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two o one two

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Jog

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10/17/2017







10月15日からCとジョギングを始めた。初日、Cは途中で○Pのために立ち止まってしまったが(念のためpoop bagを持ってて良かった!)、それ以外はわたしのペースに合わせて走ってくれて最高だった。初日だということで近所を軽く1周。時間にして12〜13分か?それでも「走る」ということ自体が相当久しぶりだったので、結構バテた。そして爽快感。なんと!これまで敬遠してきたことを後悔。

昨日、帰宅後に犬たちに食餌をあげて庭に続くポーチの落ち葉を片付けて、洗濯と掃除機。気分すっきり。その後、D&Cと散歩へ。Dは老犬なので歩くのもスロー。あちこち寄り道しながら約2マイル。寒いかなと思って着込んで行ったら歩いているうちに暑くなった。お日さまが出ていたせい。家へ戻って上着を脱ぎ、DにトリーツをあげてCとジョギングへ。
Cは賢い犬だ。自分だけハーネスを付けたままだったからかもしれない、わたしに呼ばれると待ってましたとばかりに出発。散歩ではなくジョギングだということももう知っていたかのような仕草だった。昨日は携帯に入れてあるアプリを起動させてスタート。このアプリ、長いこと使ってなかったなぁー。

Cと1.4マイルを走る。前日のコースよりちょっとだけ大回りしてみた。欲張らず、少しずつ距離を伸ばしていこうかなと思っている。Cがいてくれて良かった。彼が一緒に走ってくれるだけでモチベーションが上がる。これまで、友達同士でウォーキングとかジョギングとか(特に女性)を見ていて、なんで一人でしないんだろう?と思ったものだが、その理由が少しわかったような気がした。









#日記

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本、腕時計、携帯電話

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10/15/2017








佐藤正午という作家が某サイトで紹介されていた。わたしは彼の名前も作品も直木賞受賞作家だということも知らなかった。そこで紹介されていたのは直木賞を受賞した作品ではなく、その前に出版された小説だった。「鳩の撃退法」というタイトルだ。なんだい、もう!タイトルからくすぐられるじゃないか。早速、娘への「日本から持ってきて欲しいものリスト」に書いておく。できればBook Offで買ってきてくれると嬉しい。それから文庫サイズだと尚、嬉しい。
(直木賞受賞作のタイトルは「月の満ち欠け」、これまた思いっきり胸にずん!と来た。こちらは来夏まで待つ予定。)

でも、その前にずっと先延ばしにしてきた又吉直樹の東京百景を読まなくては、、、、!(こちらは芥川賞受賞作家)


 ・・・



夫と外食。ブランチのbuffetへ。
店内のあちこちに設置されたビッグスクリーンTVを何気なく見ていたら、Burger KingのCMが流れた。と、いきなり随分昔の、まだわたしたち夫婦がデート時代のことを思い出した。当時わたしはBurger Kingの存在さえ知らなかった。夫に言われるままオーダーしたのがWhopper Jr.だった。夫がわざと小さめのバーガーを教えてくれたにも関わらず、全部食べきれなかったのを覚えている。
あの頃は夫に会うために色々と苦労したよなぁ・・・連絡がつかなくて、待ち合わせの場所で何時間も待ったことがあったっけ。

なーんてことを思い出し、笑ってしまった。夫はそんなわたしを見て、なんなんだ、と言うので、かいつまんで話したのだが、考えてみれば今の時代は待ち合わせで会えなくて、なんてこと、ないよね〜と、しみじみ。大体に、携帯でちょちょちょっとリアルタイムで連絡できるのだから、「待つ」なんてこと自体がもうないのかもしれないよ???えええええ???そうかな????

大昔、夫とも知り合うもっと前の話だ。
渋谷の駅で友人と待ち合わせをした。何口か忘れてしまったが、とにかく駅の改札口で、ということになった。わたしは女友達Fと一緒に改札口でRの来るのを待った。が、Rは時間になれど姿を現さず、待てど暮らせど、やって来ない。どうする?でも、ここで待ってないと、ここから動くと余計に会えないよね?そんな会話を幾度か交わした後、確かFの方がちょっと周辺を歩いて探すことになったのだと思う。そうして、何分か後に、とうとうわたしたち3人は落ち合うことに成功した。最初の待ち合わせ時間からは悠に30分は過ぎていたと思う。なんともお恥ずかしい話だが、Rは地下の改札口にいたらしい。東京育ちではないわたしたちの、素晴らしき純朴なセンスたるや!!

