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講師 ロマリンダ大学医学部微生物分子遺伝学科、笠淳一博士
講師紹介と略歴
今年は、生命の根幹をなす遺伝子に関して大きなエポックとなった年です。ヒトゲノムの読み取り完成など、最近の遺伝子学は目覚しい進歩を遂げています。クローン動物、クローン植物の誕生は実は遺伝子(DNA)操作の応用によるものです。遺伝子治療から犯罪の決め手となる遺伝子分析まで、遺伝子の応用性には計り知れない可能性を含んでいます。その一方、環境汚染など複雑な問題も秘めています・・・・
そんな問題をロマリンダ大学の遺伝子学者、笠淳一先生と一緒に考えてみませんか。
講師略歴: 千葉大学、東京都立大学大学院を卒業、理学博士。 1979年ロマリンダ大学医学部の基礎医学部門に医学交換教授として渡米、現在ロマリンダ大学遺伝子学科の助教授。1996年スイスのバーゼル大学客員教授。 ロマリンダ大学の大学院では薬学部と医学部の授業と実習に携わっている。 専門は遺伝子(DNA)を切る”制限酵素”の研究。 2000年にアメリカ市民権取得。 1991年よりロマリンダにJapan Clubを組織し、日本からの研修者や近隣の日本人社会への奉仕活動に努める。
講義内容
遺伝子は、人間は人間になる、トラはトラになるという、生物を作るための設計図である。50年まえ、ワトソンとクリックという20代の大学院生が、DNAの構造を発見した。今年になって、人間の遺伝子がすべて解明された。人間の遺伝子は、30億個の塩基配列からなる約3万5000個あることが明らかになった。
全生物に共通している遺伝子は、約20%もあり、人間に特有な遺伝子の率は約1%くらい。遺伝子の違いと身体特徴の違いは、必ず一致したものではない。例えば、日本人とアメリカ人の遺伝子は、けっこう似ており、日本人と韓国人は、遺伝子がけっこう違っている。アフリカは、遺伝子の宝庫で、アフリカ人の遺伝子の多様性は、日本人とアメリカ人の差よりも大きい。
母性遺伝子をたどっていくと、アフリカにたどり着き、人類の祖先は、アフリカにいたと言われている。
1946年に国連のディレクターが、バイオテクノロジーがエンジニアリングより重要になる時代がくることを予言している。遺伝子操作で、初めて商品化が行なわれたのが、バクテリアを使っての糖尿病の薬であるインシュリンの大量生産で、1960年のことだった。30年前には、遺伝子を作ることも可能となった。
クローンは、目新しいことではない。例えば、ニラは、葉を切っても、またはえてくるが、これが、クローンと同じことである。遺伝子組替食品についても、大騒ぎすべきことではない。われわれが、毎日食べている野菜は、自然状態ではなく、何百年も品種改良が行なわれて来た結果である。遺伝子組替も、品種改良のひとつと考えれば、心配すべきことでないと、アメリカの食品局は言っている。
今後50年間で、地球上では、約80億人が飢餓状態に置かれるという予測があり、遺伝子組替で、食料が増産されれば、解決策になる。遺伝子組替は、人類にとって必要なことでもある。しかし、遺伝子組替が、長期にわたった場合の危険性は解明されていない。
ヒツジのクローン「ドーリー」は、イギリスのロザリン研究所で、生まれ、7歳まで生きた。ヒツジはふつう、14歳くらいまで生きるので、寿命が短いようだが、「ドーリー」は「ボニー」という子孫を残している。
人間のクローンはまだ出ていないが、クローン人間が生まれても、パニックになる必要はない。クローン人間とは、一卵性双生児のようなものだ。ただ、一卵性双生児が、同じ時期に生まれることにたいして、クローン人間は、双子の片方が、ずっと後になって生まれてくる、ということだ。一卵性双生児は、1000人にひとり生まれる確立だ。
遺伝子の研究が進むと病気の原因を遺伝子で説明することが可能になってくる。例えば、日本人の自殺が多いのは、セラトニンS型の割合と関係があるようだ。アメリカ人が68%に対して、日本人は98%の割合だ。10年後には、医者は、患者の容体を見るために、まず遺伝子情報を知ろうとするだろう。現在のカルテは、患者のゲノム情報の入ったCDに置き換わっているだろう。
人類は、これまで、食料生産のように環境をコントロールすることにいしょうけんめいであったが、これからは、遺伝子をコントロールすることにいっしょうけんめいな時代に入っていくだろう。人間が死んでしまうと、そのひとが持っているゲノム情報は消えていくが、遺伝子操作では、一度変えた遺伝子が永久に残されていく状態が生まれる。ゲノム操作は、慎重に行なわなければならない。遺伝子組替は、知識を深めて、賢い判断をする必要がある。
