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生産性運動と国労 生産性運動中止へ マスコミと連携した国労の反撃 第五話

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国鉄の生産性運動は、当局の不当労働行為があったとして連日のマスコミによるキャンペーン等を通じて、その実態が
 
 
 
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生産性運動と国労 生産性運動中止へ マスコミと連携した国労の反撃 第四話

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生産性運動に関しては、労使双方... 生産性運動に関しては、労使双方の話し合いが重要では無いのかというのが新聞の一般的な論調でした。画像は、国鉄部内紙 国鉄線1971年11月号から、世論アラカルトから引用
長らく開けてしまいましたが、久々に更新させていただきます。
何故か、アップするときに消えてしまうようで、下書きを残していませんでしたので再度一から書き直しとなりました。
 
国労はサンケイ新聞以外には、積極的に情報を提供
 
さて、国労は潤沢な運動資金もあることから本格的な反撃に出ることとなり、当時の金額で1億円を投じてマスコミ対策を行うこととなりました。〔前述〕
特に、国労は情報を敢えて小出しにすることで、ほぼどこかの新聞が記事にしてくれるようになることを狙ったもので、鉄労編纂の「国鉄民主化への道では下記のように述べられています。
面白いのは、毎日新聞・朝日新聞・讀賣新聞には小まめに情報を提供する反面、サンケイ新聞には殆ど情報を流さず、当時のサンケイ新聞の記者は他社にやられっぱなしだったと述壊していますが、むしろそれは誇るベキコトだったのでは無いかと主張しています。
国労のある幹部は、「記者のたまりへ行って、少しずつ話題を提供した。一度に大きく出るより、毎日でたほうが効果がある」と話していた。全体を書かず、一部だけ書いて、世論をリードする。「書かざるウソ」でもあった。<br>
生産性運動支援の「サンケイ新聞」経済部デスク〔当時〕の吉井匡明が、「マル生の時には、うちは抜かれっぱなしで弱った」と話していたが、国労は「サンケイ新聞」には趣向を凝らした記事〔全体から見たらウソになる記事〕を提供しなかったのだろう。「抜かれっぱなし」は当然で、むしろ名誉と言うべきだ。
これはあくまでも個人的な感想ですが、購読者も多い新聞を巻き込む方がより世論に訴えられると考えた、国労の戦略と言えるかもしれません
 
マスコミによる生産性運動批判の記事は9月から
 
国労の記事が最初にアップされたのは1971年9月16日に北海道苗穂工場での不当労働行為が有ったという記事からであったと。国鉄民主化への道では書かれています。
そして、その後も連日のようにこうした記事がアップされたと書かれています。
そこで、国鉄部内紙の「国鉄線」という冊子を参照しますと、各新聞が社説で国労の情報をベースとした論調で、国鉄当局を批判していると思える記事を掲載していましたので、以下に新聞社毎にアップしてみたいと思います。
 
各新聞社は社説で生産性運動を批判
 
9月24日 東京新聞 社説
火の車の経営に苦悩する国鉄当局が、その改善のための一方法として生産性を向上させようとする事情は理解にかたくない。しかし、問題はその進め方である。国労、動労を闘争至上主義として敵視し、一方、鉄労を協力的として保護するような印象を与えるならば、国労、動労の反発を招き、生産性向上の目的はとうてい達成できまい。国労、動労を過激にさせた根因には、公企体労働者の労働基本格が制限されていること、その制限に当局側が寄りかかって安易で一方的な労務政策を進めてきたことに対する不満の累積があることは否定出来ない・・・・</blockquote>
国鉄当局が国労・動労を闘争至上主義として敵視しているとして批判
 
9月29日 毎日新聞 社説
生産性運動の基本的な考え方は、ILOのフィラデルフィア宣言から出発し、人間性尊重の労使関係を柱としたものだが、国鉄当局がこの運動に取組んだのは赤字財政の再建対策が直接のきっかけであった。・・・国鉄の現状は生産性運動本来の趣旨から大きく逸脱した方向に進んでいると思う・・・マル生運動が労使関係をゆがめているのは、実権をもつものによっての"強権政治"的発想、それに管理者の家庭訪問が示すような労務政策の前近代性が根底に流れているからである・・・こうした発想を捨て、いかに労使関係の相互信頼を回復するかという観点から、この運動を出直すべきであろうがあることは否定出来ない・・・・
 
国鉄の生産性運動は最初のスタートが赤字対策ありきからスタートしている点に関して指摘しており、これ自体はある意味では正論と言える部分でもありますが、強権的発想というのは些か言いすぎではないかと、個人的には感じています。
 
10月1日 讀賣新聞 社説
生産性向上運動は、民間企業の場合、組合員の企業意識と結びついて比較的スムーズに受け入れられた。これを国鉄のような独占の公営企業にストレートに持ち込んだところに、そもそもの問題があったのではないか。官僚的な労務政策で押し切ろうという当局と、イデオロギー的に反対する組合の問には対話さえも失われてしまったかのようだ。
人間性尊重の労使関係を目ざす生産性向上運動が、死を招く運動になっては救いよう、がない。労使とも頭を冷して、事態解決のテーブルについてもらいたい・・・・
 
