「転職の魔王様」の著者、
額賀澪さんの小説「青春をクビになって」。
たとえば、高校の部活を辞めた時のことだったり、
大学卒業後の進路を見直した時のことだったり。
「何か」を諦めたときの記憶がよみがえる作品。
でもだからこそ、登場人物、
特にキーパーソン・小柳博士が、
純粋無垢にただ一つの夢だけを追い続けた結果に、
もやもやしてしまった。
多くの人間は、もっとずっと早い段階で、
いろんなことを諦めているし、
諦められない場合は、もっと違うルートがないかと、
必死になって探している。
時に、夢そのものの形が変わることもあるし、
夢への関わり方が変わることもある。
それこそ、ドラマ版「転職の魔王様」の最終回みたいに。
だからこそ、現実とギャップのありすぎる夢を、
抱いた当時のままの形で、
それもたった一つの道だけを信じて、
追い続けようとする姿に、その末路に、
どうしても共感ができなかった。
主人公・朝彦にしても、
「夢の諦め方を誰も教えてはくれない」というけれど、
それはたまたま、彼らの周りには、
諦めさせてくれる人間や環境が少なかっただけだと思う。
私がこの本に手を伸ばしたのは、
まっすぐに一つの道を追い続けてきた人間が、
初めて別の道を模索する過程を知りたかったのではなくて、
別の道を模索した人間がその先で、
どうやって夢と現実に折り合いをつけていくのかを知りたかったから。
でもこの作品では、それは見えない。
ほんの少しだけ、主人公の友人・栗山には
そのような側面があるけれど、
十分に描かれることなく、物語は終わる。
途中下車したことがない人間が、
初めて途中下車を決意する。
そこに重点を置いた作品なのだと、
読み終わってから気づきました。
あまりにも小柳に共感ができなくて、
ずっともやもやしていたのだけど。
物語を頭の中で反芻したり、
実際に読み返したりするうちに、
やっと気づいた。
ああ、この人はきっと、
生まれ変わりたかったんだ。
一度ゼロに戻って、
人生を一からやり直したかったんだ。
古事記に描かれた、国生みの瞬間に、
その様子を表すオノマトペに、
ずっと惹かれていた小柳博士。
彼は、ずっと追い求めてきた「夢」に
区切りをつけるために、
生まれ変わるために、
あの行動を取った。
そう考えたら、ものすごく納得がいったし、
共感が沸いた。
でも、そうであるのなら、なおのこと。
「その先」を知りたかった。