(録音テープの聞き取りによる要約=カルチュラル・ニュース、東繁春)
講師 立川朱理亜 弁護士
講師紹介と略歴
立川さんはカリフォルニアで20年以上にわたり様々なケースを手がけ、その豊富な体験と事例に基づいた著書「訴訟亡国アメリカ」(1995年文藝春秋社)、「弁護士が怖い!」(1999年文藝春秋社)があります。これらの著書で、訴訟関係にうとい日系企業は訴訟大国でもある米国では標的にされやすく、最低限の法律知識を持たなければ大きなリスクを抱え込むと警鐘を鳴らしています。
講演では、セクシャルハラスメントや雇用平等法に対する日系企業の陥り易い対応のまずさ、また訴訟にならないような防止手段について、実例を交えて分りやすく解説していただきます。会社の運営に携わる人の多いSBMS会員にとって必須の講座になるものとご案内申し上げます。
立川珠理亜氏略歴
聖心女子高、国際キリスト大学、UCSB大学を経て、1973年東京大学修士号取得、博士課程入学。1975年UCLA修士号、1978年ロヨラ大学法学博士号取得、1981年米国加州司法試験合格。以降、PAUL,HASTINGS,JANOFSKY & WALKERを皮切りに4箇所の法律事務所で国際部長や主任を歴任され、2002年よりTACHIKAWA & ASSOCIATES法律事務所主任。日・英・中国語を話す国際派弁護士
講義内容
1. 弁護士料金は高い!
雇用関係の訴訟になると原告勝訴でも$300,000はかかり、相手も$300,000係り合計$600,000程度にはなる。そうなる前に「和解」して決着したほうが安くつくケースは多いが、何よりも大事なのは普段の訴訟に至らないような防止策である。
2. 雇用法に関する州法の社内掲示が企業の最低基本姿勢
社内の目立つところに州法のポスターを掲示して「この会社は州法を遵守します」という姿勢を示しておくことが大切。訴訟になった場合にも調査対象になる。掲示していないと「もともと法律を遵守するつもりのない会社」という判断材料になり敗訴の一因にもなる。
3. 間違いや誤解される例
1) 残業手当の支給不要な例
Administration、社長秘書、ProfessionalなどはExemptとみなされ残業手当ては不要である。
2) Managerというタイトルでも残業手当が払われる例
Managerというタイトルでも部下がおらず管理職的な業務がなければ残業手当てを支払わなければならない場合がある。対外上タイトルだけManagerにしているときなど要注意である。
3) 出向者の残業
現地人と同じポジションにある場合などは現地法律を適用するのが無難。
4) タイムクカードのクロック
時間集計は15分単位の四捨五入(9:07=9:00、9:08=9:10)
5) 代休
Non-Exemptの代休は本人の都合以外は強制できない(代休を取らせて休日出勤分を支払わないということはできない)。
Exemptの代休は不要(年間給与で補償済み)。マニュアルにも入れないほうが良い。
4. マニュアル(就業規則)の見直しは極めて重要
1) 特に他州に本社(支社)がある場合、現地法律に合致しない場合が多く、抜けや不必要な記載が原因で係争になるケースがある。
2) 日本の本社の社是などを海外子会社のマニュアルやパンフレットに記載すると米国の訴訟範囲が日本の本社に及ぶ危険がある。
3) ハラスメント
カリフォルニアで定めた14項目を遵守。発生したら定めたフォームに調査記入し、後で言いがかりをつけられないようにしておく。毎年防止教育をして署名をとっておくこと。出向者には着任時にオリエンテーションをしてハラスメントに関して理解させる必要がある。
4) 社内のデート規制
通常、仕事で上下関係がなければデートはOK。同性愛者がもれるケースあり。
5) Fair/Unfairについて
雇用者はUnfairであってもよいが差別はいけない。
6) Temp(臨時員)
一年以上の継続採用は危険
7) 産休
出産4ヵ月後までポジションはOpenに。そのポジションがなくなれば雇用責任なし。
8) マニュアル作成の基本的な考え方
マニュアルは社員をHappyにさせるものではなく訴訟を防止するため、と考えなければならない。
5. 訴訟を防止するための一口アドバイスとは?