讀賣新聞は論調的には、双方の冷静な判断を求めるという意味では比較的中立な見解と言えます。

同日朝日新聞も社説として生産性運動に関して言及しています。
 
10月1日 朝日新聞 社説
気にかかることの一つは、生産性運動が「良識者」を育成する運動にすりかえられていることである。元来、所属する労働組合を基準にして「いい職員」「悪い職員」と色分けするやり方は本質的に誤りだと思う。重要なことは全員が誇りある再建にかかわっているという共通の認識を生み出すことではないか・・・・国労も硬直的な姿勢を変えてほしい。険悪な国鉄の労使関係も、原因の大半は双方が全く意思疎迎を欠いていることによる。ストの時だけではなく恒常的な労使協議のルールをこの機会にぜひ確立することを望む
ということで、どちらかというと国労の言い分元に発言しているようにも感じられますが、
国鉄当局も国鉄線という雑誌で総括していますが。世論としては、国鉄当局も組合側も双方がもう少し歩み寄って行くこと、更には当局の姿勢は強権的なところが見受けられると言うことで多少組合寄りの見解という記事が書かれているように感じてしまいます。
当時は、現在のようなインターネットなどは無いわけですから新聞社やテレビなどのマスコミの記述は世論を形成していくこととなるわけで、そうした意味では国労の戦略は成功したと言えるかもしれません。
実際に、その後も当局側の不当労働行為が報道され、生産性運動自体が中止に追いやられていくのはご存じのとおりです。
 
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生産性運動と国労 生産性運動中止へ マスコミと連携した国労の反撃 第三話

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生産性運動と国労 生産性運動中...

二時間ほどかけて書いた記事がプラウザクラッシュして全て消えてしまって、無茶苦茶落ち込んでいます。
長らく更新できませんでしたが改めて更新させていただきます。

今回はマスコミによる生産性運動への攻撃という内容なのですが。
本来であれば、故黒野資料からと言うところかもしれませんが、敢えて鉄労の国鉄民主化への道「鉄労友愛会議」編から、引用させていただこうと思います。

国鉄当局が進める生産性運動に対し、国労は当初は、独自の運動を展開していきましたが、あまり効果はありませんでした。
そんな中、国労はマスコミを使うことを思いつき、マスコミによる攻撃を開始しました。
国鉄民主化への道から引用してみたいと思います。
当時に企画部長は、マスコミを利用することを思いつき、実行に移すのですが、まさにそれがピタリとはまったという状況であったそうです。
当時、国労は活動費とは別枠で、マスコミ対策に1億円の現金を用意して対応に当たったとされています。1億円、現在の価値であれば概ね10億円という膨大なお金でマスコミを国労は動かしたのでした。

国労とすれば潤沢な活動資金がありますので、こうしたことも可能で有ったのだと思いますが、以下の用に国鉄民主化への道でも書かれていますが、国労の都合のよい内容で記事を書くので世論もそれを信じてしまうことになりました。

中立であるべき新聞記者たちが、国労の宣伝プロジェクトの真中にいて、後で述べるように、国労の都合がよいように、各自の新聞でじゃんじゃん書くのだから、生産性運動を進めている国鉄当局や鉄労は溜まったものではなかった

と書かれているように、当時の企画部長は、官僚組織はマスコミに弱いのではないかと言うことで、徹底的にマスコミを使った攻撃を行うことになるわけでした。
当時企画部長だった富塚三夫は、
私は磯崎氏(国鉄総裁)を中心とする官僚支配体制が一番弱いのは何かと言うことを考えた。これはマスコミに一番弱い。僕はそういう風に官僚の体質の弱さを見抜いて新聞記者のところに駆け込んで、いろんな内容を全部社会的に告発し、暴露することをやったわけです。それが異様なほど社会的関心を呼んで回り出し・・・

と有るように、当時の企画部長はほぼ連日、記者クラブに行って。国労に有利なニュースを連日流したわけであるが、その中でも毎日新聞の記者であった、内藤国夫氏は生産性運動への攻撃を何度も何度も書いた人物とされています。

国労から大変頼りにされた「毎日新聞」の記者だった内藤国夫の著書を見ると、喜んで国労と共闘した様子をはっきりと書いている。

そして、それよりなにより大きな騒ぎが持ち場で発生して、それで連日の紙面を賑わすのが大好きな私であった。

ということで、自らも世論をかき回すために積極的に記事を書いたと明言しています。
そして、この流れは他のマスコミにも広がり、連日紙面ではマル生運動のことが出ない日はないほど多くの記事が書かれることになりました。

続く

 


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生産性運動と国労 生産性運動中止へ マスコミと連携した国労の反撃 第二話

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社会党・共産党・公明党・総評・... 社会党・共産党・公明党・総評・国労・動労等が中心となって
「マル生調査団」が結成され、生産性運動の実態調査に乗り出したようですが。
「マル生」調査団結成 生産性運動(マル生運動)の実態を把握するために「マル生」調査団が1971年秋頃に結成された。
マル生調査団は、採取的には第一次~第三次までの三回結成されたそうで、そのメンバーは、社会党(社民党)、共産党、公明党の国会議員、県議会委員などの地方議員の他、学者、弁護団、総評、単産、国労・動労などで構成されていたそうです。
国労の資料である、国労40年史では、色々な不当労働行為が摘発された(あくまでも、国労の視点と言いうことですので。これを持って全て当局側の不当労働行為であると決めつけるわけには行かないのですが、当該資料を参照しますと、下記のように記述されています。そのいくつかを国労40年史から抜粋してみたいと思います。
  1. 「生産性運動講習会」及び「生産性運動学習グループ」への参加は自主参加の筈であるが、実態は承諾するまで続く説得工作が行われている、
  2. 国労・動労の「合理化闘争」や「マル生反対運動」は生産性向上運動を阻害するとして公然と批判している
  3. 助役等管理者が国労・動労からの脱退・鉄労への加入を強要している
  4. 昇格。昇進等を餌とした利益誘導が行われている。運転士の試験に際しても鉄労組合員に有利になるように仕向けている
  5. ロッカーの無断開扉や、鉄道公安職員による尾行が行われている
  6. ワッペン・リボンの類いの一切着用禁止、組合役員によるオルグへの妨害等が行われている。
  7. 年休の一方的な取消や、日鉄法33条の乱発などの法違反が公然と行われている

