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国鉄があった時代、日本国有鉄道史

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国鉄誕生と鉄道事故 第2回 混乱期の事故

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当時の鉄道事情…実際にこのよう... 当時の鉄道事情…実際にこのような実態もあったと言われています。
 終戦当時はその疲弊した設備もあいまって多くの事故が発生し、事故の無い日のほうが珍しいと言われるほど混乱していました。
詳細は、幣ページの昭和20年からを見ていただくとして、多くの事故が発生しています。
 これには、戦時中の酷使などで発生したと思われる蒸気機関車のボイラー破裂事故などもあります。
 主だった鉄道事故を拾ってみても
 肥薩線内トンネル事故 8/22
 荷重超過のため上り勾配のトンネル内で立ち往生した列車をバックさせようとしたところ、既に列車を降りて線路を歩いていた乗客と接触し49人が死亡、20人が負傷した事件であった。
 八高線 小宮~拝島間八高線で正面衝突 8/24
 買出しで満員の列車が、小宮~拝島間の多摩川鉄橋上で衝突、104人が死亡した事故
 これは、前日の台風の影響で通信が途絶えており、本来であれば指導式と呼ばれる運転方法を行うところこれを行わずに列車を発車させてしまったために起こった事故で、保安の基本が判っていない事故であった。
 ボイラ破裂で機関車転落 10/19
 醒ケ井駅構内で、D52形蒸気機関車のボイラーが爆発、機関車は近くの川に転落、この事故で乗務員2名が即死、一人も後に死亡の事故
 この種の事故は当時多発したとされており、今後調査の上まとめていければと思っています。
 東海道線の列車追突事故 11/19
 山科駅で停車中の普通列車に、貨物列車の機関士が居眠り運転で追突。6名が死亡
 津山線 車軸折損による脱線事故 11/27
 など・・・・
他にも、昭和21年6月4日には、中央線 東中野~大久保間で急行電車が走行中に木製ドアを破損、数人の乗客が転落死という事故も発生しています。当時の電車は、ガラス窓は無くて板を釘で打ち付けていたりといった車両が多く、この事故がドアの鋼製化を進めるきっかけとなりました。

画像は、youtubeのキャプチャーです。

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国鉄誕生と鉄道事故 第1話 国鉄の復興

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国鉄誕生と鉄道事故 第1話 国...
少し時代を戻して、終戦直後のお話をしたいと思います。この章は概ね昭和20年から昭和25年頃までのお話です。

戦争で交通機関等も破壊された日本において、最低限必要な旅客・貨物輸送を確保するのは喫緊の課題でした、大量輸送という点では内航海運は有利でしたが、戦争中に徴発されたこと、港の破壊などで早急な復興は無理であり、自動車輸送にあっても早急な改善は無理なことから、必然的に鉄道輸送を早急に復旧させる必要がありました。
このため、政府は終戦と同時に鉄道復興5ヵ年計画を立て、国鉄の復旧に全力を注ぐこととなりました。
 その内容としては車両の新製(1,259両)、被災車両の復旧、被災軌道の復旧、電化工事の推進などでした。
 特に電化工事は戦前は、国防上の理由から中々進展していませんでした。
 国鉄(当時は運輸省)でも、戦時中の輸送制限(切符の発行枚数の制限など)を緩和と乗車秩序の確保策をとりますが、中々思うようには復旧は進みませんでした。
といいますのも、肝心の資財を提供できる工場や施設が破壊されているわけですから思うようには進まないわけです。
 特に資財では鉄材が不足し老朽化したレールの更改などが中々進みません。

政府は、昭和23年復興計画の見直しを行い、鉄道・石炭・鉄鋼・電力を重点産業部門として位置付けることに成り、その復興が推進されることとなりました。
 これにより車両の生産及び修繕能力は戦前の水準にようやく回復することができましたが、実際の車両の生産や電化などはドッジラインの影響で中々思うように進みませんでした。
終戦直後の国鉄の輸送人員は一日平均で約700万人、戦争中に比べ15%の減少でしたが、旅行制限の緩和などで次第に輸送量は増えて戦時中を凌ぐ状況となってきました。
 昭和20年12月以降、石炭危機が発生し、列車に一部を削減せざるを得ない状況となりました。
 さらにそこに買出し客が増えるうえ、敗戦に伴う人心の荒廃から乗車秩序は乱れ、混乱状態に更に拍車をかけることとなります。
このため、輸送力を確保するため昭和21年度には急行列車廃止と2等車(現在のグリーン車)の連結中止、学生定期の使用禁止、遠距離旅客の抑制といった規制を再び設けざるを得なくなりました。
これは戦時中に、日本に徴用された朝鮮・中国人労働者の就業拒否などが原因と言われていますが詳細は、今後さらに勉強したいと思います。

