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みさーり

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6/22/2017







島へ帰ってきて10日目。
雨予報が今は曇り、午後からはどうだろうか。


昨夕、思いがけず友人来訪。
いただきものだけど、と、プチトマトのお裾分けをしてくれた。

ちょうど「ふたり焼肉」の最中、肉も野菜もまだまだ残っていたところだった。友人に上がってもらい、一緒に食べようと誘った。いえいえ、と最初は断っていた彼女だったが、半ば強引だったかな・・・でも、美味しくいただいてくれた。

友人が来て間もなく、母帰宅。「やっちゅりな?」と、いつもの台詞に
「きゅうや、みさーり」
母の表情がパッと明るくなり、室内を覗き込む。友人が「こんばんは、お邪魔してます」と声をかける。
テーブルに誘導すると、母は姿勢を正し、「いらっしゃい、何もないところですが、どうぞよろしくお願いしますね」と。素晴らしい!「ささ、召し上がって」とまで言う。島っちゅはもてなすことを尊ぶ。母の中にそういうところがまだ残っているのが嬉しい。

食後、友人と唄アシビ。
姉のサンシンで友人が島唄を弾いてくれた。母の知っている曲もいくつか。母はとても嬉しそう。手拍子とともに口ずさんだり、拍手をして讃えたり。とても和やかな楽しい夜となった。

夜間、ぐっすり。
驚いたことに朝まで一度も起こされなかった。あ、5時頃から3回呼ばれたのだが、それはどうやら寝言だったらしい。わたしが行くとぐっすりと寝ていたから。

6時20分、母覚醒。わたしもちょうど起きたところ。
トイレへ誘導。夜中に一度も起きなかったせいか、身体がこわばっていて動きがやや鈍い。が、「よっこいしょ!」と、元気に掛け声をかけていた。

モーニングケアの後、お迎えが来るまでの間にすももジュースを出す。母、美味しそうに飲んでくれた。それからすもものコンポートも食べてもらった。
「くら、だぁーら」
と訊くので、うちの庭のすももだと伝えると、「たるがさるー」と、わたしがだよ、と自分を指差しながら言うと、母は驚いた顔でわたしを見るのだった。わたしのことを一体いくつだと思っているのか?
そう言えば、姉がまだ起きて来ない頃に何度か言っていた。「やーとわんとたーりな」姉もいることを伝えると「みさーりぼっけ!?」「あとのくゎんきゃはよー天井うーなんてぃ隠れな?」

母の中のわたしたちは今でもこどもなんかなぁ???

お迎えが遅れているようだったので、一度ベッドへ横になってもらった。
15分程遅れてIさん到着。すももジュースでシャツが汚れたので洋服を着替えさせたのだが、ピンクのシャツを着た母に「Jさん、赤が似合ってますねーかわいい」と声をかけてくださった。着せる時、母は「こんなはぁさん色」と躊躇っていたのだが、Iさんの言葉にはにかみながら「少しでも若く見せようと、こども達が気をまわしてるんですよ」と。これまた島口でなく標準語で。
母の機転の速さに感動する。

行ってらっしゃい!
母の1日が穏やかで嬉しい日となりますように。









#介護日記 #日記

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始業の祈り

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8/21/2017







昨夜は度々起こされた。
母は何やら不安が強かったのだろうか。9時頃にベッドへ誘導したのだが、11時に1度、12時から2時頃まで10〜15分置き、3時半にトイレへ誘導、その後も4時半、5時半。
蒸し暑かったのもあるかもしれない。トイレ誘導した際、かなり汗をかいていたので着替えさせた。あけがたの大雨で蒸し暑さが少し和らいだ。

6時40分、飛び起きて母に声をかけた。(わたし自身、眠れなかったので寝過ごしてしまったかと焦った!)
母、とても穏やか。トイレへ誘導、モーニングケア。

お迎えの時にも穏やかだった。ほっと安堵。
「待っとれよー」
と言いながらデイへ。「行ってらっしゃい!」


母の調子の維持はなかなか難しい。良いときもあるのだが(以前に比べれば格段に良い)、ささいなことで不安定になってしまう。

昨夜は、帰宅時には表情が硬かった。何かあったのだな、と推測。
帳面に排便があったことが記されていた。トイレで出来なかった様子。原因はこれか・・・と納得。
母は、失敗すると落ち込むのだ。
母には尿意も便意もあるので、間に合わなかったりすると、酷く落ち込む。周囲の人に迷惑をかけてしまったという気持ちと、自分で出来ないはがゆさと。そういうものを母はまだ持ち合わせている。
昨夜も、トイレへ誘導して排尿があった時、「出たよー」と嬉しそうだった。完全な失禁状態ではないことは、母にとっては大事な砦なのだと思う。