国労の言い分を全て信じるわけにはいきませんが、三項目目の「助役等管理者が国労・動労からの脱退・鉄労への加入を強要している」に関しては、テープに記録が残されていたとかで、救済命令を出す切っ掛けとなりました。又、所属組合による昇進の不利・有利などは郵政でも郵政局では結構露骨にありましたので、国鉄でも同じような昇進差別は行われていた可能性は有るかと思われます。 そして、生産性運動自身は自主的な活動ではありましたが、非番の日にもしくは当直明けの自主的な運動と言うことで、結果的に只は多良期を助長していたのではないかという問題も内包していたと思われます。
参考:日本国有鉄道法 抜粋
第三十三条 日本国有鉄道は、左の各号の一に該当する場合においては、労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第三十二条、第三十五条又は第四十条の規定にかかわらず、その職員をして、勤務時間をこえ、又は勤務時間外若しくは休日に勤務させることができる。
 一 災害その他により事故が発生したとき。  二 災害の発生が予想される場合において、警戒を必要とするとき。  三 列車(自動車、船舶を含む。)が遅延したとき。
そして、こうした事実があったと社会党を中心に、・共産党・公明党等も委員会などで責任追及が行われたと書かれています。
国鉄労働組合40年史 P200から引用
これらの「事実」が摘発される度に、国会においては社会党を中心に、共産党・公明党が加わり社労・法務・地方行政委員会の場で、労働大臣、国鉄総裁、警察庁長官に対し、不法行為、団結権侵害行為の責任追及がなされた。また府県議会においても現に不当労働行為を行っている駅長、工場長、職長、区長及び局長などの責任者の喚問が行われた。更にこれらの「事実」は、進行中の公労委の審理や裁判闘争及びILO闘争における有力な資料となった。そればかりか、かつて無い大型調査団という構成と摘発された事実の内容のすさまじさとあいまって、ジャーナリズム・マスコミ関係者の強い関心を引き出すことになった。
引用終わり
マスコミの反応は? 主に、国労40年史を参照しながら書き出してみたのですが、こうした追求に対して、マスコミは機敏に反応して、社説などで国鉄のあり方を強く批判する事となり、同年10月1日には、生産性運動は「不当労働行為と見られるような行動は慎む」ようにという異例の指示が出されることとなり。 一部ではあるとしても、実際にもしくは限りなくグレーな運動が行われていることを当局も認めたようなものでした。
また、新聞各紙でも社説で以下のような主張がなされたとされています。
一部引用したいと思います。
国鉄労働組合40年史 P201から引用
朝新聞も「マル生運動の行き過ぎを是正せよ」として「所属する労働組合を基準にして、いい職員、悪い職員と色分けするやり方は本質的に誤りだと思う。誇りある多数者の形成は、差別や不当労働行為から決して作られはしないと主張した。(71.10.1)また、東京新聞は「古い国鉄一家的意識でマル生運動を進めようとするのでは、反発を招くばかりで.話し合いの機会さえつかめない」とし、「特に当局側に労働対策の姿勢転換を求めざるをえない」と強調した。(71.9.24)

引用終わり

と有るように、国鉄のマル生運動はその方向が、国労・動労を脱退させて鉄労に加盟させることが生産性運動であると勘違いした助役などの管理者がいたこと。
国鉄当局の幹部職員にあっても、生産性運動に消極的というか批判的な職員も多かったこともあり、全体に生産性運動自身がかな
りゆがめた形で進めらっる事となりました。
続く

 


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生産性運動と国労 生産性運動中止へ マスコミと連携した国労の反撃 第一話

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生産性運動と国労 生産性運動中...
長らく開けてしまいましたが、久々に再開したいと思います。
国労は生産性運動に関して、未だ未だ有効な決定打を打ち出すことが出来ずにいました。
さらに、鉄労は10万人結集を合い言葉に国労・動労組合員の引き抜きを行なっていたことは前述の通りです。




生産性運動教育を経て、国労から鉄労へ移籍する人たち
当局の生産性運動と、生産性運動教育を受けた職員が、ストライキばかりする国労から、国鉄再建を目指すにはストライキではなく自らが働くべき何だと言うことで、鉄労へ加入する動きが加速していきました。
当然、鉄労自身も積極的に勧誘に動くわけですが、現場では、組合による差別的行為が行われているとして、国労本部は、現認した時点で記録を残すように、全国労組合員に現認メモを配布します。
そして、現場での不当労働行為を見たり聞いたりしたら、メモに残し、それを報告するように求めたのでした。

摘発メモ(イメージ)

当局と交渉するも・・・現場では殆ど効果無し
「国鉄労働組合40年史、第二章「マル生」攻撃に抗して」と言う章を参照しますと、旭川地方で当局との間で交わされたやりとりが書かれていますので、以下にその記事の部分を引用してみます。


旭川地本は、当局との間で不当労働行為の中止・労使関係正常化の折衝をはじめるに当たって、次の馬事項についての意思統一を行った。

  1. 一連の不当労働行為に抗議するため「団交」を停止し、当局がその不当性を認め、それに対する措置を今後やらないという確認、実証が示されるまで団交は再開しない。「団交再開の場合」は、組合の基本要求の先行解決を前提条件とする。

