もうすでに空き部屋となった 親父の仕事部屋に入る なんだか懐かしい匂いがする 手ぬぐいを頭に巻き 中指にはパチンコ玉のようなペンダコ 窓の断面図は機密な迷路 煙草とインスタントコーヒー ショートスリーパーだった親父は 朝五時から夜の九時まで図面を睨む 五十五年間ずっと線を引き続け その長さは天国まで届くほどだろう 親父は戦時中にひとり疎開先へ行き 食べ盛りは芋しか口にできず 小柄な身体で喧嘩ばかりの日々だったらしい 強くなければ生きられない そんな時代を送った親父が怒ると 子どもだった私は怖くて仕方なかった 遊んで欲しいとは一度も言えなかった そして私は十八歳で家を出た それから十年が経ち 実家へ帰ると公園で孫と遊ぶ親父の姿があった このひとが私の親父なのだろうかと そう思える光景だった 仕事の合間に子どもと遊ぶひとではなかった その当時の親父は家族のために 仕事一本の鬼となり必死だったのだろう 私も親になりその執着を理解しようとした 否定から肯定し始める親父の姿が公園にあった そして親父が他界し五年が経った 二十三歳になる息子が私に言う 爺ちゃんから最後に貰った一万円札が 使えなくてまだ財布に入っているよ 私はタバコの煙で黄ばんだ 仕事部屋の壁を見つめながら 顔を綻ばせて親父へありがとうと言った