演劇部時代、
舞台の脚本を書いていて、
小説との違いにぶち当たり、
頭を悩ませたことがある。
脚本と小説。
一番の違いは、
地の文があるかないか。
小説はいわば、地の文の勝負。
もちろん、セリフの掛け合いも
大事なんだけど。
セリフだけ良くても、
地の文が書けないと、
味気ない作品になってしまう。
一方で。
脚本に、地の文なんてものは
存在しない。
あるのは、セリフとト書き。
つまりは、演者のセリフと動き、
そして、舞台装置の配置や動き。
これらで全てを表現するしかない。
ぶっちゃけ、「説明」ができない。
無理やりやろうとすれば、
超不自然なモノローグになる。
小説は、地の文なり、
心の声なり何なりで、
「説明」ができる。
その「説明」がいかにも説明っぽくて
嫌気が差すようなものになるのか、
あるいは説明っぽさをあまり感じさせない
自然なものになるのかは、
書き手の腕次第であって、
小説の特性によるものではない。
だけど、脚本で「説明」がしづらいのは、
脚本の特性によるもので、
それを理解せずして
「説明」しようとすると、
むやみにモノローグを多用した
不自然な作品になる。
だから、いかにセリフと動きだけで
表現するか。
それに非常に苦心した。
でも、今にして思えば、
その経験が、
小説を書く上でも生きているのかなと。
「廻り舞台と紡ぎ歌」を書くときに、
いかに「動き」で表現できるかを考えている。
登場人物たちがどう動き、
小道具や大道具をどう使うのか。
いかにして、
物語を映像として描き出すのか。
あくまでもそれらの「動き」を
地の文で表現しているから、
小説特有の手法を
使っているわけだけど。
頭の中では、ある種の「芝居」が
繰り広げられているというか。
そういう意味では、
「脚本」や「舞台」を
作り上げている感覚というか。
うまい具合に、
小説と芝居が融合しているというか。
そんな気がする。
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