タイムトラベルとパラドックス
Nov
13
小説を書く暇がない……。
続きを待ってくださっている方、
本当にごめんなさいm(_ _)m
いつかそのうち、必ず書こうと思ってるので、
気長に待っていていただければ……。
特にタカマ二次小説の澪標シリーズについては、
必ず完結させたいと思っているので、
どうか見限らずに、
気長に待っていていただけると助かります。(>人<:)
さて、まさにその執筆が途中となっている
澪標シリーズ第三部「廻り舞台と紡ぎ歌」。
この中で重要なテーマとなっているのが、
いわゆる「タイムトラベル」です。
ドラえもんやら何やらの影響で、
昔っから好きなんですよ。
「あの日に戻りたい」を実現可能とする設定と、
戻った先で「未来」を変えられるか否か、
変えていいのかどうか、っていう観点が。
中学か高校の時には、
「タイムパラドックス」という言葉に惹かれて、
いろいろ調べた記憶があります。
「廻り舞台と紡ぎ歌」で
橋姫さまがやろうとしていることもまさに、
「親殺しのパラドックス」とその回避です。
自分が生まれる前に戻って、
自分を生み出した存在を亡き者にする。
それが実現できれば、
「自分」は生まれないわけだから、
「未来の自分」が過去に戻ることもできず、
「自分を生み出した存在」を
亡き者にすることもできなくなる。
だから、何度「相手」を殺しても
「相手」は死なず、
「自分」が生まれてきて、
再び過去に戻り、
「相手」を殺すも「相手」は死なず、
再び「自分」が生まれて……と、
無限のループを繰り返す。
これが「親殺しのパラドックス」。
そして、様々なSF作品では、
この矛盾を回避する手段として、
「相手」を殺そうとした際に、
ナイフが折れて殺せなくなるなど、
「どんなに頑張っても歴史の改変ができない」
という設定にしたり、
あるいは、歴史の改変はできるものの、
歴史の改変により時間軸が分岐し、
元の世界と並行した別の世界が生まれる、
いわゆる「パラレルワールド」の
概念を用いたりしています。
さて、「廻り舞台と紡ぎ歌」ではどうか。
読んでくださった方はご存じのとおり、
歴史の改変はできるものの、
それをしてしまえば、
時空に歪みが生じて、
世界が滅亡します。
「過去に遡って今と未来を変えたい」。
そんな人間の欲望を利用して、
世界を滅亡へと導く装置。
それがこの作品の鍵を握る
「時の石(ツァイト・ストーン)」なのです。
この設定、かれこれ10年近く前に
考えたのだけど。
個人的に、なんだかものすごく
タイムリーだ……。
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