小さなクレームを放っておかないこと
小さなクレームでも人事のプロであるAdministrationや弁護士と相談して早期に訴訟の芽を摘んでおくことが大切。そうしないと高い弁護資料を払うことになりますぞ!!
記録(井出)
講師 阿木慎太郎 氏
講師紹介と略歴
地元ロスに在住するハードサスペンス小説の巨匠、阿木慎太郎さんです。最近上梓された大作「ラストインテンション(遺志)」の創作過程を辿りながら、豊富な映画・出版業界での経験を踏まえて「創作のヒミツと小説ができるまで」と題して講演していただきます。
阿木先生は昨年出版したテロリストを主人公にした「ヴァイオリニストの息子」が、創作中に発生したその後のテロ事件に酷似したために急遽展開を変えたという、綿密な調査と資料に基づいた作風で知られています。阿木先生の執筆活動は30年に及びますが、その作風は恋愛小説、シリアスホームドラマ、ハードボイルド、ポリティカルフィクションなどどんどん変わってきており、ドラマ化された本も夥しい数に上ります。
[略歴] 慶応大学在学中より劇団を主宰。多くの人気俳優を育てる。
卒業後、東宝に入社。東宝映画の企画担当重役の傍ら執筆活動を本格化。
阿木慎太郎のペンネームで、多岐にわたる小説を発表。NHK・民放などで多数ドラマ化される。
最近ではポリティカルフィクションやハードサスペンスものが多い。
また人気作「闇の警視」5部作も近々100万部突破記念の「新・闇の警視」も発刊予定。
紹介者 諸橋氏
講義内容
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なぜ本が売れなくなったか
・読書以外に金を使う趣味・余暇の過ごし方が増えた
・図書館の存在。無料で自由な貸しだし。ベストセラーでは延べ数十万冊の貸し出し -> 販売機会が失われている。
図書館側は、読書の底辺拡大に貢献と反論。
・新古書店の台頭。読書には安価で嬉しいが、出版業界には金が入らない。
・読者層の変遷。文芸が売れない。ハウツー、健康、経済が売れ筋。
出版業界の現状
・大変景気が悪い。
・2.39兆円産業と大きいが、3.9%減。毎年減少傾向。
・ある統計によると、書店が毎年2千店減少
-> 日本映画界の凋落に大変似ている
新たな動き
IT化。電子ブック。
阿木先生の半生
・終戦直後、学校入学。貧しい時代。貸本屋で本を読みあさる。
・映画女優の姉の影響で、中高時代芝居に熱中。
・大学時代、 劇団を主宰。奥様と知り合う。
-> 芝居では食っていけない。結婚のためには就職が必要。
奥様との馴れ初めをお話し中に音響機器不具合で、大爆音発生*
・卒業後、東宝に入社
・東宝に23年間務め、うち十数年はTVドラマ企画を担当。
*SBMSより:大変失礼いたしました。しかし、何というタイミング!
TVドラマ企画時代
・スタッフ7-8人で 、ドラマのネタとなる原作を探し、企画書をTV局に売り込む。
・原作は各社の奪い合い。原作不足となる。
・オリジナル脚本を執筆し、制作する。
・ 原作の著者にはギャラが支払われるが、オリジナルの制作に当たっては仕事の一部であり通常の給料以外何もない。クレジットすら出ない。ストレス溜まる。
・ 出版社に原稿1000枚持ち込み、出版とTVドラマ化を掛け合う。
-> 実現し、出版とTV化の相乗効果でヒット。
作家ってなんて儲かる商売なんだろう!
作家へのきっかけ
・23年務めた東宝を退社。「毎日が日曜日」状態。奥様の勧めもあり、ロスに移住。
・ロスでコーディネート会社を設立。しかし、 儲からず失敗。折からの急激な円高で手持ち資金が消失!