  2. それらの問題が整理されるまで、36条協定の締結はしない。

  3. 労使関係の正常化を図るため折衝(交渉)は、委員長と局長会見の結果で決める。


以上のような内容で、地本と当局による折衝が行われて、下記の通り確認がなされることとなりました。


確認事項 71年6月3日付

  1. 不当労働行為と疑いを持たれるようなことは今後やらないよう十分指導、徹底する。

  2. 局の課員に対し。組合所属の総意によって差別的な扱いはしない。

  3. 鉄労への加入しようなどは組織介入であり、やれるものでもないし、やらない。

  4. 処分については十分慎重に取り扱う。



又、その下部機関においては、たとえば北見駅分会では当局に対し4項目の要求を行った。


  1. 労使対等、組合不介入の原則に立ち、今後、組合にたいする不当な介入・干渉をしないこと。

  2. 今次春闘に際し現場管理者など当局側に不当労働行為に類するいくつかの行き過ぎのあったことを認め、以後このよう な行為がおこなわれないよう十分注意指導すること。

  3. 組合所属の相違、および組合活動家であることをもって、昇職、昇給、登用など人事に関し差別扱いをしないこと。

  4. 偏向教育や、本人の意思に反する教育を強制しないこと。



以上の経過を踏まえて、組合と当局は、労使正常化に ついて誠意をもって努力するとして、以下の「確認メモ」を作成したとされています。(71.6.17)。


  1. 不利益取り扱い、または、支配介入等の不当労働行為はおこなわない。

  2. 不当労働行為と疑われるような行き過ぎのないよう注意し、十分指導する。偏向教育はおこなわないし、また強制しな い。



しかし、このように何度も当局と地方の間で覚書と言える確認メモが為されたにもかかわらず、「現場段階の管理者にはそれらを遵守する意思もなく、従前どおりの労務管理がおこなわれた」と、国労は主張しています。

鉄労は当然のことながら、オルグをかけて国労からの引き離し工作を行っているわけですが、一部の助役等には、国労を脱退させて鉄労に加盟させるのが生産性運動だと理解していた人も少なからず居たようで、国労の資料だけですので多少なりとも偏向がかかっているかも知れませんが、実際にそうした行き過ぎたというか誤った不当労働行為を行っていた助役などの中間管理者がいたことは当局も認めており、後述しますがマスコミによる不当労働行為の証拠とも言える発言が録音されて居たことは、国鉄当局にとっては痛手となりました。

さらに国労の資料を見ますと、動労との共闘したことが記述されています。
国労と動労は同じ総評に所属していることから、対鉄労と異なり、親和性が有ったと思われがちですが、実際には動労が単一職能組合であるのに対して、国労は職種が多岐にわたることから、意見の集約が難しく、動労が決定しても国労の態度が決まらないということも多々あったようで、動労と国労が共闘したのは、この時期以降スト権ストの頃までではないでしょうか。それ以後、昭和57年には動労は自らも「働こう運動」ということで、積極的に出向や一時帰休などにも応じるなどして、新会社移行までの間は必要以上と思えるほどの労使協調路線を歩んだにたいし、国労の対応は遅れ、分割民営化絶対反対を全面に出さざるを得ず、特に北海道・九州で多くの不採用者を出してしまったのはご存じの通りです。

この時も、国労も動労も当局からの攻撃をかわすという意味合いから、多少意見の相違はあるが、当局打倒という方向は同じであるとして、共同戦線を張ることしたとしており、現場段階での「共同決起集会」や「当局に隔離された(当局が確保した機関士等運転要員)を救出したと書かれています。
まぁ、当時でしたら鉄道公安がこうした乗務員の確保などに動いていたわけで、組合からは公安職員は当局の犬などと罵られていたようですが。
同じ国鉄職員ではあっても組合から一番嫌われたのが公安職員だったかも知れません。

閑話休題

公安職員の話題は別としても、動労と国労はこの時期は特に協調していくことで、徐々に巻き返しを図っていくこととなりました。

続く

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鉄労から見た当局の生産性運動 第四話

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昭和32年に設置された支社制度... 昭和32年に設置された支社制度は昭和46年8月20日、廃止されることに。
制度としては悪いものではなく、生産性運動と対でさらなる発展を起こしていれば国鉄分割民営化の問題は避けられたかも知れない。
長らく更新できていませんでしたが、ひさびさに更新させていただきます。
今回も鉄労からみた生産性運動と言うことを中心にお話をさせていただこうと思います。

労使協調宣言を前面に打ち出す鉄労


国鉄という組織の中で鉄労という組合は、国労内の民同右派から派生した(同盟に所属するグループ)であり、当初から労使協調を方針として掲げていたのが特徴で、同じく公務員組合である郵便局の全郵政同様、国労からは「第二組合」とか「御用組合」(いずれも当該組合からすれば蔑称)などと呼ばれていました。

しかし、生産性運動のさなかで、鉄労はその構成員を大幅に増やすことに成功しました。

一時期は10万人に手が届くとして積極的にオルグが行われたと記録されています。



その辺を、鉄労の運動史、国鉄民主化への道から引用してみたいと思います。


組合発表によれば、10月1日現在で、組合員数は、79,672人だとのことだった。「来年までに10万人突破」が合い言葉になっていた。

と有るように当時の鉄労は、組織拡大に躍起となっていたのですが。




生産性運動の盛り上がりと支社制度の廃止

話は前後しますが、鉄労大会が行われる前の8月20日には、昭和32年11月に発足し14年間続いた支社制度が廃止となっています。

支社制度とは国鉄分割民営化を検討した際に再建監理委員会が参考にしたという制度ですが、生産性運動を進めていたこの時期に、このタイミングで廃止したのは、あまりにも後付けの知恵で考えれば愚策であったように思えます。

