正月再びふと手にしたのが10年前に読んだPFドラッカーの著書「プロフェショナルの条件;The Essential Drucker On Individuals; To Perform, To Contribute and To Achieve」。
未来学者とも言われた彼ですが、10年たった今、彼の未来予想がどうなっているのか・・・読み返し始めたばかりですが面白く、自分の勉強のために書き留めていってみようかと考えています。
P.F. ドラッカーは、産業革命、生産性革命を経て、第二次世界大戦後はマネジメント革命の時代に入っているとしている。産業革命、生産性革命は、「知識」を道具、工程、製品や仕事に適用してきたのに対して、マネジメント革命は、知識が知識自体に適用されているとしている。彼は、マネジメントを知識の適用と、知識の働きに責任を持つ者、つまり、成果を生み出すために、既存の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識と定義つけている。
その例として産業、経済が完全に破壊された日本が戦後の20年間で世界第二位の経済大国、技術先進国になったのは、アメリカから教育訓練(マネジメント)を積極的に導入したからと紹介している。確かに荒廃した国土、資源のない日本が復興できたのは、製造技術、品質管理の徹底をKAIZEN(改善)の言葉に代表されるようにたゆまない高度な専門知識の適用という行為によって成果を出してきたことにも見られる。
資源のない日本が加工貿易という資本主義経済で発展してきた戦後とは違い、21世紀の現在、行動と成果のための情報という高度の専門知識が、土地と労働と資本をさしおいて生産要素となっている。肉体労働人口は、1950年代には過半数を占めていたが、1990年代には20%までに減少し、2010年には10%台なると当時ドラッカーは予想していた。さて現在どのくらいの占有率になっているのであろうか?
ただ、知識の適用が間違った形で出たのが、バブル経済を生んだマネジメント革命の一端だと思う。一方古代ソクラテスにとって、知識の目的は己れを知ることであり、己れを啓発することだった。成果は心のうちにあったとしている。
成果を外に求めるばかりにバランスがくずれると再びバブル経済を起こすと思う。北京オリンピックを成功させ、今年上海万博を迎える中国だが、来年以降、中国経済は大きな危険な局面に入るのではないかと危惧するひとりである。その場合、世界経済に与える影響は計り知れなく、リーマンショックから立ち上がりかけた世界経済に冷水を浴びかけさせる可能性も出てくる。
ポスト資本経済・・・次の社会の主役は?が第2章になるが、しばらく復習の意味で追ってみたいと思う。
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