-> やむを得ず、小説「挙聖処刑行」を執筆。ヒット作となり、作家を本業とするようになる。
創作の秘密
・阿木先生の奥義: ストーリーを作らずに書く。
・感情移入できるキャラクターを設定するのがカギ。後はキャラクターが勝手に動いてくれる。
・執筆場所は、ご存じスターバックス
最新刊「ラスト・インテンション」について
・タイトルは版元が決めた。日本人にはわかりにくい?
・映画界が舞台と言うことで、版元は当初撮影所のトリックを題材にしたストーリーと考えていた。阿木先生としては、日本映画の産業構造の宿命について描きたいと考え、執筆した。
・ラスト・インテンションの秘密
前半: 1980年代のサラリーマン物。文体もサラリーマン風
後半: アメリカの作家が書いたような文体
小説について
小説を読んでも
お金が儲かるわけではない
健康になるわけでもない
時間を浪費する
しかし・・・・
小説は素晴らしい
何通りもの人生を味わえる。ヒーロー、ヒロインになれる
主な質疑
Q: 作家志望です。どうすればデビューできますか?
A: 現在作家使い捨ての傾向が顕著。従って新人には逆にデビューのチャンスは大きい。新人賞懸賞に応募するのが最も近道。出版社に持ち込んでもまず読まれない。私のところにも持ち込まないでください。
Q: 裏の世界を舞台にしたストーリーが多いですが、取材はどうされていますか?
A: 実際にヤクザや警察内部の人と会って話を聞いている。言ってることが正反対だが、そこはフィクションなので脚色して書いてます。
講義全体の感想
SBMSの新記録ではないかと思われる約80名の聴衆を集めた講義となりました。質疑もいつにもまして活発で阿木先生の人気ぶりが伺えました。
Hideki Muto
講師 目良浩一氏
講師紹介と略歴
南カルフォルニア大学(USC)で教鞭をとる経済学者、目良浩一(めら・こういち)教授を迎えて、世界経済の動向を語って頂きます。特に日本の株価低迷や長期化するデフレの現状を解き明かし、波乱の経済環境を整えるのに不可欠な金融市場の流れや不良債権問題の行方、小泉改革の帰趨などについて、一般のマスコミにない切り口で指摘されることが期待されます。教授の世界的経済アナリストの片鱗は、先のハーバード大学や世界銀行での活躍場にも伺え知れますし、今日も、なお日米ビジネスの方向性に強い影響力を持った方と聞いております。
[略歴] 1957年東京大学工学部卒業。1965年ハーバード大学で博士号修得後、同年ハーバード大学経済学部講師。1967年ハーバード大学経済学助教授。1969年世界銀行のエコノミストとなり、その後同銀行アドバイザーとして活躍。1975年筑波大学教授。1995年南カリフォルニア大学教授、現在に至る。
紹介者 今森氏
講義内容
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'80年代以降の日本経済の動き
'80年代 バブル経済、派手な発展
'90年代 低迷、GNP: 2位->7位 PPP(購買力指数)にいたっては16位
失われた10年
'00年代 回復か停滞かの分岐点
凋落の原因
地価急落 -> 景気急落 -> 120兆円の不良債権
戦後復興、追いつけ追い越せが国民全体の一致した目標 -> '85年プラザ合意が分岐点
・目標達成 -> 目標喪失
・自信過剰による成金投資の失敗
・追いつき型経済の限界
・依存型のメンタリティー
・危機意識の欠如
どうすれば望ましい国になれるか
グローバリゼーションが不可欠、孤立主義は持続不可能
・自主的思考力が不可能
・異端を受け入れる社会
・能力を十分に生かせる社会
・政府による規制を最小限に
国民の自立、地方自治、教育改革、大胆な不良債権処理
失われた10年のその後
明るい兆しと暗いニュースが相半ば
2002/4 小泉政権発足1年成果乏しく
2002/12 上場企業、リストラにより7割増益
2003/1 新生銀行の成功
2003/3 イラク戦争 不安定
2003/4 4/26 日経平均¥7600まで落ち込み
2003/5 上場企業15%経常益増、ピーク時の9割まで回復
2003/5 全大手銀行、最終赤字
2003/7 経済指標上向く、長期金利上昇
改革は進んだか?