支社制度の本来の目的は、本社の権限を支社に下ろすことで、国鉄本社の肥大化を防ぐ事が目的だったのですが、本社が痩せ細ることを嫌って権限を委譲しなかったことで、結果的にはその制度自体が制度疲労を起こしてしまいました。
石田禮介氏が働きかけて実現した支社制度ですが、国鉄官僚が組織を潰したとも言えましょうか。
その辺の事情は、国鉄民主化の道、P485 分権化に失敗、支社制度廃止では以下のように書かれています。
支社制度がなぜ成功しなかったのか。一番の理由は、支社幹部の人事権を、本社の系統別の親分が握っていたことだ。支社の幹部が2.3年すれば本社勤務になる。と言うようなことでは、支社制度のうまみは発揮できない。

このように書かれています。
本社の幹部が人事権を持っているため、支社長は本社の顔色を使って伺うこととなり。結果的に、支社制度事態が上手く機能しなかったとされていますが、実際に本社からの権限委譲も中々進まなかったようです。



歴史に、IFはありませんが、むしろここで本社の思い切った権限委譲を更に進めていたならば、生産性運動と相まって国鉄の方向も変わってきたと思うのですが・・・・エリートであった磯崎氏にしてみれば、本社の組織を切り刻むと言うことはしたくなかったのでしょうが、つくづくこの辺は国鉄の失政であったと言わざるを得ません。



支社制度とはどのようなものであったのか

さて、支社制度とはどのようなものであったのか、改めて簡単に説明したいと思います。
十河総裁が就任してから設置されたもので、その働きかけをしたのが石田禮介氏初代監査委員長であったと言われています。
そもそも支社制度とは、国鉄組織を6支社(北海道・東北・関東・中部・関西・西部)に分割したもので、西部支社は、広島以西・及び九州 関西支社は、関西圏・岡山・鳥取・島根及び四国、関東支社は、新潟を含む関東とした、本社からの権限を委譲するものとされていました。
更に昭和34年には気候の一部が改正され、さらなる大幅な権限委譲がと、新潟支社・四国支社・中国支社(広島・山口)の分離が行われています。
(中国支社はその規模からしても中途半端な感は免れないのですが、広島・新潟とも組合問題で要注意の職場を抱えていたことも、分割を促したのではないかと個人的には考えてしまいます。(新潟は、新潟闘争で有名になったし、広島は宇部が同じく革同の拠点でもあった)。
昭和34年には以下のように更に権限を拡大するなどの措置が取られました。
総務関係

  1. 駅の設廃及びその営業範囲の変更(別に定める主要な線区の駅を除く。)

  2. 列車乗務員のうちニ支社以上にまたがる長距離特殊乗務員を除く乗務員の乗務行路の指定

  3. その他 主要線区以外の駅の設廃を支社長に委ねたにもかかわらず、駅名や営業キロは本社に権限を残した



営業関係
基本方針
一、権限委譲の方針
今回の権限委設にあたっては、 「本社の仕事は全国一貫運営の利点を発揮するために必要かつ十分な事がらに限定し、その他は経営単位としての支社にまかせる」というのが大きな方針となっている。要員面でも、 工事経費や列車設定権限についてもこの方針で権限が委譲された
以下にいくつかの例を上げてみます。

  1. 輸送計画及び輸送手配

  2. 支社設定列車の編成

  3. 支社設定列車の客車運用

  4. 荷物の支社管内輸送経路

  5. 荷物の支社管内中継方

  6. 途中給水駅とその給水両数

  7. 飲料水と氷の積込箇所

  8. 団体及び多客輸送計画




余談ですが、支社制度は十河総裁の時に導入されたのですが、この辺の事情を説明しますと。

支社制度の原案を作ったのは、外部委員として監査委員に任命された、西野嘉一郎氏であり、委員長の石田氏に提案したとされています。



支社制度の話しが長くなってしまいましたが、先ほども記述したとおり、この時期に支社制度自体を廃止し本社に権限を戻してしまったことは組織としては後退することとなってしまいました。

私も郵政局時代に経験がありますが、支社(郵政の場合は郵政局)に権限を下ろすことで意思決定が早くなり、地域独自の施策を打ちやすくなります。
その反面、組織としての防衛反応が働くので、権限を下ろしたくない(権力を掌握したい)という意識も郵政局でもそうでしたが、郵便局への権限を下ろすと言うことはあまりしない。

その結果、組織としては硬直してしまうわけですが。

仮に、この時期に国鉄本社が思い切って権限を委譲して、支社単位の制度に移行すると共に生産性運動を本社が長期的視点で見ることが出来たならば、また違った側面も見えてきたと思うのですが、当時の本社では省庁以上に官僚であったとも言われる国鉄本社ですので、本社職員にしてみれば地方への分権などは考えられなかったのだと思われます。

その結果、次回に書かせていただきますが、国労によるマスコミを巻き込んだ反撃キャンペーン以降、磯崎総裁は窮地に立たされることとなり、最後は中止を宣言(実質的な廃止)をせざるを得なくなりました。


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鉄労から見た当局の生産性運動 第三話

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国鉄当局は、国労への対抗手段と... 国鉄当局は、国労への対抗手段として生産性運動を導入したというのが鉄労の見解ですが、もう一歩進めて官製の労働運動に着地させたかったのかもしれない。(私見)
6ヶ月ほど開けてしまいましたが、改めて再開したいと思います。
今回で、鉄労視点での生産性運動は終わりとして、以後はマスコミによる反生産性運動に話しを進めたいと思います。

