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猫の揺りかご Blog

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言葉の端々に滲み出るもの~護られなかった者たちへ③~

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映画「護られなかった者たちへ」レビューその3。
 
ヒロインの言動に、デリカシーを感じないのも、
共感できない理由のひとつ。
 
憲法で保障された権利を行使することを、
恥だと感じてしまう。
 
そんな人を身近で見続けているのだから、
自然と言葉に慎重になると思うのに、
彼女にはそれがない。
 
渡嘉敷母子の一件で病院に行った際に、
「あの言葉」を簡単に口にできてしまう、
その気持ちがわからない。
 
あんな言葉を使わなくても、
病院の人間ならわかるだろうに。
 
あんなの、プライバシーも何もあったものじゃないし、
それでよく、義憤だか私憤だかわからないものを振りかざせるなぁと思う。
 
詰まるところは、原作者なり、映画製作者なりの
取材不足や認識不足なんだけど。
 
想像で補うにはあまりにも、
センシティブな話題を扱ってくれるよなっていう。
 
 
#レビュー #映画
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不条理の中で「命」をつなぐ~護られなかった者たちへ②~

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映画「護られなかった者たちへ」レビューその2。
 
ヒロインに共感できない理由のひとつに、
やはり、渡嘉敷母子の一件がある。
 
ヒロインの対応は、ある意味では、とても正しい。
だけど、果たして本当に十分な対応だったのかと言われると、違う気がする。
 
正直、これがお仕事ドラマであれば、
先輩職員から叱責が飛ぶか、本人がすごく落ち込んで、
周りが懸命に励まそうとするレベルじゃないだろうか。
 
不正は、糾さなきゃいけない。
原理原則を丁寧に伝えて、然るべき対応を取らなきゃいけない。
 
けれど、それとは別に、
どうしたら「居場所」を作れるのかを、守れるのかを、
一緒に考えれば良かったんじゃないかな。
 
彼女一人の力では、無理だとは思う。
けれど、周りに協力を呼び掛けることも、彼女の仕事であるはず。
 
それをしようともせず、
誰かに相談することすらせずに、
 
「綺麗事」を並び立てて、責任転嫁したり、
自分を正当化しようとしたりするから、
共感ができないんだよな。
 
#レビュー #映画
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誰が、何を、守るのか~護られなかった者たちへ~

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ようやく、映画「護られなかった者たちへ」を見ました。
 
やっぱり、ヒロインの気持ちがわからない。
 
声を上げろというのであれば、
なぜその場で申請書を書かせないのか。
 
役場に行かなくたって、申請はできる。
 
その場で申請書を渡せば良いだけなのに、
なぜそれをしない?
 
私も一緒に役場に行きます、じゃなくて、
まずはその場で申請書を渡して、
本人に意思があれば、その場で書いてもらって、
それを役場に持って行けばいい話だと思う。
 
じゃないと、なんでわざわざ「彼女」が訪問したのかがわからない。
 
「救いたい」のなら、せっかく家に出向いたのなら、
その場で申請した方が、スムーズなのに。
 
なぜ、それをしない?
 
なんだか、いろいろ言動が一致してなくて、共感ができない。
 
組織の腐敗を描きたいなら、
彼女が持って行った申請書を、
組織が握り潰そうとする様子を描けばいい。
 
組織の疲弊を描きたいなら、
申請が重なって、疲弊する職員の様子を描けばいい。
 
それをせずに、「声を上げろ」とか、
「声を上げたら誰かが手を差し伸べてくれる」とか、
「救いたい」とか。
 
綺麗事はどっち?って思ってしまう。
 
現場は一生懸命だというのなら、
その様子をもっと描いてほしかったし、
 
1%が不埒だというのなら、
何がどう不埒なのかをもっと描いてほしかった。
 
もっと、現場を描いてほしかった。
 
#レビュー #映画
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護られなかった者たちへ~権利と義務、実態とイメージの狭間で~

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※映画がすごく気になってネタバレありの感想を読み漁りつつも、
 実際には未だ視聴せずにいる人間が好き勝手に書いてるだけの記事です。
※映画や原作小説が好きな方、ネタバレが嫌な方はご注意ください。
 
 
 