成果は少ない
・特区の規制撤廃
・金融機関への公的資金注入をやりやすくした
最近の動き
・株価上昇 -> 2003/4の急落からの回復
・長期金利上昇 -> 外資の影響
・企業業績向上 -> 特定業種、合理化の成果
本当の回復か?
答: まことに疑わしい
・経営方針 -> 大きな変化ない
・官僚の抵抗存続
・政治家、旧態依然
・小泉政権は 国民の期待と旧態政治家の中庸路線
必要な変化
・企業が政府に頼らない
・失業に動じない
・競争社会への慣れ
・政治家が官僚を動かす
・移民の入国制限を緩和
・努力が報われる社会に
講義全体の感想
力強い日本経済の回復を期待しましたが、道のりは険しいようです。今回のお話しは、目良教授からの警鐘と言えそうです。真の日本経済回復のためには、我々日本人一人一人が意識を変え変化することが求められていると感じました。
Hideki Muto
講師 アンディー松田文男 氏
講師略歴 スシ・シェフ・インスティチュート(SCI)の設立者、アンディー松田文男さんです。松田さんは兵庫県出身で、高校卒業後、寿司職人として修行を積み、1981年に包丁一本とスーツケースでロサンゼルスに来られ、その後、レストラン、ホテルなどで業績を上げられました。ホテルの仕事では、ロサンゼルス・シェラトン(LAX空港)とロングビーチ・シェラトンで、チーフ・スシ・シェフをされています。その傍ら、貿易会社も経営されています。
1998年にアメリカで初めてのスシ・シェフ養成学校「カリフォルニア・スシ・アカデミー」の設立に携わり、チーフ・インストラクターを務められました。その活躍ぶりは、数多くのテレビ、雑誌などで取り上げられ、人気雑誌の「ピープル・マガジン」にも紹介されています。
2002年9月に独立し、自らが経営者となって「スシ・シェフ・インスティチュート」を設立し、スシ・シェフの養成に力を注いでいます。
今から10年前の36歳のときにガンを患い、克服した体験の中から食生活の大切さを痛感し、それが学校設立の一つの動機にもなったそうです。
講義内容
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アメリカは今、日本食ブーム
現在、アメリカではSUSHIを初めとした日本食ブーム。全米で約7000件の日本食レストランが営業している。
離婚率が高くシングルの多いアメリカで、1人で行っても話ができる SUSHIバーが人気。スローフード見直しや健康ブームに乗り、暖かいもてなしのある日本食がロス、ニューヨークを中心にブームとなっている。
ブームの中に危険な兆候
日本人経営の日本食レストランは約30%。今後も減少傾向。70%の外国人経営のレストランの多くは、日本食の扱いの基本ができておらず、衛生面にも問題のある場合も多い。カリフォルニアロールができて、40年。現在ブームの渦中にあるが、何か事が起こるとどうなるか? いくら30%が頑張っても、70%に潰されてしまう危険性が潜んでいる。
HASP との戦い
食品衛生は30年前に制定されたHASPにより一元管理されている。
米食、中華、日本食全て同じ基準。
-> 日本食の実態に合わない基準
危険温度帯 40~141度 での保管は不可。(殺菌作用のある酢飯も同一管理)カリフォルニアで回転寿司はほぼ不可能
-> PHでの管理を提唱
今こそ、日本食スクールが必要
日本の技術を持っている日本食レストランの多くは、日本独特の職人気質。教える環境になっておらず、米国人が就職してもなかなか技術が習得できない。
「米国人がきちんと理解して技術を習得できるスクールが必要」
2002年9月に独立し、自らが経営者となって「スシ・シェフ・インスティチュート」を設立
スシ・シェフ・インスティチュートの現在
ベーシッククラス(1ヶ月)とプロクラス(1ヶ月)の2本建て
プロクラスはプロとして必要な基本を徹底