今回も参考資料として、鉄労「国鉄民主化への道」を参照しながら、随時国労の資料等を参考にさせていただきます。

国労が生産性運動を批判しても、脱退者は後を絶たず

生産性運動は、国労にとっては頭の痛い問題でした。
国労では、「嘘だよ生産性運動」というパンフレットを作成し、その引き留めに躍起になっていましたが、マスコミを活用して不当労働行為と関連させると言った戦略は採っていませんでした。
特に、「嘘だよ生産性運動」と週刊誌版4ページで、カラー印刷、漫画入りのチラシ広告であったそうで、潤沢な組合費を使っての冊子でした。
国鉄当局の生産性ニュースがガリ版刷りのチラシで有ったことと比べると大変立派なもので、シリーズ化されて一五話まで続くのですが、それでも国労組合員の流出は続く事となりました。
嘘だよ生産性運動第一話
国労としては階級闘争理論を成立させるために、当局を資本家階級(ブルジョアジー)に見立てて、それに対する組合員を労働者階級(プロレタリアート・いわゆる無産階級)であるとして、攻撃することとなるのでした。
まぁ一番とばっちりを受けるのが中間管理職と言われる助役と呼ばれる人たちで、駅長・当局と現場の職員との板挟みという形となり、精神的に疲弊してしまうことも多々ありました。
階級闘争と国労
実際には、国労的には「階級闘争」と「スト権奪還」が大きな運動方針であることから、このチラシでも、その辺が強調されており、生産性運動はあくまでも、資本家による搾取が目的であるという説明がなされていました。

最近でも、元国労組合員の方からは生産性運動は、資本家階級による搾取であったと真顔で言われて・・・なんてこともありました。
結果的に、こうして生産性運動=搾取行為だと思っていた方が少なからずおられたのではないかと思ってしまいます。
ここで、国鉄民主化への道から少し引用してみたいと思います。

当局の幹部をどうしても"資本家"にしないと、階級理論が成り立たない。だから、「総裁や常務理事の賃金を公開しないから資本家である」などと変なことを言い出すのである。総裁への賃金など、社会党が国会で質問したら直ちに明瞭になる数字だろう。

国鉄の「赤字」論がやかましい現在、国民は、国鉄の経理内容の公開を求めています。しかし、総裁以下役員及び管理者の賃金さえも公開していません。公開できないのでしょうか。これでよく「成果の公正配分」を労働者にということが出来ると思います。(中略)生産性運動の3原則とは、雇用の拡大=事実が示す人減らし、労使協議=無条件協力の話し合い、成果の公正配分=大きなスプーンは使用者に、である。(リーフレット第四話)などとなっていた。


鉄労は、労使はパートナーであり経営に積極的に参画すべきと主張
鉄労は、基本的には国労の理論は階級闘争に立脚したものであるとして、鉄労新聞で下記のように主張したとされています。

企業の発展を促進するために、産業民主主義の徹底した定着を図らなければならないが、それには労使協議の実効的な制度が必要である。産業民主化実現のためには、官僚制の打破と職員の経営参加が必要だ。


と強調したとされています。

国鉄当局が目指したものは官製の労働組合だったのか?
但し、当局は国労の階級闘争理論に対抗するものとして、生産性運動をみていたと鉄労は批判しています。
実際に、昭和30年代の闘争は極めて厳しいものがあり、順法闘争に見られるダイヤ混乱は非常に大きな影響を与えることとなりました。
国鉄当局が目指したものは官製の労働組合だったのか?
ただし、当時の国労では階級闘争としての運動は行っているものの、労働運動は組合役員の指導の下組合員が動員されると言ったことがあり、職員は極めて純朴で従順であったように見受けられます。
そこで、当局としては国労組合員の生産性運動に対抗すべく、生産性運動を導入したわけで、戦後すぐに、官製の労働組合で組合(鉄道会議)を作ろうとしたのと酷似しているように感じてしまいます。

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鉄労から見た当局の生産性運動  第二話

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二ヶ月も開けてしまいましたが、再び生産性運動とその取り巻く環境ということでお話しをさせていただこうと思います。

国鉄幹部の生産性研修、管理局の局長クラス及び本社の局長クラスの研修を開始

国鉄が自製の生産性運動の取組始めた頃、国鉄本社では管理局などにあっても管理職の生産性運動が始まっていましたが、本社のあっては生産性運動に関しては冷ややかな幹部もいたと言われています。
その辺は、大野光基著、「国鉄を売った官僚たち」にも出てきますが、昭和46年度経営計画が理事会で決定され、国鉄としての独自の生産性運動がスタート、経営理念として以下のような文言が刻まれました。
「われわれは、人間尊重の理念に基づいた経営に徹し、労使一体となって全職員が積極的に再建に参画することが必要である。このことが、ひいては国鉄の発展及び職員の福祉向上につながる唯一の道である。」
として、生産性運動は国鉄経営と一体化した経営としてスタート、本社局長及び鉄道管理局長研修が第一回目が5月24日から、第二回目が6月8日から3泊4日の計画で始まったとされています。
生産性研修は、管理局長に対しても強い自己反省の機会となったとして、以下のような発言があったとしています。
引用してみたいと思います。