昨夜はベッドへ行くまでの間、唄を歌ったり昔話をしたりした。母は、昔の暮らしと今の暮らしを比較し、時代が変わった、と言っていた。思考が混沌としている時もあるが、昨夜はとてもクリアーだった。姉も一緒に3人で「とっちぶる」の唄を歌ったりもした。母に笑顔が多く見られ、楽しい夜だった。
そういえば、帰宅後に軽い食事(とっちぶるを煮たもの)を出したところ、手を合わせてお祈りを始めた。それはいわゆる「食前の祈り」ではなかったのだが、「聖霊来たり給え・・・」と始まり、案外長いお祈りをはっきりと唱えた。その間わたしも手を合わせて一緒に祈り(母の記憶の良さに驚きながら)、最後の「アーメン」だけをふたりで締めた。今、検索してみたところ、どうやら母が唱えていたのは「始業の祈り」だったようだ。

 ・・・

「始業の祈り」

聖霊来たり給え、信者の心に充ち給え。
主の愛熱の火を我らに燃えしめ給え。
主よ、聖霊を遣わし給え、しかしてよろずのものは造られん。
地の面は新たにならん。
祈願、聖霊の光をもって信者の心を照らし給いし天主、
同じく聖霊を持って我らに正しきことを悟らしめ、
その恩慰めによりて常に喜ぶを得しめたまえ。
われらの主キリストによりて願い奉る。
アーメン。

 ・・・


母は素晴らしい。
本当に素晴らしい。
母の信仰に胸を打たれる。

夜中に不安定だったことなど、なんてことない。
神さま、ありがとう。


今日、母がデイで穏やかでありますように。










#介護日記

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祝・開通

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6/20/2017







昨夜、母の帰宅が遅れた。
誤差は仕方ない、と思うのだが、15分も経つと、連絡はして欲しいな、と思ってしまう。しょうがないのかなー。わたしが訪問看護をしていた頃は、時間の遅延に関しては事細かく連絡していた。患者さんのみならず家族はその訪問時間に合わせて暮らしておられるからだ。

小柄の若い女性スタッフ。「遅かったですねー心配しました」と声をかけたが「あ、すみません」と、軽いお返事。そんなモンなのかな。母、ドアの目の前にちょこんと座っていたまるせりーのに向かって「まるーあんたひとりね?」と話しかけていた。笑える。わたしが「お帰りなさい!」と正面に座ると、「やっちゅりな?」と。相手によって言葉を変えるってところが凄い!感心した。

食事の支度をしていたので、母にも少し(母はデイで夕食も済ませてはいるのだが)。
「これはぬぅよ」
「とっちぶる」
「とっちぶる?」
「うん。とっちぶる煮たの、どうぞ」
「いただきます!」
母は大きな声でそう言って箸を上手に使って食べ始めた。美味しいと感じているらしい、パクパクと食べている。ニラたまも出すと、それも食べ始めた。「ご飯も入れようか?」「んいぃ〜、ぬんくぇん、かましてぃんにー」
ご飯は小さく俵型のおにぎりにした。「やぁやムンかだんな?」「いや、わたしも今からいただきます。一緒に食べよう」「かむかむ〜」
姉がまだ帰宅していなかったのだが、わたしも母と一緒に食事をすることにした。いただきます、と手を合わせ、さぁ食べよう・・・という時
「あ、ちょっと、トイレ」

おおおおおおおお。
さきほど帳面をチェックしたところ、日中の排便が「なし」になっていたので、がっくりとしていたところだった。よしよし。今の食事のおかげで腸が動いたんだな。「はい!」急いでトイレへ誘導。

祝・開通〜

感謝感謝。

大仕事に疲れたのか、横になりたいと言うので、そのままベッドへ誘導。
食事はすっかり冷めてしまったが、安堵の気持ちで食事に戻った。そんな時に姉が帰宅。「あれー母ちゃんもう眠ってるのー」
ははははは。姉、大仕事を見逃しました。話すと「うわーご苦労さん」と大笑い。


昨夜は何度か起こされた。半分寝ている状態で「おーい、おーい」と声をかけられ、その都度対応。なにやら不穏。まだお腹が動いているのかもそれない。が、とてもトイレへ行けそうな状態ではなく、時間を伝え、また眠るの繰り返し。そうそう(母語録に追記しておいたが)、不穏な母を安心させようと「心配せんで」と声をかけたら、「口先女」と返された。口先だけ、の意味だろう。すげー!さすが母。でけムン!!思わず吹き出しそうになったが、こらえた。ここで笑うと尚、悪い。

今朝5時半、姉が母と話している声で目覚めた。あ、起きれなかった、、、と思いつつ、姉に任せる。6時起床。母はぐっすりと寝ている。
前日の朝のお迎えがかなり遅かったので、時間まで休んでもらうこととした。10分前、さて母を起こそうかな・・という時にIさん到着。あちゃー!

