広い空の下で、夢や希望をもって生きようとしている私たち。挫折しても「自分の価値」は自分が認めよう。自分の価値を測るのは他人ではない。
おすすめの本というわけではないが、『幸せとは、気づくことである』という考えかたに共感しました。(プレジデント社)
自分の人生の中の、ごく「あたりまえの恵み」に目覚めることが、汲めども尽きぬ幸せの泉となる。
しみず たいき (清水 大樹)という人を知っていますか。私は今日まで知らなかったけど「幸せはいつも今ここにある」という言葉が好きで、その人に行きついた。
虚構の「すてきライフ」を見せつけたいための「芝居」をしている人が、多いとは言わないが、少なからずいるようだ。
人は確かに「見栄」のためにがんばれたりするが、あとに何も残らず虚しさが漂うだけではないか。
ある程度の経済的裏付けは、もちろん必要であるが、お金さえあれば、幸せになるというわけではない。
上の著者の言葉は平易で納得できる。
「今日はどのシャンパンにしよう、フレンチにしようか、イタリアンにしようか、という生活は贅沢で羨ましいようにも思える。
しかし、そのような人が、今晩はどの発泡酒にしようとコンビニの棚の前で考えている若者に比べて、幸せであるとは限らない。」
そうか、幸せに気づくことが必要だし、幸せを感じる力が重要なのだ。
ボンビー父さんも、今の状況を受け入れ、「しあわせ」に気づいて、自分の生き方に自信を持つことが大事なんだね。
Facebookやインスタグラムを知らないボンビー父さんは、「婚テロ」という言葉に苦笑した。
そんな記事を読んでいるうちに「盛る」という言葉も普及しているということを知った。
「盛る」って良く見せようとすることですよね。だれしもあることですが、許されているのが「いい子盛り」だそうです。
セレブ自慢や、リア充アピールはNGというのは、いうまでもありませんね。
ここで考えてしまうのが、ちょっとカッコつける「盛り」ではなく、次のような人がかなりいるようなのです。
裕福な専業主婦ライフを送る幸せな毎日をアピール
「週末は家族で伊勢丹にお出かけ。長女の入園式で着るスーツを買いに。今週残業続きだった主人、つきあってくれてアリガトウ!」
スーツなど実は購入しておらず、伊勢丹には新宿に出かけたついでに寄って、お総菜を買って帰っただけだった。
「今日は合格発表日。ママが一番ドキドキかも。結果は……サクラサク。高校まで併設だから、楽しい幼稚園ライフを送ってね」
などと大騒ぎ。「有名幼稚園」と「エスカレーター式」であることをさりげなく入れて綴る
夫はベンチャー企業の経営者→一人親方の「個人事業主」
裕福な専業主婦で時折夫が経営する会社の経理を手伝っている→夜間に数時間パートしてランチ代と洋服代をねん出
毎日2000円のランチを写真を撮るために行っていて、ご主人から「オレはおまえのランチのために働いてるんじゃねえ」と・・・・
■やはり「盛り」すぎると、しっぺが自分に帰ってくる。