これに伴う、関連資料はhttps://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00751.php。昭和21年度下期石炭危機突破対策 国立国会図書館の資料を参照 しています。
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講和条約と国鉄 第4話 特需景気にわく国鉄

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ソウルで行われた大韓民国の国家... ソウルで行われた大韓民国の国家成立記念式典
画像 Wikipedia
朝鮮特需は、日本の経済を急速に復活させる効果をもたらせました。
 特需によって輸出は大幅に増加し、外貨保有高も昭和24年末の2億ドルから、昭和26年には9億4200万ドルへと大幅に急増し、荒廃した日本経済は急速に立ち直りを見せました。
生産水準は、昭和25年には既に戦前のそれを上回りました、これに伴い交通機関も相当の輸送力が要求されました。
旅客輸送についても、在日アメリカ人軍の朝鮮半島への出動開始とともに大量の兵力を短期間に輸送する任務が国鉄に課せられることとなり、国鉄は全力を傾注してこれにあたりますが、これは国鉄始って以来の規模となり、太平洋戦争中の日本軍兵士の輸送量をはるかに上回るものでありました。
貨物輸送は、朝鮮戦争勃発の翌日6月26日から弾薬輸送が開始され、その後も火薬庫のある陸前山王・逗子などから瑞穂・筑前芦屋・小倉等への火薬輸送、赤羽からは戦車輸送が開始されるなど臨時貨物列車は日を追うごとに増加しました。
 第3鉄道司令部は国鉄に対し、ある程度形式を揃え指定の地区に貨車を集結させるように指令を発し、その対応に追われた他。現地部隊から直接国鉄の現業機関に対して要求が出されるなど、個々勝手に割り込んでくることとなったため国鉄の輸送は一時期大混乱となりました。
特に兵器・弾薬の出港駅であった横浜港や、物資積出の小倉・博多駅など、兵員出港駅の門司・佐世保駅などは収拾不可能なほどの混乱状態となりました。
7月下旬になるとようやく落ち着きを見せ始め混乱は次第に収まっていくのですが、朝鮮戦争は中長期戦の様相を見せ始め、軍需輸送は恒常的なものとなっていきました。
このため、国鉄では昭和25年10月1日にダイヤ改正を行い、貨物列車の輸送力増強を図るとともに「貨物輸送能率向上運動」を展開していきます。軍需輸送は、昭和27年の休戦交渉から漸次減少し昭和28年7月の休戦でようやく終了となりました。

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講和条約と国鉄 第3話 講和発効に向けて動く政府と組合運動

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三池争議 wikipediaか... 三池争議 wikipediaから引用
講和条約発効に向けて、政府は労働法規の改定や新しい治安体制を確立すべく行動に出ました。
 特に破壊活動防止法等は、その際たるものでありました。→ 公安審査委員会設置法 公安調査庁設置法 などの制定でした。
総評では、これら政府の動きに対抗すべく労働法規改悪反対闘争委員会(労闘、以下略す)が組織され、昭和27年には活発な活動が行われ、4月12日には、第一波の労闘が組織されました。
 これは最初の政治ストであり、従来の本来の労働運動としてのストとはその意味合いを異ならせるものでありました。
 その後公務員等のストには、こういったストライキが増えていきますので注目しておいてください。
4月18日にも同様の第2派のストライキが実施されました。
 その後5月にはメーデーに参加した労働者と警官隊が衝突した血のメーデー事件が起こっています。
その後政治的運動は影をひそめていき、炭労(炭鉱労働者)や、私鉄などから職場闘争が展開されて本来の労働運動の形が整えられていきました。

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講和条約と国鉄 第2話 朝鮮戦争の勃発前夜

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昭和28年2月の時刻表から、そ... 昭和28年2月の時刻表から、その後「西海」の愛称が付与される。
朝鮮戦争と講和条約