母に声をかけるとすんなりと覚醒。も、身体の方はふにゃふにゃ。Iさんに手伝ってもらって車椅子へ移乗。「すみませんね」と、母。穏やか。
「朝ばんもまだじゃが、どうーがしよ」「大丈夫よ、朝ごはんはもうあちらで準備してくれてるからね」その後、「荷物は持たせたのか」とも聞かれ、「大丈夫、全部準備してあるからね」と伝え、お見送り。

あいにくの雨の中、車へ乗るまでの少しの間のためにカッパをかぶせられ、母は出かけて行った。穏やかな表情であったが、出かける母を見送る時はなぜか切ない気持ちになる。










#介護日記

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待ち時間

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6/19/2017






土曜日、母の受診日。
前の晩は1時間毎に起こされ、母は非常に不安定だった。

母が肺炎で入院したのが年末。その後、リハビリを経て一時退院し、認知症専門医を受診し、認知症病棟に入院、そこで初めてアルツハイマー型認知症と診断された。3月末に退院、在宅へと切り替え、同時にそれまで通っていた小規模多機能型のデイ利用を再開している。(余談だが、受診日なので、とデイのスタッフへは前日でお迎えなしということをお伝えしていたのだが、連絡が取れていなかったらしい。いつもの時間より20分近く遅れてスタッフが到着。わたしが驚いて受診日だからお迎えなしだと伝えたのだが、と話すと、その方は恐縮そうに帰って行った。忙しいのはわかるが、初歩的なミスだよなぁ、、、と、ちょっと呆れてしまった。姉によると以前もそういうことがあった、と。やれやれ。)


認知症専門医からの内服薬調整で、夜間不眠の続いた母がようやく眠ってくれるようになった。それに伴い、食事も摂ってくれるように。食べることを忘れてしまったのかと思うほど、拒食が続いたのだが、今は食欲旺盛で困るほどだ。
専門医より近所の総合病院の内科医に引き継いでもらい、現在、内服薬はその内科医により処方されている。土曜日はその処方を受けるための診察であった。

日本は国民全員保険であり、誰もが気軽に受診できる。医療保険のない人なんて考えられない。また、高齢者や高額医療を受ける患者さんへの補助もある。それは素晴らしいことだと思う。が、だからこそ?なのかな?9時半の予約なのに、待合室はわらわらと患者さまやその家族でごった返し、結局、母が呼ばれたのは11時半であった。その間、母は車椅子。何度か座り直しを行うのだが、本当にこれは苦痛極まりない。これは今に始まったことではなく、これまでも他の病院、クリニック、個人医、どこへ行っても同じだった。アメリカでは考えられないことだ。もちろんERは別だが。

そういうわけで診察まで2時間以上も待たされ、やっと会えた担当医だった。が、診察をしない。体に触れることもない。母に優しく挨拶はしてくれた。が、その後はわたしたち家族に「お変わりないですかー」それだけであった。しかも、「薬はあちらでもらっているんですよね」と。愕然とした。オイオイ、担当医はあなたになったんでしょう、カルテには記載されていないのか!?
「それでは同じお薬を処方しましょう。2ヶ月分にしますか、1ヶ月分にしますか」
わたしはこんな診察であれば2ヶ月先で良い、と思った。が、姉は「1ヶ月に1度は診察していただきたいです」と言う。メイン介護者は姉なので、とりあえずは1ヶ月分とお願いした。だが、診察室を出て、姉にわたしの気持ちを話した。「定期処方だけなら2ヶ月分で良いでしょう、変化があればその時に予約すれば良いだけのこと。来月もまた2時間待ちをさせるの?そんな価値ないでしょ、あの診察じゃ!」
姉は、それはそうだ、と思い直したらしい。慌てて診察室へ戻り、担当医に2ヶ月分の薬をとお願いし、次の予約も2ヶ月後にしてもらった。日本の病院ってどこもそうなのか、或いは離島の医療のレベルの低さか。アメリカの医療体制もいかがなものかとは思うが、母の受診ではいつも嘆かわしい気持ちになってしまう。

長くなった。そういうわけで、土曜日、母は遅れてデイへ。かなりハードな1日だったせいか、母はその晩、倒れるようにベッドへ、その後、泥のように眠った。


日曜日。
いつものように朝、起こすと目をつむったまま返事をしない。動きもしない。少し時間を置いてまた起こすと、今度は「どこにも行かない」の一点張り。トイレへ行こう、と言っても聞かず。あらららら、機嫌悪。
姉と交替。姉が声をかける。同じく拒否。
お迎えの時間が迫ってきて、こちらも焦る。しかし母は思いっきりストライキ。

Igさんお迎え。
母の様子を伝えると、中へ入ってこられ、母に優しく話しかけられた。しかしながらこの日の母は手強かった。まったく動かない。「行きません」「動けません」手をかけようとすると「触るな!」
Igさんより、無理強いは良くない、とお話があり(それはもちろん良く知っている)、特別に1時間
半ほど後にまた寄ってみるとのこと。感謝、感謝である。

