Feb
15,
2018
新年快楽
私は「湾生」なのか?と言われるほど、台湾が好きなんです。
※湾生(わんしえん)とは、台湾で生まれ、終戦時(1945-48)に日本に
引き揚げた日本人を指す言葉で、物心ついた頃まで在住していた事を考慮
すると、現在75歳以上(1943年以前うまれ)が対象。先の大戦終了後、長らく
台湾に帰ることが出来なかったため、望郷の念が強く特異な存在。
以下、備忘録として
「台湾の声」【台湾文化考察】タイヤル族の伝統精神ガガと村長選挙の弊害について
台湾の声編集部 T.B
台湾には政府が認定した16の原住民族がおり、その総数は約55万人である。それぞれ独自の言語、文化を有し、民族にとって最大の祭典も独自のもので、その時期もさまざまだ。敵や異民族の首をかる出草という風習をもっていた狩猟民族もいれば、海辺に暮らす漁猟民族もいるが、ほぼ共通して祝われているのが主食である粟の収穫を祈願する収穫祭、豊年祭といわれるものだ。その時期も8月だったり12月だったりとそれぞれ異なる。台湾原住民族の祭儀や文化はとてもユニークで各民族ごとに異なるが、その一部を紹介する。
狩猟民族であるブヌン族の打耳祭は農閑期の4月頃、狩人である男たちに敬意を示すもので、木の枝に吊るした鹿の耳を、子供から大人まで集落の男が射貫く儀式が行われる。
同じく狩猟民族のプユマ族は12月、13~18歳の少年が集落の集会所に集められ、猿を模した藁人形を弓矢で射貫く訓練をする。かつては本物の猿が用いられており、しばらく飼って情が移ったころに自らの手で猿を殺め、集落のために個人的感情を殺すことができるようになるのが訓練の目的である。日本時代に本物の猿の使用が禁じられてからは、藁で作った人形で代用している。少年の訓練儀式が終わると続いて集落全体の狩猟祭が行われる。
漁猟民族のアミ族は5月、豊漁を祈願する捕魚祭を催すほか、8月に収穫祭を行う。同じく漁猟民族で蘭嶼島に住むタオ族(ヤミ族ともいう)は、4~7月にかけて豊漁を祈願するトビウオ祭を行った後に、美しいタタラ船の進水式を行う。
新竹、苗栗の山間に住むサイシャット族は旧暦10月、小人祭(パスタアイとサイシャット族は呼ぶ)というユニークな祭りを行う。これはかつてサイシャット族の集落の川向うに住んでいたとの伝説がある背の低い人々を偲ぶ儀式だ。この背の低い人々は時折サイシャット族の集落に遊びに来ては、仲良く付き合ってきたのだが、ある時、酔いが回った彼らがサイシャット族の女性に無礼な振る舞いをしたので、サイシャット族が怒ってしまう。そこで、彼らが川にかかった丸太の橋を渡って自分達の集落へ帰る時に、サイシャット族の男たちが橋を壊して彼らを川に溺れさせ、全滅させてしまった。この話の真偽のほどは分からないが、今でもサイシャット族はこの伝説に基づいて、この背の低い人々を死なせてしまった罪を贖い、彼らの魂を弔うためにこの祭典を行っている。かつては毎年行っていたが、日本時代に2年に1度に変えさせられ、10年に1度大規模な儀式を行う。
さて、筆者の嫁ぎ先は宜蘭県のタイヤル族の集落だが、集落に残る祭りというものがない。かつては12月頃に収穫祭を行っていたという話を聞いたが、それもかれこれ戦前のことらしい。私が村の長老たちから直接聞いた話は日本時代から国民党時代にかけてのことに限られるが、日本時代には、12月の終わりに粟の収穫祭を執り行って御馳走をこしらえ、そのまま日本式のお正月を迎え、村に駐在する先生ら日本人を招いて一緒に飲み食いしたのだという。その習慣の名残りで、1950年代に山地の旧集落から現在の平地にうつってきた後も、主人の祖父母は台湾の平地式の旧暦の正月ではなく、新暦の正月を祝うのが習わしだった。祖父が存命の時には必ず元旦に一族が集まり、ガガ(共同体意識のようなもの)と呼ばれるタイヤル族のしきたりに従って、ブタを殺し、小家族ごとにすべての部位が平等に分配された。祖父は他界したが、今年の新暦正月にも方々から親族が集まって祝った。このため、我が家では新暦正月を「正式な新年」として祝った後、台湾社会全体が正月を迎える旧正月も祝うので、要するに2回新年を祝っている。
主人の集落では収穫祭は催されず、一番盛り上がるのは5月頃に行われる日本時代の名残りの運動会のようだ。原住民の集落に共通して言えることだと思うが、身体能力の高い原住民は、各年代が参加し、村を挙げて行われる運動会が非常に好きである。各集落の小学校で村の運動会が行われた後、今度は郷全体で集落対抗の合同運動会が盛大に催される。一番の目玉種目は短距離や長距離だが、タイヤル族の場合、猪をぶら下げて運ぶ競争などもある。
ほかの原住民族はそれなりに伝統的な祭りや文化を継承してきたのに、タイヤル族にはそれがない。何故なのだろうと、不思議に思って自分なりに推察してみたが、それは、タイヤル族が最も大事にしているガガ(=共同体意識)という非常にシンプルな伝統観念と関係があるのではないかと思っている。タイヤル族には、貴族階級と平民階級に分けられるパイワン族やルカイ族、プユマ族のような厳格な身分階級制度や、世襲制によった頭目制度がない。特権階級がなかったので、各家に伝承されてきた貴重な着物や装飾物もない。かつて頭目制度はあったが、それはガガの精神にしたがって、誰が頭目にふさわしいか、その都度話し合って決めてきたものであり、世襲制ではなかった。先ほどブタを殺すという文化を紹介したが、この時、本当にすべての部位がどんなに小さくても均等に分けられて、均等に分配される。これもガガの精神である。
だからタイヤル族は一族意識が非常に強いのと同時に、他民族や他集落、ひいては同じ集落の他家族を排斥する傾向が強いのかもしれない。集落の前に一族なのだ。そしてそれに拍車をかけているのが、4年に一度実施される村長選挙である。恨み、妬み、誤解が渦巻き、年々集落が分裂してゆくのを感じて、さびしい思いがする。
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