ファンシーロールよりもカッパ巻きを1分1本巻ける技術の方が大切。
350名の卒業生の70%がプロとして活躍中、5、6名が日本食レストランを経営。
世界に通用するSUSHIを作ってもらうため、知ってることは全て教える
世界の寿司はロスから
日本の寿司: 職人の世界。「黙って俺の寿司を・・・」 敷居が高い。
世界が求めているのは、日本の寿司ではなく 、敷居の低いロスのSUSHI。
ロスが世界のSUSHIの拠点
日本の伝統をキープするのは今が大事。今後の5、6年が勝負
講義全体の感想
3才から料理をしていたというアンディーさん。SUSHIに対する熱い思いがひしひしと伝わってくる素晴らしい講義でした。
Hideki Muto
講師 Dr.三浦龍子氏
講師紹介と略歴
2003年 5月度の講師として、Dr.三浦龍子氏をお迎えして、「重病を克服するキーとなった精神療法とは?」と題し、医者から匙を投げられた重病を自分で完治してしまった人達を徹底的にリサーチし、奇跡の陰に何があったかを探った結果について専門の精神療法的、食事療法的、医学的なアプローチにより解明し、我々に「ライフセービングテクニック」を提供して頂きます。
Dr.三浦はサンデイゴ州立大学で心理学修士号を取得後、California Institute of Integral Studiesで臨床心理学博士号及びビジネスコンサルタントの免許を取得。8年以上の異文化コミュニケーションの経験を持ち、企業や個人の問題に対応しています。
講義内容
1.病気になるまでの過程には次の3ステップの時期がある
1) 警告反応期:犬に吠えられた時、逃げるか闘うかの準備をするべくホルモンが自律反応する。
2) 抵抗期:疲労が取れない状態が3~6ヶ月続くと血液が酸性化して病原菌が好む状態になる。
3) 疲労困憊期:抵抗期に適切な治療をしないと病気が進行して、終いには死に至る。
要は病原菌が好まない状態の体に保つことが大切。その条件とは:
1 ジャンクフードを避けて、弱アルカリになる食事をとる(野菜、豆腐、梅干、海草・・・)
2うらみ・つらみをすててポジテブな心構えに切り替える
3 適度な運動をして血液の循環を良くする
4 体を冷やさない
2.著名な検死官だったトーマス野口の言葉
年齢に関係なくストレスに蝕まれた人の内臓・血管はぼろぼろで、100歳まで生きた人の内臓はピカピカにきれいで、死ぬ時も苦しまずローソクが燃え尽きるようにスーと亡くなる。
3.医者に匙を投げられたほどの重病を克服した人たちの実例
1) 寺山しんいちろう(物理学者・ビジネスコンサルタント)
働きすぎ(ワーコフォリック)で夜もろくに寝ずコーヒー一日20~30杯。ステーキを好み、リラックスする時間もなく、その気もない。結果は腎臓ガンが体中に移転し入院。食べ物・死人の匂いが鼻に付き食べられず退院。食事内容を変え、鳥が朝さえずるのは朝のうちは酸素濃度が高いからということに気付き、朝の運動効果と食事療法で快復した。
2) デニース(二児の母)
乳ガン。医者が与える薬を納得しないと飲まないため強制退院。子供が小さく死ぬわけにはいかない。なぜこうなったか瞑想し、過去のうらみ・つらみを解除すべきと悟り、快方にむかう。(医者に素直な人は頑固な人より亡くなる率が高いとも言われている)
3) 本田氏(元阪神タイガースのキャッチャー、真向法の先生)
骨ガン。余命6ヶ月の宣告受ける。ステーキ、白米を好みそれがエネルギー源と考えていた。食事、砂療法、塩バス、スピリチュアルトレーニングでサバイバルした。
4) ロレン・デイ(医者)
乳ガン。癌巣を切除する時にリンパ腺もとられそうになった。手術を繰り返したくないのでいろりろ試した。死ぬ間際に肛門から点滴して死を免れ、そのごキャロットジュースなどで快復。
5) 隣人のベテイ
びわの葉、何妙法蓮華経を唱え、絶対生き抜くと信じた。
6) ジェロー・ジャボスキー(?)
