8年前の今日
Mar
24
その人の所に泊まらせてもらい、上海の美味しい物を食べ歩いた。その前年が大不況の年だったらしく、上海中が浮浪者だったらしい。
自分が行った頃は落ち着いていたけれど、まだ建築物も多くなく
カオスといった言葉がぴったりだった。
その友人のオフィスビルにゲイのコミュニティがあってうるさかったり
建設中のデパート系ビルで、工事の足場に竹を使っていたのが印象的です。その後の10日強は、長沙という、毛沢東の生まれ故郷の内陸の街。
そこが幼馴染みの留学先で、上海よりも南ですが、かなり寒かった。
ここは結構田舎だったのと、妙な風邪を引いてしまい
余り外出はせず、友人が授業の間はずっと部屋で「天誅」やってました。ここでも食事が美味しかった。ただ1つ苦手だったのは「臭豆腐」
チョウガンズと読む、黒くて辛い豆腐。肥料のようなキツイ臭いで
何十メートル先からでも臭うので、最初は何事かと思った。
しかし中国では馴染み深いものであるし、味は悪くない。
どこで見たか、台湾では黒くなく、普通の白い豆腐で、やはり独特の臭い。帰る時が大変で、友人は授業があった為、1人で上海まで飛行機に乗り
上海のホテルに泊まって、翌日の飛行機で日本へ帰った。この2週間で、とにかく生きて帰る為の最低限の中国語を教えてもらい
後は漢字や英語を紙に書いて補う予定でしたが、当時はホテルや空港以外では
英語を話せる人が居ませんでしたねーホテルに泊まった翌朝、上海空港へ十分時間を持って行ったのですが
並ぶ場所を直前まで間違い、相当焦りましたが、空港のスチュワーデスさんに
"Go straight, turn right !" とか片言の英語で指示してもらい
何とか指定の飛行機に乗れました。実際に並ぶ場所から相当離れていて、どちらも日本行きなのに、何が何だか
さっぱり意味不明だったのですが、今思うと、違う飛行機会社の所に居たのかも。そのトラブル直前まで「高校まで英語勉強したんだし、何とか喋れるだろう」と
思っていたのに、実際はどうにもこうにもいかなかったのと
義務教育とは何なのだろうと感じた事が、その後の自分に少なからず影響しました。