生産性研修は管理局長に対しても、強い自己反省の機会となった。「組合側に闘争をやらないでくれと当局は頼んでいた」「組合の前に当局は妥協に妥協を重ねてきた」「私自身忸怩たるものがある、もっと勉強したい」というような発言が相次ぎ。「もはや組合と対決しかない」というのがほとんどの局長の結論であった。

「国鉄を売った官僚たち」 P175~176

と有りますように、現場に近い管理局長には生産性運動が自己反省であり組合への妥協をしてきた事への反省となったことは間違いないと言えそうですが、本社はこうした生産性運動に関しては無関心であったそうです。

キャリア制度は国鉄時代は変更されることはなく

現場を預かる鉄道管理局長が、東京南鉄道管理局長外数名が欠席したのに対して、本社局長クラスはわずか一人だけという結果だったことに、国鉄本社の中では生産性運動に対していかに無関心であったかが窺えます。
国鉄本社の局長クラスにしてみれば、その向いている方向は現場ではなく、政府であり国会議員の動向などに向いていたのかもしれません。
実際、本社採用のキャリアの場合は、他の省庁のキャリア同様のスピード出世であり、20代で現場長などを経験することとなるため、現場の改革などを思い描くと言う意識は勢い少なくなるわけです。

こうした学歴偏重の問題は現在にも残っており、官僚制度の問題と言えます。
国鉄としてもこの辺を打開しようとした動きはありましたが、結果的に国鉄が民営化されるまで変更が加えられることはありませんでした。
国鉄の強固な官僚主義は、結果的に国鉄にあって事なかれ主義を生み出し、安易に組合との妥協を生み出す結果となり、更に政府の介入を招くことになるなどの大きな弊害を生んだと言えるかもしれません。

組合から見た生産性運動

そこで、今度は再び組合側から見た生産性運動を見ていきたいと思います。

鉄労では、国鉄が行っている生産性運動が、間違った形の運動になりつつあることを懸念しています。
すなわち、生産性運動が、サービス超勤のや担当業務以外の業務への強制などと言う形で新たな職員の負担になっているのではないかと指摘しています。
少なくとも、鉄労は正しい生産性運動理論を身につけることは、当面の重要かつ急を要する課題だと認識していました。
更に、も、当局幹部に生産性運動に熱心でないものが居ることも十分把握していたようです。

さらに、国労でも生産性運動に対する反対運動が行われているのですが、かなり混乱していたと、国鉄民主化の道では書かれています。

すなわち、国労自体は元々民同左派以外に、当時は反戦青年委員会(いわゆる新左翼)のグループによる攪乱があったようで、2月24・25日に開催された、拡大中央委員会では傍聴者によるヤジ(反戦青年委員会)が盛んに飛んでおり、議長が、「お通夜のような会議にしようとは思わぬが、限度がある。」として度々注意したがダメであったと書かれています。

階級闘争


国労の方針としては、生産性運動を粉砕するための教育を行うという方針が決定したものの、目新しいものではなく。
生産性運動に対する理論的に身につける総合運動とは、「マルクスの階級闘争理論を身につける」ことであったとしています。

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鉄労から見た当局の生産性運動

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生産性運動当時の組合の相関図を... 生産性運動当時の組合の相関図を模式的に書いてみました。
鉄労は結成当初から生産性運動を提唱

生産性運動は、鉄労にしてみれば組合結成当初(新国労時代)からの理念であり、
生産性運動の3原則

  1. 雇用の維持拡大

  2. 労使の協力と協議

  3. 成果の公正な分配



が、その根底にあるものであるとしていました。

食い違う組合の考え方

鉄労にしてみれば、国鉄当局が合理化を推進するために、生産性運動を導入したという考え方に立っていたの対し、国労・動労は鉄労が当局の施策に乗っかってちゃっかり組合員を増やしているという発想になったわけです。

実際は、鉄労が新国労と呼ばれた時代から生産性運動の理念を提唱しており、合理化の推進は生産性を高めることであるとして、合理化に反対であった国労・動労の反合理化闘争とは一線を画すものでした。

当局の生産性運動は、方向が間違えていると指摘

そんな中、当局の生産性運動は、粗製濫造気味で正しい生産性教育がなされていないのではないかと危惧しています

国鉄民主化への道 P494から、少し長いですが引用します。

最近特に注目されることは、国鉄当局が、管理者、職場の中堅職員に生産性運動を徹底的に行っているという事実であります。私たちは経営者が生産性教育を実施するのは当然のことだと思いますし、我が国の有識者の手によって、昭和30年から発足したこの運動を、昨今要約取り上げたことについて、むしろ遅きに失するものと、かねてから指摘してたところであります。
それだけに、国鉄当局が進めている生産性教育が、効果的で正しく普及することを期待するものでありますが、現在のところ粗製濫造の感があり、生産性運動の真の意義を体せず、超過勤務の強制、分担業務以外のものの強要という誤った形に昇華されようとしている事実が随所に現れつつあります。(中略)私たちが正しい生産性運動の理論を身につけることは、当面の重要でかつ急を要する課題だと思います。


引用終わり

と有りますように、本来に生産性運動の理念は、生産性向上による、雇用の増大であり、労働者(のみに限りませんが)への富の再配分が目的でした。
以下は、「生産性運動に関する3原則 」と呼ばれるもので、日本生産性本部が掲げている、本来の生産性運動の理念を現したものです。

(1)雇用の維持・拡大
生産性の向上は、究極において雇用を増大するものであるが、過渡的な過剰人員に対しては、国民経済的観点に立って能う限り配置転換その他により、失業を防止するよう官民協力して適切な措置を講ずるものとする。
(2)労使の協力と協議
生産性向上のための具体的な方法については、各企業の実情に即し、労使が協力してこれを研究し、協議するものとする。
(3)成果の公正配分
生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする。