母、8時15分頃か、むくむくとベッドで動きがみられた。すかさず「おはよう、そろそろ起きようか」と声をかける。すると母、目を開けて「そうね。よろしく」と。あらららら。恐るべし認知障害。
しかし、やはりどことなく機嫌が悪い。これは多分、排泄がうまく行ってないせいだろうと予測。トイレへ誘導したが、その気配なし。
お迎えが来るまでの間、モーニングケア、そして朝食。
いつものとおりにしていることも、どこか気にくわない母。2階より下りてきて声をかける姉に「あおおに!かん、きしんに!」
姉、わたしからのお土産のシカゴカブス優勝記念の青いTシャツを着ていた。青鬼、だって。笑いをこらえる。こんな時に笑おうものなら、母は尚、怒るのだ。

Igさん、約束の時間より少し遅れて到着。母、待ちくたびれて、またまた機嫌が悪い。よろしくお願いします、と頭を下げながらお見送り。


昨夜、母、いつもの時間より10分ほど遅れて帰宅。送迎のkさん、「夕の薬が入っていなかったそうで、のませてないそうです」
「入れましたけど」と、わたし。kさんは「入ってなかったそうです」と。姉、「夕のお薬はピンクと白の・・・入れ忘れちゃったかな?」と、わたしを見る。いやそんなことはない。元看護師ですからね、わたし。そんなミスがある筈がない。「ちょっと確認しますね」と、kさん。わたしの様子を見て、渋々、という感じだ。すると。。。なーんと、入っているではないの。しかも、昼のお薬もそのまま!
「夕だけじゃなく、お昼ものませてないようですね」わたしがそう言うと「あっ、本当だ、、、言っておきます。。。」とkさん。わかってます。kさん、あなたは夕方からの勤務なので、関係ないです。わかっています。心の中で思う。

母、機嫌悪し。帳面を見ると、本日も排便なし。しかもお昼の薬(排泄コントロールの薬)は服用していない。あー困った。軽い食事を準備し、夕の薬に排便を促す薬を増量しておく。薬をのませるのも一苦労なほど、母は機嫌が悪かった。いつもならなんてことなくのんでくれるのだが。。。いろんな手違いで生活のリズムが狂うと、母は途端に調子が悪くなる。
無理強いせず、母が自分で服用するよう準備。すると時間はかかったが、ちゃんと服用してくれた。
眠そうにしていたのでベッドへ誘導。これも何度か挑戦しやっと。眠そうにうとうとしているにも関わらず「眠りません」と言うので。困った困った。

11時、母に起こされる。既に布団をはがして起き上がろうとしている。「トイレ」と言うので、誘導。もしかしたら・・・という期待もあり。が、不発。
その後、朝までぐっすり。


今朝、6時半に声をかけると速やかに覚醒。トイレへ誘導。着替え。
その後、モーニングケア。お迎えまでの間、軽い朝食をあげる(朝食はデイで食べることになっている)。
いつもの時間より10分以上経過してもお迎えなし。姉が電話をかけて確認。「別の利用者さんの訪問の後になるので遅れているのかも・・・」という返事。今はわたしがいるので時間が遅れるのは構わないのだが(姉は仕事へ行く時間をとうに過ぎている)、遅れるなら遅れるという連絡がないと、母には負担である。

いつもの時間より30分ほど遅れてお迎えのスタッフが到着。またまたIgさんであった。スタッフが不足しているのだろう。Igさん、恐縮しつつ謝られる。連絡さえしていただければ母を一旦、横にさせて待つことも出来るので・・・と話す。姉によると。わたしが滞在するこの2ヶ月はお迎えを1時間ほど遅らせて欲しい、と依頼したが、スケジュールの関係上それは難しいと断られたのだそうだ。時間の誤差はしょうがない。しかし、連絡はしてくれないと困る。これでは母の負担が強すぎる。厄介な利用者さんだと思われているだろうが、わたしたちにとっては大事な母だ。そして、それだけの金額を毎月、支払っているのだ。

内服薬を入れたので今日は忘れずに・・と伝えると、昨日の投薬ミス(抜け)は知らされていなかったらしい。むぅ。。。。

母、「待っててくれよ、すぃてぃてぃくんなよー」と言って出かけて行った。切ない。。。。








#介護日記

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母語録

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6/18/2017







わかとぅんよ

あおおに、かん、きしんに

たるんちゅり、通らんが




すぐにメモしないと忘れるモンだわー



*追記
にへら顔しち ぬぅーよ

*追記(6/19)
まるー あんたひとりね

*追記(6/20) 
口先女

*追記(6/21)
うなぐぬ はぎっちば かーし あぎてぃ 時代の変わてぃ
昔や くゎんきゃぬ ゆうばんしち はたらきゅん うやじ ゆうばんぬ準備しもたっとー ち ゆびが いじゃある
なまや うやぬ ゆうばん準備しち くゎんきゃぬ ゆうばんじゃがうら っち 世の中 ひっくりかえってやー
うがしゅん 暮らし あた