 
図らずも原作本のレビューを見て、
「ああ、やっぱりな」と思ってしまった。
 
この作品はおそらく、現場をわかっていない。
現場をわからないままに、現場を描いている。
 
現場の人間の心情がわからないままに、
現場の人間の心情を描いている。
 
わかったつもりで、描いている。
だから、「知っている」人間にとっては耐えられない。
 
きっとそこを、なんとかしようともがいたのが映画な気がする。
 
少しでも現場を知ろうともがき、伝えようとあがいた結果、
メッセージ性が薄まってしまったのかもしれない。
動機が弱まってしまったのかもしれない。
 
特に、被害者3人を善人の仮面を被った完全な悪人から、
善も悪も併せ持った、でも実はどこにでもいそうな人間に変えてしまったことが、
一部の原作支持者から、どうやら不評を買っているらしい。
 
だけどこの点に関しては、私はたぶん映画を支持する。
完全な善人がいないのと同じように、完全な悪人もいない。
 
現場を知らない人間が中途半端に知ったかぶって、
現場に悪を押し付けたのであれば、それは心底辟易するし、
 
自分を安全地帯に置いたうえで、
身勝手に「悪人」叩きをするのであれば、それは軽蔑に値する。
 
だから、一部の原作ファンを敵に回しつつも、
そこに果敢にチャレンジしたらしい映画を、見てみたい気にもなった。
 
ただ、映画も大事な視点が欠けているのではないかという気がしている。
 
なぜ、国が制度を厳格化したのか。
きっとその背景が欠けている。
 
「不正が横行したから」や「不正に対応するため」は、
理由であると同時に、理由にはならない。
 
「不正」という概念が曖昧なまま、
「制度」に対する理解も乏しいままで、
 
言葉だけが独り歩きしてしまっているという現状がある。
 
概念や理解が曖昧なままで、無責任な正義を振りかざす、
マスコミや世論の存在がある。
 
現場はいつだって板挟み状態で、
だからこそ余計に、犯人の動機には納得ができない。
 
映画では現場をわかろうともがいた結果、
それぞれの人間を複合的に描こうとした結果、
それでも大筋は原作をなぞるしかなかった結果、
 
伝えたいことがぼやけてしまったというか、
中途半端な作品になってしまったのかなぁと思う。
 
 
#レビュー #映画 #本
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かがみの孤城~赤ずきんとティータイム~

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初見時に圧倒されて、二度見して設定や演出の細かさに驚嘆した。
ああ、この時、一人だけ笑ってないじゃん、とか。
 
きたじま先生が、みんなことを見捨てないのは。
ひとりひとりに寄り添ってくれるのは。
 
ああ、そうか、そういうことだったんだと、ただただ感動している。
 
 
#アニメ #レビュー #映画
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すずめの戸締まり~千差万別の想いは何処へ~③

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これは私が新海誠監督の作品全般に思うことなのだけど。

なんかもう、いろいろと、
詰めが甘くありませんか?っていう。

本人にとっては、
いろいろと細かい設定があるのかもしれないけれど、

それをろくに描きもせずに、
勢いと画力でなんとかしてしまおうとすることが多い気がする。

その上で、映画では描ききれなかったことや、
視聴者に知っておいてほしいことを、「小説」に託そうとする。

「小説」に正解や告知を託そうとする。

正直、いい加減にしてほしい。

映画は映画の中だけで完結させてほしいし、
小説は小説として、個別の作品として仕上げてほしい。

それが作品というものだから。

すずめの戸締まりについての監督への
インタビュー記事で、

震災を描くことで誰かを傷つけてしまうのは
本意ではないとして、

「映画の前に小説を出版して物語を明らかにするなど、
事前告知に注意を払うよう努めた」と書かれたものがあったけど。

そんなん知るかっ!!・・・・・・と思ってしまいました。

今回はよりによって、「答え合わせ」だけでなく、
「重要な事前告知」までも小説でやろうだなんて。

いい加減、この監督を嫌いになってきました・・・・・・。



#アニメ #レビュー #映画
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すずめの戸締まり~千差万別の想いは何処へ~②

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いろいろ拝見した感想の中に、
被災者でなければ、悼んではいけないのか、
悲しんではいけないのか、といった趣旨のものがありました。

