明美ちゃんの高校ミュージカル。
今年はShrekと言う物語で主役のFionaで出演。
歌あり踊りあり演技に没頭する2時間半のステージ。
先週からのリハーサル週は毎夜10時ごろの帰宅になるまでの猛練習を続けていた。
つい先ほど3日連続公演の最終ステージのために家を出て行きました。
自ら私のトヨタ車を運転して。
今夜も観衆を沸かし星を掴み取ってくださいな。
本日のシアトル・ユニオンレイク
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。
その栄光は全地に満つ」(イザヤ6章3節)
天にある神殿のビジョンを見せられたイザヤは、
そこでセラフィムがこのように神を賛美してるのを見聞しています。
聖書でセラフィムの名が出てくるのはこの箇所だけですが黙示録4章の「4つの生き物」と同じであることがその翼の様子からわかります。そこでの賛美もまた同様のものです(黙示録4章8節)。
天でのセラフィムによる礼拝と賛美とは、常時繰り返されているものです。
神の側においては常に存在している事実でありこの時のイザヤのために神が一時的に演出しているドラマではないのです。
BC740年、有能なウジヤ王の死がイスラエルやイザヤを危機に立たしめました。
この危機にあって神の特別な具象に接することができたのはただただ神の憐れみによります。
今も天において奏でられている賛美を受け取る私どものレシーバーはいかがなものでしょうか?
これを受け取るためのチューニングをさせていただきたいです。
主イエスにあり神と調和している時、そのような霊魂の状態において見せられまた聞かされるものです。
このところ良い天気となったのは1日だけ。
今日もまた雨のシアトルです。
マキルテオと言うシアトル北部のフェリー発着所まで行ってきました。
そこにあった雨に濡れた桃がきれいでした。
桜は花びらをだいぶちらしているのですが
桃はまだ健在ですです。
そういえば先週、日本の伏見で見た桃も雨に濡れてきれいでした。
この写真は数ヶ月前のものです
春の我が家の写真は画像が大きすぎて載せられないとのことです
先週からの雨もようやく終わり晴れ上がった。
明日からまた下り坂になると言う。
そこで風邪気味の体を押して今季初の芝刈りに挑んだ。
数ヶ月間使用しないでいた芝刈り機のエンジンが発動するかどうかよりも
納屋のドアを開けることの方が心配だった。
先週そのドアを開けた家内が悲鳴をあげた事がある。
アライグマとにらめっこしてしまったからだった。
そこで私は納屋のドアを何度もノックし先住民がいたら隙間から退散してもらおうと図る。
なこともあって芝刈りはなかなか億劫に感じていたののだけれど、、、
結果としては「案ずるよりも産むがやすし」
〜行動一旦起こしてみれば大した障害もなくやり遂げてしまうもの〜
アライグマに会うこともなく、
エンジンはすぐに発動し、
キッパーのフンは家内が拾い上げてくれていて
楽に芝刈りを仕上げることができたのでした。
ペニンシュラホープ教会の日曜礼拝へ行ってきました。
毎月一度ほどしかお会いしていないのに
旧知の親友のように再会を多くの方々と喜び会いました。
この教会でいつも感心させられることがいくつかあります。
礼拝開始前から教会に集って準備を重ねている賛美チーム。
子供のためのミニストリー。
ランチを用意してくださる糸井さん。
その他見えないところであっても、誰かがご奉仕を担っておられます。
それぞれがそれぞれの賜物を遺憾なく発揮しながら
牧師不在の教会をもり立て支え合っていらっしゃる。
.................................................
私は時間となり、フェローシップを中座してオークランド空港へ急行。
これからシアトルへ帰還してホサナ教会の礼拝です。
主はいつも素晴らしい!
ここのところベイエリアでのグルメ情報が続いています。
西洋料理での私のお気に入りはイタリアンかフレンチ。
サンマテオの3Rd アベニューを歩いていると
アジアや中東、欧州のエスニックレストランが軒を連ねています。
ビルマか日本かイタリアンかを天秤にかけ
迷った末にイタリアンを選択。
シェフもサーバーも皆でイタリア語話しています。
私にもグラッチェと言いながら写真をパチリと撮ってくれました。
私たちが人生で出会う
最も美しい人たちとは
挫折を知り
苦しみを味わい
失うことを知り
もがきながら戦い
どん底から這い上がった人たち。
このような人たちは
感謝をする。
細やかな心になる。
人生というものを理解する。
だから
思いやりにあふれ
寛大で
深い愛を持つことが
できるようになる。
美しい人間が
突然できあがることはない。
美しい人間は
このような経験をとおして
創りあげられていった人たちである。
エリザベス・キューブラー
精神科医、著述家
向こうに見えるおじさんが助けてくれた店主
本日のランチはバークレイにあるインド料理店に入った。
ウェイトレスのお勧めのまま当店自慢の魚料理を注文。
そこで死さえも予感させる恐ろしいことが起きた。
魚の骨が喉奥に引っかかったまま取れなくなってしまったのだった。
水とともに飲み干そうとしても痛みを感じるだけで食道に下りて行かない。感触からしてかなり大きめのものが引っかかっている様子。
トイレに入って咳き込んでももどすこともできなかった。
仕方なく半分以上残ったままの食事を諦め支払いを済ませて店を出ることにした。
呼吸ができないほどでは無いが喉に水が通過するときには脂汗が出るほどの痛みが伴う、、、この痛みがいつまで続くのか?