23歳、スキーで怪我、半身不随に。スキーをもう一度したいという強い欲望を持ちつづけ快復。
4.重病を克服した患者に共通する点
1) 自分の身の回りをポジテブなもので囲む:ポジテブなニュースに反応し、ポジテブな映画を選び、心休まる友人を選び疲れる友人は避ける.…など。
2) 自分は治ってみせるという強い信念と念願を持ちつづける:宇宙からのフィードバックを信じる。念願を持ちつづけて行動すればかなえられる。シンクロシテイ・・・GroupSoulMateが現われ助け舟を出してくれる。その中から自分に合うものを第六感やリングテストで選ぶ。
3) 生きる目的をもつ:子供のためにも生きる、スキーをしたいなど。中国では正月期間は老人の死亡率が低いというデータがある(子供に再会できる喜び楽しみがあるから)。
4) 気が強い、頑固:気が合う医者と合わない医者がある。納得できなければ変えてでも。
5) 自分の存在よりも偉大なものの存在を信じる:神、エンジェル、スピリチュアルなもの、などにオープンマインドであること。
6) 病気が治っても良い習慣は続ける:治ったからといってもとのジャンクフードの戻らない。
7) ロールモデルを自ら探してサポートを受ける:生き延びた人の話や本に触れる。「スポンテナス・ヒーリング」という本にいろんな例が載っている。
8) ラジカルに生き方を変えている
9) 自分の病気を点からのギフトとしてとらえる:無茶をした結果こうなったが、よくここまで体が耐えてくれたと感謝する。
10)物事を良い方に持ってゆく:足を失っても手はまだある、歩けなくても目は見える、というように。そうすれば体は良いように反応してくる。
11)イヤなことはNo!と言う:自分を殺してまでストレスをためない。
12)うらみ・つらみから自分を開放する:うらみつらみは毒。セラピストや友人に話して後に残さない。
13)治療期間は病気をダダッ子と思え:そう思えば徐々に消えて行く。
5.病気にかからないために
1) スピリチュアル・トレーニング:天の声を聞く(エンジェル・死んだおばあちゃん・・・)、Still voice within(第六感の声、食あたりする時は食べた瞬間ピンとくるはず。それを聞く)
2) 体を弱アルカリ(Ph7.4)にする食べ物:梅干、梅エキス、玄米食、豆腐、野菜中心、青汁、キャロットジュース、葉緑素、グリーンマグマ、肉は食べても良いが腸に引っかかる悪者を取り去る酵素を飲めばよい。びわの葉茶、三つの白(砂糖、塩、白米)を避ける、乳酸菌を飲む、宿便は横になり指で揉んで固いところをマッサージして排泄を促す。
3) フレッチャリズム:食べ物を良く噛む。唾液のなかには体を若返らせる酵素がある。噛むことで野菜が好きになり、肉が嫌いになる。人間はもともと肉食ではない。犬と違って人間の歯が平べったいのはそのせい。エスキモーは文明(ジャンクフード)が進むにつれ病気が多くなった。
4) 適度な運動とストレッチング:体から毒を出す。リンパ腺を心臓に向けてブラシするとよい。
5) 水を飲む:一日8~10杯。関節がルース(スムーズ)になる。水道水は不純物多くてだめ。
6) 纏め:�体を抗酸性つまり弱アルカリにする、�運動して酸素を送り込む、�体を動かし体を冷やさない、�毒素を入れない(ジャンクフード、暴飲、暴食を避ける)、などが大切。
以上 出席者:約50名, 記録:井出
昨日はご多忙中にもかかわらず、私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としておいでいただき、貴重な講演をありがとうございました。
米英によるイラク攻撃が軍事的にひとつの節目を迎えたこの日に、日本の歴史、特に「徳川15代にわたる260年の歴史に焦点をあてたお話はタイミングも良く、現状と重ね合わせながら興味深く拝聴いたしました。
初代家康のカリスマ体制から次第に組織としての幕藩体制を確立し、260年余りにわたって継続した理由、しかしそれでもそれが代を重ねるにしたがって財政悪化、内部矛盾、外国からの圧力などにより長期体制にも限界を生じ、遂には大政奉還にいたる経過・メカニズムについて、徳川15代にわたって詳細に解説いただき、私たちが見逃していた数多くの要点について再認識いたしました。また、これら体制の成長・崩壊過程は洋の東西にかかわらず、歴史の必然であることにも気付かされました。
配布いただいた「徳川15代の年号、主要出来事ほか」要点をまとめたメモは私たちにとって利用価値のある貴重な資料です。