朝鮮戦争は、アメリカとソ連の代理戦争というか、資本主義VS社会主義(マルクスレーニン主義)の戦いとして、朝鮮半島を舞台に繰り広げられたことは皆さん良くご存知のこととは思います。
先にも記しましたように、この戦争は日本の戦後を大きく軌道修正させるものとなりました。
終戦当初のGHQの方針は、日本には軍備を一切認めないで、また経済復興もそこそこにという程度にしておくという方針でありました。
しかし、朝鮮戦争勃発後は、日本を防共の砦としての役割をを持たせることにその方針を大きく変更せざるを得なくなりました。
(既に中国は革命が成功し、大陸は社会主義国家が成立していました。)、それが警察予備隊の創設であり、共産党の再度非合法組織としての弾圧などという形であらわれたのです。
また、朝鮮戦争は国内において、朝鮮特需を発生させ、国内は活況を呈していきました。
日本国内は、朝鮮戦争のアメリカ軍の前線基地としての役割を持つこととなり、物資の補給と輸送、兵器類の修理などが日本で行われることとなり、空前の朝鮮特需を受けるとともに、共産党の弾圧が実施されました。
そんな中、 昭和26年1月、社会党(現・社民党)は大会を開き、左右両派の大論戦の後「講和三原則」を採択しました。
 「講和三原則」・・「全面講和」・「中立堅持」・「軍事基地反対」の方針でした。そして、それを受ける形で総評は同年3月の第2回大会で、「再軍備反対」を合わせた平和4原則を採択、政府が再軍備を進める中で、次第に左傾化していく総評の姿がありました。
朝鮮戦争は、先にも記しましたように日本の世論を二分することとなり、あたかもこのためだけに革命が起こりかねない雰囲気であったことも事実でした。
講和条約自体は、全面講和の声を無視して、昭和26年9月にサンフランシスコで対日講和会議が開催され、部分講和の条件のもと、講和条約と、日米安全保障条約が結ばれました。
このときの会議には、中国は招かれず、ソ連、インドは調印しませんでした。
講和条約は、11月18日、日本の国会で批准され、昭和27年4月28日は批准書も交換されて発効、これにより日本は7年ぶりに自主独立を果たすこととなります。
これに先立ち、悪評高かった民間運輸局(CTS)の廃止、進駐軍特別列車等の特殊列車化(条件付ではあるが日本人の乗車も可能)などがおこなわれましたが、まだまだ日本人が自由に旅行できるといった雰囲気ではありませんでした。
なお、国内に目を向けてみると、経済の復興を最優先に(これは日本の望んだ道でもあり、アメリカも期待していた方向)した講和条約ですが、社会党(現・社民党)の中では、部分講和に賛成するものと、あくまで全面講和にこだわるもの。これにより社会党の中には社会党左派と社会党右派(これは後に分裂し、社会党右派は、旧民社党を結成します。)とに分裂する事態となりました。



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講和条約と国鉄 第1話 朝鮮戦争の勃発前夜

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C62 戦後D52を改造して製... C62 戦後D52を改造して製作された日本最大の旅客用機関車
占領軍の日本に対する政策は、経済の復元を限度としており、積極的に復興を支援するというものではありませんでした。
 あくまでも、昭和の初め頃程度まで復興することを念頭においたものであり、過度の経済力が一点に集中しないようにすることが主たる目的とされたため、財閥解体や農地解放(これは戦前からも運動としてはあった)等が行われたことは周知のとおりです。
 GHQは、インフレーションを抑制し経済を安定化させるため、ドッジ公使を迎え、収支均衡を保つ超縮小均衡予算を打ち出し、インフレは収束に向かっていきましたが、消費の抑制と産業資金供給の縮小は、体力の弱い中小企業を直撃し、安定恐慌から失業者の増加による社会不安が増大されました。
これにより失業者は昭和25年6月には43万人にもなりました。
このときは、国鉄でも新車の導入などが大幅に抑制されたのは周知のとおりです。
また、当初は日本の軍事産業を含む軍関係は全てを撤去する予定であったのが、次第にその様相が変化してきました。それは朝鮮戦争に代表される米ソの関係の悪化です。
中国は、昭和24年10月蒋介石率いる国民党軍が毛沢東率いる紅軍に敗れ、社会主義国が誕生します、アメリカとしては、日本にその地理的条件などから戦略的価値を見出したのかもしれません。さらには昭和25年6月25日に突如勃発した朝鮮戦争は日本の進むべき方向を完全に180度転換させることとなりました。
これにともない、GHQの政策は大きな変化を遂げていきます。
 すなわち、経済復興を大幅に認めアメリカの防波堤にすべき構想に変化したのです。具体的には、軍需施設関係工場の保存と重工業の復興を認めたことでした。
 また言論・集会の自由も抑圧されていきます。
 さらには、昭和25年7月、日本政府に警察予備隊の創設を指令するとともに、国内の政治労働運動に際しても共産党を中心に弾圧を行うなど共産党に対する態度も硬化させていきます。
 共産党幹部の一部が公職追放され、「アカハタ」や「前衛」が発行禁止処分され、さらには共産党系の組合の集合体であった、全労連への解散命令が出されました。
マスコミ関係などでもレッドパージのあらしは吹き荒れていました、そして世間では講和の機運も高まっていったのですが、全ての国と講和条約を結ぶ、全面講和と、ソ連など講和に反対する国を後回しにする、片面講和で、国内世論が二つに分かれてしまいました。
これは国鉄内部でも同じで、国労内で「全面講和派」と「片面講和」で分裂の危機を生むこととなりました。
なお、この点はまた後ほど詳しくお話したいと思います。