*追記(6/27)
ミソば カメち うつさんば

*追記(6/30)
ウヤバ ハゴハゴ シチ ヌッチュン カイ
ウバ ユムタ ボォリ ユウナ

*追記(7/1)
アオゾラ ッチ テント ナンティ ワンバ スィティヨ ッチナ
ヤンキャ イノリ ダガ シランダロ トナエララン ダロガ トナエテミ シチュランダロガ


*追記(7/4)
一番さーは たるよ
ただしんたむだか いしょ道具っか つぃかわしよー


*追記(7/10)
あん むじゃらむじゃら しゅんや ぬぅよ
(姉作のごぼうとコーンのかき揚げを見ての一言)

*追記(7/17)
セェボーリコラティ ユラユラユラユラ シチ ヌゥヨ
ナンドガ ワンバ ミオクリド ナンガ ウガシアタレバ ワンヤ シナランド
ワンバ ミオクルンガ ナンヌ セキニンド
ワカトゥンナ!


*追記(7/25)
みこんじ やしなわってぃ みしょり元気!
おわりゅん日ば 楽しみっくゎにしんかなよー
・・・終わる、ではなく、会える、という意味らしい、と、姉3と笑いあった

日付は逸したが・・・母の寝言?いくつか思い出したのを記しておく。
・キュウノツユコ ッチ タズネテイケバ・・
・ワン バンナ? チギヤ ワン バン アナンナ?

*追記(7/26)
トゥクバリタインバン インガン クヮンキャ マタンバ チ ウムティ

お客さんが来たら お茶っくゎ 出してね よろしくね(標準語!で寝言)








#介護日記

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最期の祈り!?

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6/16/2017








昨夕、19時35分に母帰宅。
確か昨夏にもお会いした男性スタッフ。物腰の柔らかい話し方でとても感じが良い。姉に名前を確認。彼はIgさんというらしい。
帰宅時に姉がいたおかげか、母はやや混乱している感じはあったが落ち着いている。相変わらずスタッフさんには「すみませんね、いつも違った家に送っていただいて」と言ってたけれど。

姉がいただいてきた島バナナとシフォンケーキ、お茶を母へ出す。
バナナとケーキは小さめに切ってフォークを添えて。
母、美味しそうに食す。去年の夏はまったく食べなくなって心配したのだが、食欲は素晴らしい。本当に嬉しいことだ。
しばらく座ったままTVを鑑賞。その後、母が「あぐまっさ」と。

母、8時半前にベッドへ。

その後、姉も目をトロトロとさせ、「ごめん、わたしももう寝る。昨夜、寝てないから」と。
そう言えばわたしもなんだかもう眠い。
ということで、全員、それぞれベッドへ。(はっや!!)


1時15分、母に呼ばれる。
寝ぼけたまま母のベッドへ行くと、姉1の名前を呼んでいる。mだよ、とわたしの名前を言うと、aが熱を出して、、、と言う。どうやら夢を見たようだ。
聞くと、a(姉1)が熱を出して苦しんでいる、病院へ連れていった方が良いのではないか、病気の再発ではなかろうか、神父さまを呼んで最期のお祈りをしてもらった方が良いか、、などなど。
姉ちゃん、元気に生きてるよ!と思いつつ、母ちゃんそれは夢だよ、怖い夢を見たんだね、と話す。そして時間を伝え、明日にでも電話しようね、と言うと、母は安心してまた眠った。ちょっと驚いた。母が覚醒している時間では、姉1、3、わたしは混在していて、メイン介護者である姉2だけが明白な存在として認識しているのだ。時に名前すら口に出てこないこともある。それが、夢の中で、姉1の心配をしていた。最期の・・・というのはなんだが、それでも姉1のことがちょっと羨ましく思えた。母が母として娘のことを心配している、ということ。


今朝、6時に母覚醒。トイレへ誘導。動きは悪くない。脚の力もまぁまぁあるし、ベッドー車椅子ートイレの移動も自力で出来る。ありがたいことだ。
その後、再びベッドへ。

6時45分、声かけて母を起こす。
「動かれん」

はら???機嫌悪い!!?

気にせず(気にしている風を見せず)普段どおりに車椅子へ誘導。母、抵抗することはないが嫌がっていた。むむむー。
テーブルへ誘導しモーニングケア。
「どこへ行くの」
「デイだよ。いつも行ってるところ。もうすぐお迎えが来るからね。準備しとこう」
「あんたはどこ行くの」
「わたしは家にいるよ。洗濯して掃除して待ってるね」

7時スタッフさん着。母の様子に気づき、中まで入ってこられて母に挨拶。母は「行かんち!」とやや声を荒げていたが(申し訳ない、、、)慣れたものなのだろう、意に介せず「行きましょうね〜」と言って連れ出してくれた。

硬い表情で出かける母に「行ってらっしゃい」と声をかける。

毎朝のことなのだが、何がどうなっているのか理解できない母にとっては苦痛の時間なのだろうなぁ。。。辛い辛い。辛いけど、、、行ってらっしゃい!