不安と涙目のままに実情を話していると
店の主人がちょっと待てと言う。
そして蜂蜜のかかった団子ケーキを持ってきてくれた。
それを水と飲み込んだら骨も一緒に降りて行くという。
半信半疑のまま少しずつケーキと水を飲み込んみる。
骨の引っかかっているノドのところを通過するたびにやはり涙が出るほど痛い。
が、その痛みが少しずつ和らいでいく感じ。
そしてついに痛みを感じないほどになった。
骨が取れたのだった。
ふー、命拾いした〜
サンフランシスコは今日も晴天
日本街を象徴する五重塔
サンフランシスコの日本人街。
先週末15日16日と二日間、桜祭りがあったとのこと。
地元の日系フリーペーパーには今年のクイーンに選ばれた女性がパレードした様子等が盛んに報じられていました。
そんなこともあってか、モールの人なみも賑やかさもいつものようでなく静かな感じがする。
シアトルの飛行場を離陸直後
朝の6時前に自宅を出た時には、
雨がしとしとと降っていた。
このところ春とは言え雨の多いシアトル。
かといって1日中雨でもなく日中数時間は暖かい日も差して来る。
おかげで我が家の庭の芝生が伸び放題となり
芝刈りをしても良い頃合い。
妻からなんとなくそんなことを依頼されたものの
何となくやる気になれない。
その理由は愛犬キッパーのフンがあちこちに散らかっていること。それを片付けてもらわない限り芝刈り機を運転する気になれない。
Happy Easter!
He is risen indeed.
He is the ultimate winner! No matter what the circumstances,
主は死を克服して実によみがえられました。
私たちの状況がどんなものであっても主は究極的な勝利者でいらっしゃいます。
イースターおめでとうございます。
ヴァション島へ行ってきました。
ウェストシアトルからフェリーに乗って約10分ほどのこの島は
大都市シアトルとは異なりこじんまりとしています。
プチ・バケーションの楽しめるいっときでした。
頻繁に空模様が変わると春らしい柔らかな光が差し込み、
白い雲が泳ぐようにして流れていきます。
私の訪問を心待ちにしてくれている友人たちにもお会いできて
毎回ここに来ると元気が充電されます。
日ごろの生活ペースとは異なる時間が流れているのが良い刺激となっているみたい。
帰国後初めて高速5号線を走りました。
雨上がりの夕刻、
短いですがくっきりと虹のたもとが現れていました。
虹は神様がノアと契約を交わされたときのしるし(シンボル)です。
そしてその契約は今でも有効で神の人間に対する愛と守りを表し
私たち人間にとっては希望の象徴となっています。
中国語から来ている「虹」言う語句にはあまりロマンを感じさせませんが
原語のヘブル語には興味深い意味が含まれています。
「ケシェット」と言って戦闘用の弓を意味する言葉です。
神様は戦いの弓を取り上げて天に置かれました。
地上にあっては洪水で滅ぼすことをなさらないと決められたからです。
英語ではこれを踏襲してrainbow(雨の弓)としています。
成田を飛び立った搭乗機は太平洋北側を弧を描くように東へ飛行し、
北米大陸に近づくと、
フアン-デ-フカと呼ばれている米国とカナダ国境の水路に吸い込まれていきます。
米国側セクイムの町から海に飛び出した細長い砂浜は
スピット と呼ばれています。
吐き出した唾きを意味する英単語であり
まさにそのような地形です。
この命名は天才的な嗜虐とも言えるでしょう。
毎年夏に我が家ではここまでバケーションに来るのですが
飛行機では10分ほどでシアトル上空にたどり着いてしまいます。
3週間弱の日本滞在の最終日に
生まれ故郷の横浜東戸塚へ行ってきました。
私が中学生の頃に新設された東戸塚駅から周辺は見渡すかぎり荒野だったのですが
今はモール街で埋め尽くされています。
駅からそのモールを抜けて旧東海道まで歩きました。
この旧東海道こそ、私の小学-中学-高校時代の通学路です。
その通学路を通って実家まで歩くとあちこちに満開の桜が出迎えてくれています。
今でも変わりない果樹園や畑、学校校舎など思い出の詰まった通学路。
そしてたどり着いた実家。
そこには歩くこともままならなくなった年老いた父や母が2人で家を守っていてくれていました。
昨日津幡教会の礼拝後、
皆んなで花見に行きましたが4月中旬にこうして日本中で花見ができるのは珍しい。
今年は寒気が居座ったためか
桜の満開と各地での入学式が重なったようです。
私にとって春の帰国は8年ぶりとなりましたが、
桜を満喫できたのは思わぬプレゼントでした。
写真は京都から金沢へ移る途上、京都御所に寄った時のものです。
ここのしだれ桜が満開でした。
COG津幡キリスト教会で礼拝を守りました。
ここの教会での日曜礼拝は神学生以来で実に30年ぶりとなります。
