風景を絵にすれば情景となり 好かれる作品であったりもする しかし、詩の場合は違う 風景だけを言葉で表し喜怒哀楽を描かなければ 情景になることは難しくなってしまった それだけの作品で終わる 私は読み手の感情移入する感性が 狭いのではないかと感じている 今まで書き手の表現未熟だと思っていたが そうではないのかもしれない 詩は気持ちの色を誘導させて見せる 喜びを伝えるように 怒りを伝えるように 哀しみを伝えるように 楽しいを伝えるように 絵や音楽は音と色でそれを伝える 「これは喜びの作品です」 と、説明しなくても充分に心が踊る 詩は嬉しくなるような風景や情景を書いても 「私は嬉しいです」と、匂わせる表現をしないと 作品としてつまらないことになる 言葉の限界がそこにあるのだろうか 私は詩を読むための感性が失われ 書き手の世界が狭くなっていると実感している 「青に白が小さく浮いている ただそれだけである」 例えばこの言葉に感情移入をできるか、できないか 詩の世界が萎縮しないためにも 私は風景や情景だけを言葉に連ねてゆく詩が もっと書かれて読まれることを夢みている
Posted at 2017-02-26 21:59
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Posted at 2017-02-27 00:29
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