#介護日記

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停電

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6/15/2017







昨夜19:35頃、母帰宅。
また違うスタッフ。小柄な男性。車から降りてくる母の表情が既に険しい。調子があまりよろしくなさそうだと推測。
「おかえりなさい」
声をかけると顔を上げ、わたしを見る。
誰なのかわからない、と言う。名前を言うが変わらず。スタッフの方が「娘さんですよ」と言う。母は険しい顔つきのまま、「先生、申し訳ありません、いつも違った家でお手数かけます」
あらま、今日は超混乱。と、思いつつ、何知らぬ顔でお迎えする。
スタッフさん、ほとんど手を出さず。母の車椅子の後方に立ったまま、わたしのすることを見ている。そして、そそくさと出て行かれた。人それぞれ。ほぉっ、と、小さく深呼吸。

母をテーブルに誘導。お茶入れようか、と聞くと「ぬぅがんでぃ!」ご機嫌斜め。
TVは「ためしてガッテン!」を放送中。洗濯物の生臭さの除去法の紹介だった。母、「臭い、臭い、っち、田舎もんば馬鹿にして」と言う。聞こえるんだ・・と、ちょっと感心。以前は「耳が聞こえんくなった」と言っていたものだが。「TVだよ」と言ってはみたが、まぁ無駄かな・・と思いつつ、話を変えた。が、それも無駄だった。
やぁなんかごっとがなうがしうむとぅんだろが。
いやいやいや・・・!まぁいいけどー。

母が落ち着くまでしばらく待つこととする。次第に様子が脳の内部にしみいったのか?姉はどこか、と聞いてきた。もうすぐ帰ってくるよ、と話す。その後、豆腐のお味噌汁とバナナを食べ、片付ける時にも機嫌悪し。困ったこまった。

母、とても眠そうにしている。疲れたんじゃない?横になる?と何度か聞いたが「いや大丈夫」と。「お尻が痛いんじゃない?横になると楽だよ」とも言うが、「大丈夫」。しょうがないので、「じゃぁ横になりたい時に声をかけてね」と、しばらく母の隣に座って一緒にTVを見た。

と、間もなく母の方から「はんけろむ?まりのやじ」と。見ると穏やかな表情であった。戻ったか???
母をベッドへ誘導。「ありがとう。世話になるね」
いやいや、いいよ。ゆっくり休んでね。

母、8時15分頃に就寝。


姉が9時半頃か?帰宅。わたし、シャワー中。その後、10時過ぎに停電。あれれれれ。こりゃ真っ暗。
停電中に母がトイレと言った時が大変だーーー、と思いつつ、回復する様子もないのでわたしたちもベッドへ。

2時頃、母の声で目覚める。いつの間にか電気が戻っていて、TVはついたまま、部屋も煌々としていた。母に時間を伝えると、「あらそう、ありがとう」と、再入眠。


今朝もぐっすりと寝ている。
6時40分、母に声をかけトイレ誘導。姉が「わたしのやってる方法を教えるね」と、デモンストレーション。素晴らしい!!介護素人だった姉がこの1年で独自のスタイルを見出したよう。心底、感動した。

その後テーブルへ誘導し、モーニングケア。
7時にお迎え。最初の夜に会った男性スタッフ、Iさん。
母が「どこへ行くのか」「なんで行くのか」と言っているのを聞き、お部屋まで入ってきて腰をかがめ、母に挨拶してくれた。ありがたい。

母、困惑の表情でデイへ。
姉と一緒に見送りながら、ちょっと今日のあの顔は不安そうだったね、と話す。それでも、デイへ行った方のが母にとってはきっと良いことなのだ、とふたりで言い聞かせた。








#介護日記

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6月12日から

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6/14/2017






6月12日、島入り。今日は14日、島へ帰ってきて3日目だ。
シングルドリップの珈琲を飲みながら書いている。この、シングルドリップタイプの珈琲はアメリカでは見たことがない。ふと、義母へのお土産に良いかも・・・?なんて思ったが、いやいやいや、こういうのを使う感じはないな、と思い直した。義母が、というよりも、アメ人全般が、という意味で。


母のことを書いておこう。

12日、午後7時半に帰宅。姉2はその日からわたしがいるので残業。
母の姿を見て「おかえり」と声をかける。見上げる母。いつもと違うことに気付いたらしい、少しあっというような表情。「おかえりなさいませー」もう一度声をかけた。すると、

「おかえりなさい、ませー、ちがる、ぬぅよ、やっけぬん」

はちゃー、と後悔。同時に母健在、と思う。

母に会うのは去年の夏以来だ。その間、実家は母のために一部改築。送迎が母にも家族にも、そしてスタッフにも最善なよう、車椅子用の昇降台が設置された。まずはどのように行われているのかを見学。なるほど・・・と感心。