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労働運動と国鉄 第6話 機関車労組誕生

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日本初の国産電気機関車 EF5... 日本初の国産電気機関車 EF52
国労の分裂
  
かっては、鬼の動労と恐れられ、国鉄末期に労使協調路線に翻意した動労という組合のついて記述していきたいと思います。
 動労は、元々は国労の中にあった機関車乗務の組合員が中心になって昭和25年に分裂した組織であり、当初は「機関車労組」と名乗っていました。
その後電車列車や気動車列車などが増えてきたことから、名称をより実態にそった「動力車労組」と変更しました。
  何ゆえ、国労から、動労は分離したのでしょうか?
 それは、戦前にまで遡らなくてはなりません。元々、機関車乗務員は開業当時に外国人機関士を雇い入れた経緯からと思われますが、駅長と同じ判任官待遇(官吏としては最下級、軍隊では下士官が相当)でしたが、戦後は民主化の中で位階勲等は廃止、(その後勲章などで勲等は復活しています)されたこともあり、機関士の賃金も他の職種と同一賃金となったことに不満を感じた機関士などが、「戦前・戦中の優遇回復」を第一の目的として分裂したものでした。
そのため、国労と思想的には全く同じです、社会党(現・社民党)を支持し、総評に加盟するというわけですから。
 その後に発足する、鉄労は全く思想的に別物だったのですが、鉄労と動労が急接近し、国労から一線を引くというのも不思議な気がしますね。
なお、組合の分裂には、国鉄当局の運転局が裏で支援しており、昭和28年の参議院選挙で当選した国鉄運転畑の大御所的存在であった、輸送局・理事を歴任した木島虎蔵氏を組織内として精力的に応援、木島氏も「俺の組合」などといっていた。
ただ、素朴な疑問として、組合運動に当局側が積極的に(直接的では無いとしても)分裂を応援すると言うのはおかしなことだと思います。

格差賃金の獲得

国労から、分離した動労は、当初は非常に穏健派であり、当局とも非常に良好な関係を続けていた。昭和32年には動力車乗務員の賃金は300円ではあるが高くなりました。

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労働運動と国鉄 第5話 2・1ストが残したもの

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2.1ゼネスト 画像 wiki... 2.1ゼネスト 画像 wikipediaから
2・1ストは、GHQの圧力で中止されたが、その結果は労働運動の再編という形で実現されました。 3月10日には、総同盟・産別会議・国鉄総連合など28組織、446万人が参加した、全国労働連絡協議会(全労連)が結成された、これは当時の組織労働者の84%を包含するものでした。
 ただし、全労連の運動は、運営において、全員一致制などの制約から運動体としての役割は十分ではりませんでしたが、二つのナショナルセンター(「総同盟」、「産別会議」)を含む、組織労働者が単一組織に統一できたことの意義はきわめて大きかったといえます。
 ただし、総同盟は昭和23年6月には全労連を脱退しています。
また、2・1ストは賃金面でも大きな成果をあげることとなりました、それは大幅な賃上げに成功したことです。 1月の交渉時に、官公労働者の平均賃金600円に対し、5月には一挙に3倍弱の1600円という大幅賃金を獲得しました。
また、国労、全逓などは組合側に有利な包括的団体協約などを勝ち取りました。(ただし、この包括的団体協約がその後の組合運動の微妙な影響を及ぼしていくことになるので注目していただきたいと思います。)
  このように、当初は純粋に賃上げ闘争等、食べること、生きることから始まった労働運動は、共産党の思惑、GHQの思惑を絡ませながら次第に左傾的、政治的な色合いを帯びていくのですが、これはまた後ほど章を改めて