韓国やベトナムからの学生も含めて新しい方々もお見えになっておられます。
礼拝後の愛餐会で腹ごしらえをした後、桜の花見に出かけました。
冷たい強風が吹いて寒く長居はできなかったのですが、座った位置から手を伸ばしたところに満開の桜の枝枝が伸びていて優雅な一時を過ごせたのは幸いでした。
鳥羽伏見の戦いが勃発したという地点は、簡素な住宅街の小さな交差点に位置していた。
そのすぐ近所に薩摩軍が駐屯したと言う城南宮がある。
花の名所となっているここの庭園は広くよく整備されていて散歩しても飽きることはない。
義母ならきっと喜び、彼女の京都の名所となったはず。
この日は京都の近く伏見にて神学校同期卒の友人宅に宿泊。
久方ぶりの再会に話が弾み、楽しい話は夜が更けても尽きることがない。
伏見と言えば秀吉が一時住居を構えた伏見城があり、そして戊辰戦争勃発の契機となった鳥羽伏見の戦いが有名。
伏見城の本丸後は現在天皇陵となっているがその少し離れたところに石垣も含めて再建された伏見城が建立されている。
あいにくの雨であったが、そのお城と満開の桜とかよくマッチしている。
しかし井伊直弼が信長と大きく異なる点がある。
15年間、14男の故に捨て扶持の微禄に甘んじた不遇時代である。
彦根城内堀沿にある小さな庵に住居を構え、
「埋木舎」(うもれぎのや)と名付けた。
直弼の詠んだ和歌を紹介。
〜世の中をよそに見つつも埋れ木の
埋もれておらむ心なき身は〜
実際は埋もれる暇もなく文武両道に励み、後の大老の大任を果たす見識と覚悟とはこの冬の時代に培われたものだという。
信長が天才的直感に負うところが大きかったのに対して
直弼は長年の蓄積された教養から救国のための一打を打ち出していった。
どちらも官僚制度を突き抜けた独裁だったことには変わりはない。
日本の風土に独裁はどうも似合わないらしい。
井伊直弼
安政の大獄を首謀した赤鬼か、
鎖国から開国への未知の時代を切り開いた先駆者か。
日本史上で彼ほどに評価の割れる人物はいないと思う。
ペリー来航後右往左往の幕閣の中でも明確に開国路線を打ち出して日米通商友好条約を勅諚を得ないまま締結し、さらに反対派を徹底的に弾圧してしまう。
彼もまた信長同様に日本史にあっては特異な独裁者だった。
信長の夢破れたり
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
(人間の一生は所詮五十年に過ぎない。天上世界の時間の流れてくれべたらまるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ。)
絢爛豪華な安土城を築き、その琵琶湖に面した交通の要所を抑える戦略眼を持ち、
さらに宣教師を通じて世界情勢にまで視野を広げていた異端児信長。
その急進的な独裁体制は「和をもって貴しとなす」古来の日本体制と馴染まず、
明智光秀の謀反がなかったとしてもいつかは暗殺の憂き目に遭ったと考えられます。
完成からわずか3年ほどで炎上し廃城となった安土城には信長の夢が凝縮されているようです。
「夏草や兵どもが夢のあと」とは松尾芭蕉の有名な句ですが、
これを文字ってこの時の私の心境を一句。
「霧雨や先覚者の夢もかすみ」
ハハ、凡庸すぎますねぇ。
大江町の牧師先生方を惜しむ方々が引っ切り無しに訪れてくれる。
必ずしも教会員の方々ばかりではなく町に住んで先生方との長〜いお付き合いの人たちも来て下さる。
私にとっても30年以上前の神学生時代以来の再会であったり、息子の仲良しの同級生のお嫁さんとの初対面があったりして心温まる時を持つことが出来ました。
大内先生西山先生のお別れ会を途中で引き上げて仙台教会へ行ってきました。
途中作並街道の峠を越えるのですが山肌に残雪が多く残っているのを見て驚きです。やはりここは北国だったのですね。
仙台では変わらずに忠実な方々が熱心に礼拝を守っていらっしゃいます。
ここの教会の方々は大内先生西山先生が転任されてくるのを大変喜んでおられます。
一方で行くなぁと言われ、片方でいらっしゃいと声かけられ
先生方はさぞ複雑な気持ちでいらっしゃることでしょう。
38年間もの間、大江町の皆様と一緒に歩まれた大内先生と西山先生。
信じがたいほどにあっけなく先生方と共に最後の日曜礼拝を迎えました。
しばらくお休みされていた方も奮ってご参会下さって先生方とのお別れを惜しみました。
名残は尽きず先生方を惜しむ皆様方からのメッセージ、賛美、涙の数々。
「この希望は失望に終わる終わらない」(ローマ5章1から11)
この大内先生による告別説教が主にある再開の希望を想起させ、
また試練を乗り越える励ましとなり、耐え難きを耐え得るものとなりました。
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