今回は時間の関係で「徳川時代」に限定されましたが、また機会を作っていただき、更に幅広く奥深い歴史検証にまで発展させ、お話いただければ幸いです。
戦争を知らない世代が多い私たち日本人にとって、戦争とは、平和とはを考え、また歴史認識の必要性について知る良い機会を与えていただいたことに厚くお礼申し上げます。
どうも誠に有り難うございました。
サウスベイ経営セミナー
会 長 :井 出 英 雄
セミナー委員長(代行):河 合 将 介
ヘンリー幸田様
先日は 私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき 誠に有り難うございました。
トーマスエジソンと聞くと、偉大な天才発明家と思っておりましたが、一人の男として試行錯誤を経て実践した生活の一端を垣間見ることが出来、エジソンをより身近な先輩として、感じることが出来ました。
エジソンの知的好奇心の旺盛さ、失敗は存在しない、ハンディキャップを特長と考える積極性など、多くを学ばせてもらいました。
またフィロソフィーとは、「愛情を持って考えること」であることを知り得ただけでも、今回のセミナーに参加した意義があったように思います。しかし、話はそこに留まらず、ユダヤ教のセダカ、キリスト教のチャリティ、イスラム教のサカートの違いにおよび、混迷を深める現在の国際情勢を考える上での、大きなヒントをいただいたような気も致しました。
知的能力を高め、知的生活を楽しむ方法として、ご紹介いただいたものは、どれも新鮮でしかも今日から実践が可能なものとして、次に記載させていただきます。
<知的能力を高める7つの要素>
感性・運動・記憶・思考・道具・言語・学習
<知的生活を楽しむ方法>
評価-社会システムとしての評価と個人的評価
交流-Argument とDiscussion
読書-書籍投資・目次・反復
創造性-一人でやるブレーンストーミング
継続-量質転換
不可能と可能-輪投げの論理
睡眠-中村天風の考え
幸田さんのお陰で、SBMS会員の知的能力も今日々向上するものと確信しております。
お忙しい中、エジソンの電球、トースターの実物もご持参いただき、本物に触れた感動を忘れない会員も多いものと思います。
2003年の最初のセミナーとして、大きな知的刺激と元気を与えていただいたことに心より感謝申し上げます。今後とも、多方面でご活躍されますよう祈念いたしております。
この度は、誠に有り難うございました。
サウスベイ経営セミナー
会 長: 井出 英雄
2002年12月23日
Mr. Hikaru Sasahara
先日は 私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき 誠に有り難うございました。
御自身の経験に基づくお話は、説得力に溢れ、参加した会員にとって大変有意義なものでした。
自動車や電化製品で世界をリードし、ビデオゲーム、カラオケ、アニメとソフトウェアで世界進出をしてきた日本が、この処少し元気がないように見えていましたが、次はマンガで日本が世界を制覇すると言う笹原様のお話は、私たち日本人を大いに元気付けてくれました。
「日本の文化に一味つけて、世界に紹介する。」「ビーフステーキに醤油を一滴滴らすようなもの」というのは、分かりやすく、また興味深く聞かせて頂きました。
笹原様自身の生い立ちから、寺内タケシやベンチャーズなどの名前も登場し、懐かしく聞いた会員も多かったと思います。
日本で既に50年以上のマンガの歴史と資産がある事。セガ、ニンテンドーで育った若者に、日本人アメリカ人の区別はなく、マンガが受け入れられる素地が既に整っている事。など、日米の文化にも触れた分析は、新鮮でした。
最近のハリウッドのコンテンツ不足から、日本へのマンガツアーの企画や、マンガのリメークライツのライセンスビジネスにかけられる情熱を、熱く感じた時間でした。
また、お忙しい中、ビデオを準備頂き、理解を深める事が出来ました事に心より感謝いたします。
「いつも、私は世の中より先に行き過ぎて、旨くいかないのですよ。」と言われたのが、まだ耳に残っていますが、今後とも常に将来を見据えて、益々ご発展ご活躍されますようお祈りしまして、御礼に代えさせて頂きます。
この度は、誠に有り難うございました。
サウスベイ経営セミナー
会 長: 井出 英雄
セミナー委員長:永山 繁雄
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