あまり閲覧されていないNews・ 朝日新聞阪神支局襲撃事件
May
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日付: 1987年(昭和62年)5月3日, (国民の祝日:憲法記念日), 午後8時15分
死亡者: 1人 負傷者: 1人
赤報隊(犯人)の犯行声明文が、1987年5月6日【時事通信社】に送られて来た
赤報隊の意味
戊辰戦争時の官軍先鋒隊の一。三隊編制で,一番隊は相楽 (さがら)総三を隊長とし,年貢半減を布告しつつ中山道を東進したが,総督府から偽官軍とされ,1868年三月,相楽らは信濃国下諏訪で斬られた。
当時の内閣
内閣総理大臣: 中曽根康弘(自由民主党)
ロナルド・ウィルソン・レーガン(共和党)
ロン・ヤスの蜜月時代(ロンはRonald Reagan元アメリカ大統領・ヤスは中曽根泰弘元首相)。レーガン大統領が訪日した際、中曽根さんとロン、ヤスと呼びあったという話)
左派系の朝日新聞に天誅の意味もあった? と推測される。
赤報隊
戊辰戦争で錦の御旗の薩長が官軍。赤報隊は偽官軍の認識で官軍から斬首される。)。
朝日新聞阪神支局襲撃=赤報隊=偽官軍(政府関係組織)犯人逮捕には至っていない。
事件は勿論時効であるが、朝日は35年目の5月3日に、誰しも忘れて関心がないこの事件を Microsoft Start に掲載した。
勿論Webが無い時代で、この報道は「新聞・TV・週刊誌」で、50歳の岩魚太郞も関心を持ってこのNewsを見ていた。それから35年、ひっそりと Microsoft Start の最後尾に掲載されているこの記事を目にした。
勿論このNewsを意識して探していたわけではない。
カーソルを一番下に下げ、一番下にあるNewsはどんな内容? と興味があり、そこに掲載されていた記事がこの記事である。WebNewsも最初のPageは最新版であるが、35年前の、朝日新聞阪神支局襲撃事件の記事を目にした時は、その驚きを隠しきれなかった。
何故か運命的な意識を自覚した。
岩魚太郞8歳
太平洋戦争末期の1945年7月26日深夜から翌日未明にかけて、愛媛県松山市が受けた空襲で、その当日午後5時頃、わざわざ空襲を受けるために松山に到着した。
その夜、防空壕に「よそ者」だと言われて入ることを拒否され、焼夷弾と爆弾の降る中、地理の知らない市内を逃げ迷った。
運命のトラウマ
翌朝、防空壕に入って人々は入り口を焼けた家屋に塞がれ全員死亡。
「よそ者」だと言われて生き残った岩魚太郞も・・・85歳である。
出合いの運命
このひっそり隠れるようにした「朝日新聞阪神支局襲撃」記事も、2022年5月3日の意識なくカーソルを下までもっていった行動も、運命の出合いと認識した。
このNewsも、5月3日(火)でなければ閲覧出来名なかった。
運命とは選択肢の無い偶然である
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