国鉄当局のミスは、生産性運動の自製化

生産性運動の理念では、生産性の向上は資本家による搾取でもなく、むしろ雇用の拡大であり、富の再配分であることが明記されています。
国鉄の生産性運動も当初は、日本生産性本部の職員が、研修を行っていましたが、生産性運動の拡大を目指した当局は、生産性運動の自製化を進め、学園等で国鉄職員による研修が行われたことから、鉄労が指摘しているように、粗製濫造と言えるような間違った生産性運動が誤った形に昇華されようとしていると危惧していますが。
図らずも、この鉄労の危惧は現実となり、国労が始めたマスコミを買収してのマル生撲滅キャンペーンにより、こうした誤った生産性運動が報道されることとなり、国鉄当局は苦境に追い込まれることとなりました。

その辺は次回改めて記述してみたいと思います。
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生産性運動と国労 生産性運動中止へ 第二話

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今回参考にした、鉄労友愛会議著... 今回参考にした、鉄労友愛会議著、国鉄民主化への道、並びに国鉄労働組合四〇年史を参照しながら書いています。
国労、動労が不当労働行為の証拠を積み上げていくとしていた時期、鉄労の方はどのような状況であったのでしょうか。
鉄労の、国鉄民主化への道を参照しながらお話しをさせていただこうと思います。
ストライキか合理化か・・・揺れる国鉄と、春闘
さて、当時の国鉄はどのような状況だったのでしょうか。
国鉄を含む公労協が5月20日に24時間ストを計画しているとして公共企業体等労働委員会 以下公労委と略す)の合同調停委員会は、19日夕方から三公社五現業の賃金調停作業に入るべく準備をしていたそうです。・・・しかし、所定の時間になっても一向に国鉄労使が姿を見せなかったそうです。
公労委としては、国鉄のストライキを回避させるためのものであったにも関わらず、国鉄のこうした態度に公労委の委員もいらだちを隠せなかったと言われています。

交渉に現れなかったのは、国鉄の合理化交渉を優先したため

現れなかった理由は、国鉄当局としては合理化問題の目処が付くまでは賃金問題に入らないとして、合理化問題の交渉を続けていたそうです。
国鉄としては、機関助士廃止闘争でも、かなりの譲歩をせざるを得なかったことや、国鉄の収支改善についてすべきことはしていきたいという思惑もあったと考えます。

この日の交渉では、21時を回っても国鉄から連絡が無く、公労委から電話をかけても差大あり要領を得ないとして、時間は流れ、国鉄常務理事、職員局長の真鍋が公労委に現れたのは、23時であったそうです。
真鍋としては、生産性運動をじっししているなかで、生産性運動と合理化はセットであり、国鉄再生のためには合理化が先決と考えていた節もありますし、むしろストに突入させたいという政治的意図なのか・・・その辺は判らないままに交渉は開始されたそうです。
労働者側の主張は1万円、使用者側は8621円【前年並み】を主張して、交渉は難航、20日になり国労・動労はストライキに突入、明けての20日午前9時30分、合同調停委員会が開催されて、「調停委員長共同談話」の形で発表されました。
調停委員会の提示した最終案は、8%プラス2,300円で、国鉄の場合は引き上げ額は7,785円で、これに定期昇給の1,995円をプラスして、9,780円で妥結することとなったそうです。
これにより、国労・動労を除くストライキに入っていたたの公労協の組合はストライキを中止しましたが、国労と動労は「生産性運動と不当労働行為を直ちに中止すること」を掲げて午後7時までストライキを行ったと書かれています。

この辺を改めて、国鉄労働組合四〇年史を参照しながらお話しを進めたいと思います。
以下は、国鉄労働組合四〇年史 「マル生」攻撃に抗してと言う記事から引用します。
(71春闘5・20決戦スト)

71年春闘は、5月の中旬以降の最大のヤマ場を迎えることになった。すなわち、13、14日の強力順法闘争、団交の決裂、調停作業の難航という情勢の中で、ついに20日、春闘の決着を付けるべく公労協の統一ストライキが実施された。公労協の他の組合がストを中止した後も、国労・動労は完全共闘の姿勢を崩さず19時間にわたるストを打ち抜いた。


引用終わり

この時期は、反合理化、生産性運動反対と言うことでその方針は一致していますので、動労とは共同歩調を取っていました。
こうした生産性運動が行われていた、昭和46年にはストでも電車が動くという不思議な事例があったようです。
それは、鉄労を中心とした組合員や、自発的にストに参加しなかった職員が居たからに他なりませんでした。
その辺を再び引用させていただこうと思います。

国労・動労は激しいストライキに対する妨害等があったと主張

もちろん、このストライキに対しては当局側による激しい妨害が行われた。例えば、スト不参加を求める大々的な署名運動、利益誘導。家庭訪問等による国労・動労からの脱退強要、スト破りの妨害工作などが、鉄労・「マル生」グループの総掛かりで行われた。そうした攻撃にもめげず、「国労・動労完全共闘」によるストが打ち抜かれたことは。組織防衛のたたかいと同時に、「職場からの反撃運動」を構築するうえで極めて大きな効果があった。


引用終わり。

とされています。
このように、国労は動労との共同戦線として、反合理化闘争並びに生産性運動反対を掲げて共闘していくこととなりますが、鉄労による切り崩しがあったことを認めています。
次回は、鉄労側からの視点で見た、勧誘などについて改めて確認してみたいと思います。

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