自分は被災者ではないけど、
3.11で辛い思いをしたのは事実だから。
被災者へ、被災地へ、祈りを捧げたいのは事実だから。

そんな想いに寄り添ってくれたのが「すずめの戸締まり」だから。

傍観者が傍観者のために
作った映画なのかもしれないけれど、

でもせめて、この作品を通じて、
悲しむのを許してほしい、祈りを捧げることを許してほしい。

そのような趣旨のものを見かけたのだけど。

感想をよく読めば、そのような方の多くは関東在住で、
目の前で照明器具が割れて降り注ぎ、命の危険を感じたり、
帰宅難民となったりといった経験をされていて。

私からしてみれば、そのような方々も、
立派な被災者なのでは?と思ってしまう。

もちろん、程度には雲泥の差があって、
決して一括りにはできないのだけど、

必要以上に、自分を「ダメージを受けていない人」に
分類しなくても良いのでは?って思ってしまった。

怖かったね、辛かったね、って自分に言ってあげて良いのでは?
悲しんで良いし、悼んでも良い。

だけど、それと事前告知無し(あるいは不十分)で公開することを
良しとするのは、違うんじゃないかと。

ましてや、「いつまでタブーでなきゃいけないのか」とか、
「自己責任だろ」とか、「10年も経っているのに、いつまで引きずっているのか」とか、
そんな心ない言葉をぶつけるのは違うのではないかと。

あとはやはり、
実際に起きた災害をファンタジーで描くことの是非。

ここからは、自分が実際に映画を見たのではなく、
ネタバレしている方のブログやツイートを見た上での感想なので、
違っている部分があれば申し訳ないのですが。

過疎化が進めば、風化が進めば、
扉が開いてミミズが出てきて、地震が起きるの?

だからその扉を封じることで、地震を防げる?

なんてファンタジックな。

いや、別に良いんだよ、
そういう設定で起きる災害があっても。

でも、あえて地震にする必要はありましたか?

それも、3.11という実際に起きた未曾有の大震災と
絡める必要はありましたか?

どうしてもこの不思議な設定のせいで、
「震災が後付けに見える」という感想もあったのですが。

どうやら監督は、何が何でも震災を、
とりわけ3.11を描きたかった模様。

だとしたら、発生のメカニズムや防ぐ手立てを、
ファンタジーに頼っちゃいけなかった。

頼るならせめて、
人知の及ばない神様の仕業にすれば良かった。

防ぐ手立てのない天災にすれば良かった。
事実、そうなのだから。

挙げ句に、後の災害は扉を閉めることで回避できるものの、
3.11だけは防げない。

どうして防げなかったのかの描写もしない。

実際に家や家族や友人を失った方がどう思うのかなんて、
想像するまでもないような気がするのですが。

もっとも、一言で被災者と言っても、
状況や考え方は様々なので、
これまた一括りにはできないのですが、

それでも、大いに傷つく人がいるというのは、
想像に難くない。

「被災者ではないけれど、祈りを捧げたいから、
この作品を愛することを許してほしい」という方は、

大事な人や物を失った人を傷つけてまで、
祈りを捧げたいのだろうか。

ある意味、そのような状況に自分が置かれることを
わかって視聴したわけではないでしょうから、

このように思った方が悪いというよりは、
このように思わせた制作スタッフや広報スタッフに責任があると思う。

東北沿岸で被災した方の中には、
この作品を絶賛する方もいるので、

全ての被災者が
傷つくわけではないのかもしれないし、

誰一人傷つかない作品なんて、
無理なのかもしれないけれど。

それでも、これだけ影響力のある制作陣・媒体・上映回数なのだから、
少なからぬ人が傷つく可能性にきちんと向き合い、
できる限りそれを回避しなければいけなかった。

大義名分があれば、覚悟があれば、
辛い思いをした方の傷口を無理矢理こじ開けて、
塩を塗りつけることが正当化されるのはおかしいと思う。

それを「鎮魂」や「弔い」と称するのはおかしいと思う。

覚悟を持って向き合うのであれば、
そこにきちんと向き合ってほしかった。


#アニメ #レビュー #映画
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すずめの戸締まり~千差万別の想いは何処へ~①

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作品そのもののレビューというよりは、
映画のあり方や広報のあり方。

