残念ながらシアトル近辺にはありません。
あらためて振り返ってみると日本料理店ばかりでなく他のエスニック料理、
ベトナムでもタイでも持論中華でも、アジア料理で本場の味を出してくれるところは数多い。
バンクーバーに優るグルメタウンは
米国ではニューヨークだけと言うところでしょうか。
ベリーハムにあるクレープショップ。
ここは長女や妻達の大のお気に入りにお店。
だけど今回は私1人で来ているため、おやつのクレープもやはり独り占め。
それでも情け深い私は彼らのことが気に掛かり、これらの写真をテキストメッセージで送ってあげました。
よだれをたらしながら良いなぁ、と感じ入った事でしょう)^o^(
Bellevue にある教会に長男と行ってきました 。
聖歌隊にあるハンドベルの演奏。
かつて三重県にいたときの教会でも使っていたハンドベルと同じタイプ。
その音色はいつ聞いても美しい。
フロントガラスとワイパーの間に封筒が挟まっていました。
やられた、駐車違反切符だ!と思ったのですがそうではなく
それは車両登録料の違反切符でした。
米国では毎年、
車に登録料がかかります。
支払済を証明する小さなステッカーをナンバープレートに貼るのですが、
私の場合は8月までそれの有効期限がありました。
August とあるそのステッカーを見て何ら疑わなかったのですが
なんとそれは昨年の8月までの有効期限だったのです。
今年の8月まで大丈夫だと思い込んでこの半年間運転を続けていました。
Portlandの路上で違反切符を切られ罰金は145ドル。
翌日シアトルで路上駐車していると同じ理由で違反切符を切られてしまい、
ここでは47ドル。
同じ反則切符なのに街によってこれほどにも反則金が違うのはどうしてでしょう? 3倍も違うだなんて、常識破りです。
確かにうっかりしていた私に落ち度があり文句は言いません。
しかし昨年の8月から今日までの半年以上、私も検査官も気づかなかったのに、
2日連続で反則切符を切られるなんて、
とんでもとんでもー。
本日長女が16歳の誕生日を迎えました。
米国ではsweet 16と言って
特別な誕生日なんだそうです。
そこで私たち家族にも特別なものとなりました。
彼女以外の家族は家を追い出されてしまったのです。
彼女が友人たち6人を招いて食事に行き、帰宅してスリープ・オーバーするために私どもが家にいては邪魔だと言うことで追い出されてしまったと言う次第です。
もちろん夕食もないので長男と家の近所にオープンしたばかりの日本レストランSHIBUYA(渋谷)へ行ってきました。
キッチンものや寿司料理それにラーメンも揃っていてメニューは充実。
かつて東京レストランのシェフが作られるそれは納得する出来栄え。
そのシェフの高校生になる息子さんが私どものサーバーとして活躍してくれました。
高校生で父親の手伝いをここまでするとは。。。
よく言われることですが、長女にも爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ〜、もう〜
Portlandで最大のショッピングセンターと言えば
ロイドセンターになります。
その中のある店舗に行くのも今回で3回目。
毎回最寄りの駐車場を探すのですがモール内に入ってみると
かなりの距離を歩くことになったりします。
地元ベルビュースクエアと比べたら人並みは無いに等しく空いています。
天候の悪い日にウォーキングのコースとしては最適です。
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