史湖です。
私は子供の頃、
母からは「危ないからやめなさい」
父からは「安全にやりなさい」
とよく言われて育ってきました。
両親は違う事を言っているようで
ベースは同じことを言っています。
危ない道は避けて通る事を伝えたい母、
安全な道を探して進む事を伝えたい父、
ベースにあるのは「私が安全な事」
子供の時は
どっちの言う事を聞けばいいのか
わからなくて戸惑う事もありましたが
自分が親になり
両親の気持ちがわかるようになりました。
子供には大きく逞しく成長して欲しい反面、
危険な道は通って欲しくない。
ずっと親が側で支えられる保証はなく
ある日突然
子供達のスキルが試されたり
自力でやらないといけなくなる時が
来るかも知れない…
その時に困らないように普段から備えることも
実践していきたい…
そんな風に私は考えていました。
皮肉なことに
家の中に手出し口出しできる大人が多くなるほど
意見が分かれてまとまらなくなります。
自由に子供達がやりたいようにやらせて
側で見守りながら
危険な時は軌道修正をしていきたい親の考え。
危険や困難だとわかっていることは
最初から大人が手を出して
安全な状態を保ちたい祖父母の考え。
どちらも子供達の事を思っての事なのに
意見の食い違いから
大人の間の衝突が絶えませんでした。
そんななかでやっと気づいた事があったのです。
我が家に足りなかったのは
「信じる」気持ちと
「見守る」余裕
だったのです。
忙しくて時間がなくても
気持ちに余裕があれば信じる事ができます。
時間に余裕があっても
信じる気持ちがなければ見守る前に
手を出してしまいます。
子供は好奇心の塊。
普段、どんな感じか
ちょっと思い出してみてください。
ポットでお湯を沸かすのも、
包丁やナイフでフルーツをカットするのも、
スクランブルエッグを作るのも、
自分で出来ると本当に嬉しそうです。
大人が手出しするとつまらなさそうです。
可愛い子には旅をさせるのは
旅を終え逞しくなって戻るのを信じているから。
危険なことは危険だとしっかり教えてあげて
一緒に安全に乗り切る道を探っていく。
時には見守り、時には信じて
それでも危険な時はお手伝いする。
子供は成長してもやはり子供。
子供の成長と共に危険の種類も範囲も拡がり
益々、信じて見守る親の気持ちが試されると
子育て20年を超えてつくづく思います。
信じて見守る日々は
イライラしたり
進展がないように感じたり
時間がとてもかかってしまうかもしれません。
それでも…
これから子供達が向き合う危険な場面では
過去に積み重ねた信じて見守る日々が
危険を安全に乗り切れる事に繋がります。
今はまだわからなくても
答えは未来にいい形で出てきます。
これ、本当です。
信じて見守り、時々軌道修正。
可愛い子には旅をしてもらって、
大人も旅も続いていきましょう。
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