そして、「あの日」に対する様々な想いについて少々。

作品はまだ見ていないし、
今後見るかどうかもわからないけど、

広報のあり方や、
実在の災害をファンタジーとして描いているということに、
思うところがありまして。

ツイッターでは散々呟いているのですが、
さすがに煩すぎるだろうから、そろそろこちらで。

いろいろ眺めていると、本当に、いろいろな意見があるな、
というのが正直なところで。

でも、それでもやっぱり、
事前告知はしっかりしておくべきだったというのが私の意見。

「公式が異例の告知をしているのだから、
それを見て劇場に行ったのであれば自己責任」との意見も目にしましたが。

公式の告知は異例でも何でもないし、
不十分がすぎると思う。

最も注意喚起すべきポイントは
「アラートや震災描写があること」じゃない。

「3.11を直接的に描いている」こと。

そこには何一つふれず、
異例も自己責任もあったもんじゃない。

上記2つがどれほど差があることなのか、
3.11当時、西日本の安全な場所にいた私ですらわかるのに、

どうして私よりも被災地に近い場所にいた首都圏の人間が、
公式が、気づかなかったのか。

あるいは、気づいててもなお、
あえて告知しないことを選んだのか。

映画のメインターゲットである、
3.11を知らない世代に、幅広く届けたかったから。

なのだとは思うけど。

知らない世代に届けることができれば、
知っている世代を傷つけても良いのか。

それも、金縛りにして真正面から突き刺すようなことをしていいのか。

それは、「覚悟」があればしていいことなのか。
甚だ疑問です。


#アニメ #レビュー #映画
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るろうに剣心 最終章 The Beginning

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OVAに比べてメリハリが薄い気がする。

淡々とした物語だからこそ、
メリハリが大事だと思うんだ。

OVAだと特徴的な飯塚が、実写だと印象薄くて、
誰なのかわかりにくかった。

有村巴ちゃんもずっと儚げで、強さが足りない。
一本筋が通った強さや狂気がほしかった。

酒、菖蒲の花、鞘、白梅香。

OVAで効果的に使われていた小道具が、
実写では全く登場しないか、
登場しても生かしきれてない。

アニメと実写だと勝手が違うだろうから、
それぞれの表現方法で良いのだけど、

もっと五感に訴えることができたのではないかと。

最初の刀傷も、
生かしきれていなかった気がする。

巴の中にある憎しみや悲しみ、
殺意をどの時点でどの程度見せるかってのは
やり方次第だと思うけれど。

あまりにも見せなすぎたかな、と。



#レビュー #映画
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君の膵臓をたべたい

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タイトルがインパクトありすぎて、
もっと凄惨だったり悲劇的だったりするのかなと思ってた。

もっとも、そういう印象を持たれがちだけど、
実は違うんだ、という前情報も軽く見聞きはしてたのだけど。

思った以上にコミカルで驚いた(笑)

あと、初っ端から「葬式には行かなかった」で始まったものだから、
行かんかいっ!!と突っ込んでしまった。

現実から目を背けたくなるのはわかるけど、
受け入れたくない気持ちもわかるけど、

でも、きっと「僕」にとって
「彼女」はすごく大切な人だったのだろうから。

「彼女」のために、行ってあげてほしかった。

でも、そこら辺はきちんと終盤で、
フォローというか、挽回をしてくれたので、

これはこれでありかなと。

自分は誰それに会うために生きてきた、
誰それと会えるのをずっと待っていた、という表現も、

今や非常に青臭く感じてしまうのだけど、

ふたりは高校生だから、
まあ、これもこれでありかなと。

彼女の死因だけが非常にもやる。
え!?そっち……!?っていう。

今思うに、きっとそういう反応を期待して
この設定にしたんだろうなぁと。

でも、あえてそういう設定にしたのたら、
もっと背景や「その後」に触れてほしかったなぁ。

あまりにもさらっと行き過ぎて、
え!?その理由で死ぬ必要あった!?って思ってしまった。

あまりにも唐突すぎて、
心が追いついていかないというか。

でもそれはきっと「僕」も同じだから、

視聴者を「僕」と同じ視点に立たせることに
成功したわけではあるんだけど。

でも、もっとこう、
ニュースや新聞のカットを入れるとか、
「僕」がそれを拒絶する描写を入れるとかした方が、

すんなり入って行けたかなぁと。

「彼女」の母親役は、まさかの和久井映見さん。

彼女が出てるって知らなかったから、
声聞いた途端、テンション上がって、

若干、物語の世界から現実に舞い戻ってしまった(笑)

でもすごく包容力のある素敵な声だった。
優しい母親役が板についているなぁと。

「僕」の葛藤がもっと描かれた上であれば、
もっと心にじんと来るシーンになっていたかも。

「僕」が心を整理するのに時間がかかったように、
視聴者にももっと時間を与えてくれれば、なお良かったなぁと。

それにしても、ちょくちょく出てくる同級生、
名前調べたら、「ガムくん」って(笑)

可哀そうだから名前つけてあげてって思っちゃうけど、

「僕」にしてみたら、
「ガムくん」以上でも以下でもなくて、

そこがミソなのかもしれない。


#アニメ #レビュー #映画
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