母、やや機嫌悪し。姉不在なのが理由だろうと予測。いつものルーチンからはずれることは、わたしたちにとってはたいしたことではなくとも、認知障害のある母にとっては大きな違いで、混乱を招くのだ。
しばし、母の様子を素知らぬ感じで観察した。母に話しかけるし、答えもするけれど、大げさには反応しない。これ、鉄則。
そのうち、母の機嫌もなおった。わたしがアメリカから一時帰国しているということも理解したようだった。姉が少し遅くなることを何度か繰り返し話し、母の良いようにした。疲れているように見えるのだが、ベッドに入りたがらない。まぁしょうがない。
その後、姉帰宅の後に10時頃ベッドへ。姉が母と接する様子を見て、感動。毎日介護のベテランさん。感謝、感謝であった。姉に今夜からはわたしがメインになることをあらためて宣言。姉は感謝しながら久しぶりに2階の自分の部屋へ。
夜間、4回起こされる。11時45分、1時半、3時、4時45分頃。

13日。
姉、5時半に港へ。大会へ行く野球部の見送りなのだそう。夜4回起こされたと聞き、わぁーそれは眠れなかったねー眠いでしょう、今夜はわたしが替わるから、と言う。いやいや、母の介護で来てますから、あなたは毎晩、自分の部屋で寝てくださいよ、と話す。姉、にっこり。いや、本当に。

姉、港より6時15分頃に帰宅。意外と早くてびっくり。母の見送り方法をわたしに引き継ぐためだ。さすが毎日介護のベテランさん。正直、この1年で姉は本当に変わったんだなぁと思った。母中心の生活が身についている。それまではそうじゃなかった。

7時少し前に母のお迎えあり。
母、機嫌「超」悪し。
実は時間だからと何度か起こそうとしたのだが、その時から機嫌がよろしくなかった。「もう動けない」「どこにも行けない」「もうこのままもりしじゃ」から、「行かれん、っち!」「ぬがよ!!」「行かんっち!」「もうもりしじゃ!!」と、大興奮。
お迎えが来てからは半ば無理やりベッドから起こすことになり、その間、叩こうとしたり(ちょっと当たったかも、、、)むじきろうとしたり「むじきるど!」と言われたり。スタッフさんは根気よく、「Jさん、大丈夫ですよー」「行きましょうねー」などと声をかけてくださった。頭が下がる。
雨降りのため、かっぱをかぶせて出かける。そのかっぱも中から脱ごうとして大変だった。やれやれ。

夜7時35分、母帰宅。
母、笑顔。わたしを見るなり、「やっちゅりな?」と、ジェスチャーとともに声をかける。「今はね」と答える。島口の女性スタッフ。朝の男性スタッフさんと話しかける感じが違う。ちょっと違和感。だが、人それぞれなのだろう、と思う。

帳面を確認すると、1日穏やかに過ごされた、とのこと。へ???安堵とともに拍子抜け。あんなに機嫌悪かったのにね。不思議だ。

母に肉じゃがのやわらかいところを小さくして出す。「ご飯も食べる?」と聞くと「いやこれで十分」と。夕食は多機能でいただいてくるのだが、母はもう忘れているのでいつも何か出している。その前の晩(初日)はバナナにしたのだが。
小鉢によそった肉じゃがをすべて平らげ、母は満足そうにご馳走さま、と手を合わせた。1日横になることなく、と書かれていたので、ベッドで横になろうかと話しかけると、そうね、そうさせてもらおうかなと。
義歯をはずし口腔ケアをしてからベッドへ誘導。母、既に眠そうにしている。すぐにも眠っちゃうかも・・・と思っていたらば案の定、ころっと眠ってしまった。びっくり。

母の寝ている間に、と、急いでシャワーへ。その間に姉帰宅。母が寝ていて、姉もびっくり。
その後、わたしもベッドへ。9時半。わたしのベッドは母の部屋の隣。母が呼ぶときによく聞こえるよう、ドアを開けたままにしている。
ベッドに入ったわたしのところへ姉がやってきて「もう寝るのね?」と笑う。「朝、早かったもんね」と、笑う。「夜、起こされるかもしれんあらもう寝るわ」と、わたしも笑いながら答えた。

夜間。
母、ぐっすり。
わたし、12時頃と4時頃だかにトイレへ。母が起こしたのに気付かなかったのか?と思うくらい、わたしもぐっすりだった。母のベッドを覗くと、母はよく寝ていた。
朝になって姉に聞くと、こういう夜もあるのだと言う。というよりも、このところはそうだったらしい。が、3〜4日ほど、落ち着かなかったらしい。多分、土曜日だかの多機能での1泊が原因だろうと。多機能なので、事情によってお泊まりも出来る。姉はショートステイをなるべくさせないようにしているが、その晩はどうしても抜けられなかったらしい。いいよいいよ、そうやって利用できるからということでこの施設にしたのだから、と姉をなだめた。必要以上の罪悪感は介護者の精神衛生上、良くない。しょうがない、と切り替えないと。


