ほぼ毎週のように図書館へ来ては、本を読まずに詩や小説を書いている。しかし、今日は島崎藤村の本が無性に読みたくなる。どうしたらあのように綺麗かつ透き通った描写ができるのだろうか、と。 『作家の随想』という本を手にとってみた。やはり、そうであったか。藤村は松尾芭蕉に影響を受けていて、ふたりの重なる匂いを感じていた直感は当たっていた。「芭蕉の散文には何とも言って見やうもない美しいリズムが流れて居る」の藤村の言葉であるように、憧れとどのようにしたらあのような美しい言葉が綴れるのかという疑問を持っていたことが記されている。藤村が芭蕉へ感じていることを、私は藤村にも感じている。言葉の世界は孤独な世界より二つ、三つと広げていく謙虚が芸術表現を豊かにするのであろう。 「言葉の術」という見出しのところ。 「詩を新しくすることは、私にとっては言葉を新しくすることと同じ意味であつた」、「旧い言葉を壊そうとするのは無駄な骨折だ。ほんたうに自分等の言葉を新しくすることができれば、旧い言葉は既に壊れてゐ。この考へが私を導いた」と藤村は語っている。そして、言葉は活きかえって来ることの深い喜びを知ったという。 「新しい言葉」。それは、言葉の感じの鋭さであり、言葉というものに重きを置くほど言葉の力なさ、不自由さを感じることになる、とも藤村は語っている。 私はこう考察する。「新しい言葉」が「新しい詩」、「美しい詩」に成り得るためには、自分の中にもともとある感受への気付きと、その空間世界への弛まぬ求めが必要なのだろう、と。旧きを壊すことではなく、自分の旧きを引き出すことが新しい自分、新しい詩というこになると確信した。 そんな今日の読書、有意義に過ごしては、暮れてゆく窓辺。 参考図書『作家の随想4/島崎藤村/藪 禎子 編』日本図書センター
Posted at 2017-01-28 22:12
People Who Wowed This Post
Posted at 2017-01-29 06:18
People Who Wowed This Post