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労働運動と国鉄 第4話 2・1ゼネストの中止

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NHKでゼネスト中止宣言をする... NHKでゼネスト中止宣言をする伊井弥四郎委員長 wikioedia参照
戦前は、認められていなかった労働者の権利が労働組合法や、労働基本権を確立する労働基準法などが整備されるなかで労働組合運動は急速に発展しました。21年8月には、日本社会党系が中心となった、都道府県単位で結集した日本労働組合総同盟と、共産党が指導する21の産業別労働組合会議が発足したことは前述のとおりですが、その中で目立った行動をとっていたのは、共産党が運動の中心にあった産別会議です。産別会議は民間労組の賃上げや団体協約の締結等の要求を中心とする10月闘争を行いました。この戦いでは東芝を中心として行った電産労協が、電産型賃金と呼ばれる生活給を確保することに成功しています。
 この成功を受けて官公労組も同様の闘争を組織していく事となりました。官公労で中心的存在だった国鉄総連合、全逓(現・JPUであるが。組織は全く別物と考えた方が良い。)、教職員組合等の諸組合は、全官公庁労組共同闘争委員会(以下、共闘委と略す)を結成しました。このときの委員長は国鉄総連合の伊井弥四郎でした。
 昭和22年年頭吉田首相は、ラジオの放送で「労働左派一部指導者を指して、「不逞の輩」と発言」、この発言が労働者の怒りを買うことなり、争議は賃金闘争から、政治闘争へと変容していきました。これを受けて社会党・共産党も内閣打倒の方針で組合の支援を決定。共闘委のゼネスト宣言拡大共闘委員会は、1月8日、2月1日午前零時に無期限スト突入と宣言しました。
 いわゆるゼネラルストライキと呼ばれるもので、官公労働者260万人を含む400万人と言う空前の規模のストとなるはずでした。1月22日、GHQ経済科学局マーカット少将は、「ストライキを実施しないよう警告。」理由は経済的要求でストを行うのは認めるが、政治的に結びつけることは認められず、占領目的に違反する行為であると言う理由からでした。しかし、共闘委はこれを勧告程度に受け止めていたためストの準備を進めていきました。
 1月30日になって、GHQは、口頭でゼネストの中止命令を発しましたが、これを拒否。さらに1月31日には再び文書で中止命令が出され、伊井共闘委員長はGHQの監視のもと、スト中止の全国放送を行い、「1歩前進、2歩後退」の名言を残し、ストはあっけなく中止となりました。
 このストの挫折は、労働運動にとっても大きな転機となりましたが、これによる成果も大きいものがありましたがこれについては項目を改めたいと思います。



併せてご覧ください  国鉄労働組合史詳細解説7
https://whitecat-kat.hatenablog.com/entry/2015/02/14/121126

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労働運動と国鉄 第3話 国労誕生とナショナルセンター発足

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国労マーク 国労マーク
国労の誕生

統合組織への機運が高まった昭和21年、2月27日には北陸の片山津で「国鉄労働組合総連合会」の結成大会が開催され、同年3月15日、東京の飛行会館で第一回の国鉄総連合中央大会が開催されました。これが国労の前身となる国鉄総連合です。
 この大会で発表された組合員数は50万8,656人で、国鉄全従業員の96%に達しました。
 これは、省電闘争のために、全国鉄単一労組準備会が東京の地方協議会から除名されていたためです。

ナショナルセンターの発足

昭和21年8月全国には、単位労働組合を都道府県別に結集した、戦前の総同盟の流れを汲む日本労働組合総同盟(略称「総同盟」)、21の産業別単位労働組合連合組織として共産党の影響力の強い、全日本産業別労働組合会議(略称「産別会議」)が発足しました。
 政党的に見ると。「総同盟」が社会党(現・社民党)系、「産別会議」が共産党系という棲み分けとなっていました。
 そういったなか、戦時中に多くの人を採用した海員と国鉄では人員整理の方針が政府から発表されました。
 国鉄の場合戦時・戦後直後に受け入れた人員及び、復員兵等受け入れで膨れあがった人員を整理するため、約75,000人が対象となりました。
 当時の国鉄職員が約51万人ですから、いかに大量であったかとわかっていただけると思います。
 ただし、その内訳は戦時中に採用した女子職員や、年少者(戦時中は満14歳で国鉄に就職した人も多数居ました。)が対象でした。
 国鉄総連合は闘争委員会を組織し反対闘争を開始します。一部に反対はあったものの国鉄総連は9月15日ゼネストを予定、9月14日当局側が整理案を撤回すると言うことで妥結。この問題についてはひとまず終止符が打たれました。しかし、この問題はここで解決したわけではなく、当時のハイパーインフレの中、運賃収入に対する支出が1.7倍さらに、戦争で破壊された設備の復旧や連合軍専用列車の運転などの負担などで収支は全く取れていませんでした。
 当然、これがその後の大幅な人員整理の対象となっていくのですがこれは後にお話したいと思います。

動画でも配信中


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