今朝の母。ご機嫌であった。
姉が6時には出勤。姉と話した後にも少し寝て、6時45分、母を起こした。温かいタオルで顔と手を拭いてもらって口腔ケア。お茶を出して飲んでいるところへ母のお迎え。今朝のスタッフは若い女性。
雨降りでまたカッパをかぶせる。も、母はおとなしくカッパを着せられて出かけて行った。こんな朝早くから・・・と不憫にも思うのだが、デイで大勢と人と会うのは母にとって嬉しいことらしい。ボール遊びをしたり島唄を歌ったり運動したり洗濯物をたたんだり。家にいてもベッドと車椅子と行き来するだけでわたしひとりといるより良いのだと思う。


昨日の朝、慌てて出かけたので薬の入ったパウチを入れ忘れてしまったのだが(後からスタッフが取りに来られた)、今朝は準備万端。
わたしの介護生活は、こうやってゆるりとスタート。













#介護日記

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今日から4月

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4/1/2017







Hello, April!!
今日から4月。ずっと天気が悪かったのだが今朝は良い天気。でも、これからまた下り坂らしく来週はほぼ毎日雨マーク。April showers bring May flowers! まぁしょうがない。今日はいっときの晴天を楽しみましょう。


先週は絶不調のまま1週間が始まり、なかなか治らない咳や頭痛に、医者へかかろうかな・・・と弱気にさえなっていたが、人間の身体というのは素晴らしい。あんなに調子悪かったのに、ちゃんと一日一日、少しずつ回復していたのだなぁー。健康って大事!と、しみじみ思う。

旅行から帰ってきてから体調を崩し、仕事を早退してしまった。それから市販の薬を服用しながら仕事には出ていたが、何せ痰がらみの咳が酷く、苦しかった。同時期にDの治療、検査のこともあり、バタバタしていた。そんな中、娘の正式内定通知があり、Dの検査もうまくいき(結局、膀胱鏡はせずにurine cultureの提出と膀胱洗浄になった)、心なしかDも以前に比べると元気な感じがするし、治療食もしっかりと食べてくれ、わたしの体調も少しずつ回復し・・・と、この1週間は目まぐるしく過ぎていった。今になって振り返ると、あっという間の1週間だった。これも良いニュースが続いたおかげかもしれないけれど。


その他のこともメモ。

Dのために3足目のブーツを購入。最初に買った(2セット)のが去年の10月なので、換算すると1ペアにつき1月半、ということになる。1セットが$56くらい。ふーっ!!お金かかってるー!!けど、しょうがない。後脚のpawsをブーツで保護しないと傷ついちゃうからね。

6月10日に箱根湯本の温泉宿を予約。わたしと娘、姪の3名。きっと楽しい旅になる筈!

Rくん退学のお知らせをお母さんより受ける。ショック。この退学には補習校運営でのトラブルもあったような・・・事後報告だったこともショック。今朝になってようやく返事を出した。

母、退院。姉2から昨日の朝、Skype電話が入っていたがあいにくわたしは仕事中であった。この週末にうまく時間が合って電話できればいいなと思う。














#介護日記 #日記 #犬日記

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能動的に動く

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3/9/2017







しばらく間が空いた。

このところ、早朝に姉2と話したり、娘と話したりしていて日記を書く時間が取れなかった。


姉2から、母の退院の目処が立った報告を受ける。
母は精神的には落ち着いて来ている様子。ただ、体力的なものを心配している。入院中はどうしても車椅子とベッドだけになってしまい、立ち上がりなどの簡単な動作もままならなくなってしまったらしい。
退院直後にはしばらく家でゆっくりしてからデイへ復帰させたいとのことで、姉のスケジュールとどう合わせるかが課題、と。
それでも朗報。色々あったが、何とかここまで、という感じ。


娘からは、2年がかりでかかっていた大きな案件がやっと完了、ということと、それに合わせて辞職願いを出すつもりでいるという報告を受けた。
次の職場はまだ決まっていないが、数件、良い感触の場所があるらしい。二次面接、最終選考、などなど。まだ確実でないのに願いを出すのは、、、と躊躇っていたが、物事が動くためにはそういうアクションも必要かもよ、と促す。
ついさっき、「言ったーーーーー!」というメッセージが届いていた。詳しいことはまた後で知らせてくれるだろう。


Spring Breakが近づいて来て、ようやく旅行へ行く気持ちが高まってきた。
昨夜はユニバーサルスタジオのチケットをオンラインで購入。迷いに迷った末、1日チケットに決定。そしてエクスプレスチケットも購入。これだけで$500ちょっと(2人分)かかった。何だか、、、、まぁ良い!せっかくなのだから楽しもう!



某サイトで、受け身な生き方ではなく能動的に生きる、という言葉に出会った。

受け身的な生き方でフラストレーションを溜めるより、自分で能動的に行動して○○をゲットするような生き方の方が満足感は高い

自分で自分の人生を選択して幸せになりなさい

お金や稼ぐ力は、自分の人生を選択する自由を与えてくれる


まさしくその通り、と思った。
自分のとる行動、或いはとった行動でさえ、どう受け止めるか、で変わってくるのだと思う。
















#介護日記 #日記

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