韓国旅行「板門店」 その1 <1/2>
Apr
12
初めて韓国へ行ったのは、2014年7月。
" 初 " 韓国は独り旅を。
その時に、映画「JSA」の舞台にもなった板門店へ行きたくて、ツアーに参加してJSAへ行ったんだ。
1953年7月27日に、国連軍と中朝連合軍が「朝鮮戦争休戦協定」に署名し、3年間続いた朝鮮戦争が休戦となった。
終戦ではなく、休戦、休戦中なんだよね。
だから、60年以上休戦中だけど、いまもまだ戦地ともいえるんだよね。
さらに、戦地なんだけど、" 観光地 " という不思議な場所。
「戦地なのに観光地」という場所は、板門店が世界でただ1つの場所じゃないかな?!
そんな不思議な場所へ行ってみたくて、、、
板門店 (パンムンジョム) は朝鮮半島の南北を隔てる北緯38度線と呼ばれる軍事境界線があり、韓国と北朝鮮との対立の緊張感が肌で感じることができる場所。
1953年の停戦協定以来、軍事境界線を挟んで南北にそれぞれ2kmにわたって、非武装地帯がある。
板門店はその非武装地帯の中にあり、特に共同警備区域 ( JSA : Joint Security Area ) と呼ばれている。
直径800メートルしかないエリアが、南北間での対話場所となっており、南北の行政の管轄外のエリア。
板門店へは、事前にツアー予約をしなければいけない。だから、「VELTRA」で予約を。
当時、わたしが参加したツアーは、今はないみたい?!
わたしが参加したツアーに似ているのは、コレ
↓ ↓ ↓
【 南北境界線(DMZ)ツアー プルコギランチ付き < 火~日 / 午前 / 日本語ガイド / ソウル発 > 】
ツアー内容は、
・北朝鮮が秘密裏に掘削した「第3トンネル」
・臨津閣
・都羅展望台
・都羅山駅
などを観光。そして、プルコギ定食の昼食付!
わたしが参加したツアーとの大きな違いは、" 脱北者の女性が同行 " がないという点。
ツアーは、休戦中とはいえ戦地だから、ツアー前にパスポートの事前確認や、誓約書へのサインとかがあったよ。
誓約書の内容は、「戦地だから死んでも自己責任・・・」というような内容のもの。
そうなんだよね、休戦中とはいえ、戦地なんだもん。
写真は、軍事機密の関係で、撮影可能な場所以外は撮影禁止。
服装や持ち物とかにも厳しくて、
・武器になるから、傘などの持ち込み禁止
・ミニスカート禁止
・露出度の多い服や派手な服装は禁止
・星条旗
とか、色々な禁止事項があり。
服装の禁止項目に、「アメリカ人を思わす服装」というのがあって、不思議だったんだよね。
理由は、北朝鮮兵を刺激しないためみたいなんだけれど、「アメリカ人ってどんな服装???」と、疑問になるでしょ?!
わたしのイメージでは、スニーカーにジーンズ、そしてTシャツという感じが、アメリカ人ぽいのかなと思ったんだけれど、それって、すごく普通の服装だよね?!
ね、アメリカ人って、どんな服装がアメリカ人ぽいんだろうね?!
VELTRAに今はない「脱北者同行ツアー」は、韓国人の日本語通訳さんを通じて、脱北者の方に質問が可能だったの。
だから、色々と質問したんだ。
・どうして脱北したか?
・どうやって脱北をしたか?
・どんな暮らしをしていたか?
・どうやって南の韓国の情報を得たり、連絡をとっていたか?
・ほかの家族はどうしているのか?
・南と北の違いは?
・北朝鮮に帰りたいと思うか?
・脱北したことを後悔しているか?
とか、いろいろとお話が聞けて、興味深かったよ!
参加したツアーは、その日は観光バス2台。
日本人は、わたしと20代の関西人女性の2人のみ。
日本人だけで2台のバスが貸切になるぐらい、日本人参加者が多い時代もあったみたい。
日本人参加者が少なかったことは、逆にわたしにとってはラッキーで、脱北者の方が、わたしと20代女性参加者に付きっきりとなることになり、いろいろとお話が聞けて貴重な体験となったんだ。
長くなってきたから、今日はここまで。。。
板門店ツアーの写真とかは、後日「韓国旅行「板門店」 その2」のブログで投稿予定 (^^)/
Coming soon。。。