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岩魚太郎の何でも歳時記

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私の一枚 Google News 聖徳太子の弟「来目皇子(くめのみこ)生年不詳 - 推古天皇11年2月4日(603年3月25日)父:用明天皇 母:穴穂部間人皇女  聖徳太子の歴史に興味がある方必見です!  用明天皇は、日本の第31代天皇で、今から用明天皇は、日本の第31代天皇で、私の計算ですが143

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https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE02A980S4A200C2000000/
 
塚穴古墳で発掘された墳丘端で、 出土した凝灰岩を示す宮内庁の担当者 (2日、 大阪府羽曳野市)=共同 宮内庁は2日、聖徳太子の弟・来目皇子 (603年没)の墓として管理する塚穴古墳(大阪府羽曳野市、方墳)の発掘現場を考古学研究者と報道陣に公開した。
 
古墳をとりまく堤を貫く排水溝が見つかり、宮内庁の担当者は「古墳と堤の間にある空堀に水がたまらないための工夫とみられる」と分析している。羽曳野市によると、 塚穴古墳は7世紀前半に築かれた1辺約54メートルの方墳。
 
これまでに市は古墳周辺を発掘しており、大規模な土手が古墳を囲んでいたことが判明している。 宮内庁は、排水施設工事の事前調査として墳丘や周辺の7カ所を調査。そのうち1カ所で堤を貫くように造られた地下排水溝が見つかった。
 
排水溝は高さ約1メートル、幅2メートルで、排水溝の中には河原石を大量に入れており、砂で詰まらないようにしていた。 また初めて墳丘も発掘し、墳丘端を確認した。墳丘端では、墳丘を覆っていた凝灰岩も 出土した。凝灰岩は大阪府と奈良県にまたがる二上山産で、軟らかく加工しやすい特徴がある。
 
塚穴古墳の発掘現場で見つかった排水溝を示す宮内庁の担当者(2日、大阪府羽曳野市)=共同来目皇子は、602年に征新羅大将軍として軍を率いて九州に進軍したが、翌年に亡くなった。日本書紀は、塚穴古墳周辺の地名に当たる 「河内の埴生山の岡の上に葬る」と記しており、被葬者は来目皇子の可能性が高いとされている。
 
見学した日本考古学協会の日高慎理事は「排水溝は終末期古墳の墳丘外の構造がよく分かる調査例となった。 大規模な排水溝で、 終末期の古墳でもきっちりと築造してい たことが分かる」と話した。〔共同〕
 
 
 
 
 
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