その話を夫にしながら、「思うに、今の若い子達にこんな話をしても通じないかもしれないね」と、笑い合った。携帯電話は今では特別なものでもなんでもなく、いわばふた昔くらい前の「腕時計」?わたしの時代では、ある程度の年齢になったら皆が欲しがる、大人への階段の一歩だった腕時計。しかし、わたしたちは腕時計がなくたって生きていけたと思うが、携帯がないと生きていけない、ってくらいの不便さを、今の人たちは感じている。かもね。













#日記

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つぼ

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10/14/2017







職場の掲示エリアにはあらゆる重要インフォが貼られており、各デパートメントはそれをチェックすることで、日々の通常業務に加え、特別オーダーに対応することになっている。それらのオーダーを受けて掲示するのはマネージャーのJなのだが、酷いときには掲示エリアからはみ出した部分にまで紙が貼られていることがある。このところは秋のField tripが各学校で行われているらしく、そのsack lunch分のオーダーが所狭しと並んでいる。
3日前、その中に他のオーダー用紙と違う形式のプリントが貼られた。どうやら最終的な数字がまだ出ていないらしく、当日は生徒数が減りそうだよ、ということを事前に知らせるための情報らしかった。ここ最近のJは多忙を極めており、とりあえず某教師からのemailをプリントアウトして貼ったらしい。そして空欄には何やら走り書きされたメモがあり、その部分を隠すようにPost itが貼られていて、そこには
Do not see under this, look up the number or adjust it, please!
と、これまた走り書きがされてあった。
ん?どういうこと???そのメモを読んだ時、一瞬、意味がわからなかった。が、あああああ、と納得した。
このメモ紙をめくっちゃダメだからね、ということなのだった。思わず、笑ってしまった。見られたくないものが見られちゃうような方法で貼られてある事実。なんなんだ〜〜〜。それなら必要事項だけを書いた別紙を掲示すればいいのに〜〜〜。まぁでもJは忙しいのだろう。でも、なんかその、子供じみた(とも言える)手法に笑える。


昨日、同僚のAがそのインフォを見ながら言った。
「何がおかしいって、Jのこのメモよね。こんなこと書かれてると余計に注目しちゃうよね。」
「そうそうそうなのよ!!え、見るな、って何を?ってなるよね!」

Aの「何がおかしいって」という台詞はいつものことなのだが、それに共感することが多々あって、わたしたちはいつも大笑いになる。
日本人とアメ人では笑いのツボが違う、とか言われてるけれど、同じやーーーーん!と、最近、しみじみ思うのだ。が・・・・もしかして日々の暮らしの中でわたしは少しずつアメ人化してきたのか???

いやいや、暮らしの中での視点が同じだということは、それだけここの暮らしに親しんできた、ということなのだろう。逆に、一時帰国したときに日本のお笑いの人たちの話を聞いても笑えないことの方が多い、、、。



*追記

朝、ささっと書いで時間切れになったので、ちょい付け足し。

どうして笑いのつぼが同じだったのかというと、それはそのメモによってJの普段の言動が垣間見れるからなのだと思う。Jはいつも忙しくしていて、何事にも真摯に、かつ出来るだけ完璧に対応しようと努める。そして彼女の頭の中はぐるぐると色々なものが渦を巻いていて、時々パンクしそうになって、結果、キィ〜!となることもある。また逆に、いっぱいいっぱいなくせに朝から(或いは昨夜から)気になっていたことを思い出してはぷっと噴き出し、「ちょっと待って!」と、それを相手に披露したりもする。オイオイ、それは今どうでもいいんじゃないの?と思うようなこともだ。
と、ここまで書くと、まるでJがどこか抜けたようなマネージャーにも思えるのだが(ある意味あたっているが)、そこが彼女らしさであり、彼女のその「抜け感」が職場を明るくしているように思う。

わたしもAも、Jのメモを見て、その言葉の向こう側に、Jの頭の中で考えたことやら時間がない中で慌ててインフォをポストした後に、待て待て、となって、手っ取り早くpot itで覆ってみた、というところだろう、と予測した。そのJの様子がわかるからこそ、笑えたのだ。


つまり、笑いのつぼというのは、背景を共有していないと同じにはならない、ということ。だからわたしは最近の日本のお笑い芸人を見ても笑えないことがあるのだ。


 ・・・


ちなみに、日本でも思いっきり笑えたものがあった。アメ人化している(かもしれない)わたしの笑いのつぼにめちゃくちゃハマったものがこれ、架空OL日記です。お笑いとしてではなく、真面目にドラマとして仕立ててあるところがうまい。マジに最高でした。



















#日記

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コンコン

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10/13/2017






風邪をひいたっぽい。
喉がヤバい感じです。
咳コンコン、と、ちょっと鼻水。


今日は薬をのんで早めに寝ることにする。

あーーーーーあああああーと、明日は授業参観日。

持ちこたえてくれ、自分!







#日記

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garlic chives

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10/12/2017






仕事から帰宅したらば、夫と犬たちはどこかへ行ったらしく誰もいなかった。着替えて洗濯を開始して、明日のゴミの日に備えてゴミ箱とリサイクルボックスをcurbへ出した。その後、思い立って庭の植物を一部刈り込むことにした。この作業は先週末から始めており、バックヤードへのドアの周辺は随分すっきりだ。

昨日の雨で、植物が濡れていたのが気になったが、chivesを刈り込むことにした。大きな剪定バサミで切り始めると、にわかにニンニクのような匂いがしてきた。chivesなのにこんなに匂うなんて・・と驚きながらも、どんどん刈り込んだ。雨のせいだろう、ガーデン用のグローブが濡れて指まで染み込んできた。それでも全てのchivesを刈り込み、ついでにいくつか別の植物も刈り取った。

適当なところで終わらせ、手を洗い、さてゆっくりソイラテでも飲むかな・・と
思ったのだが、どうもニンニクの匂いが鼻から離れない。どうやら、指に染み込んでしまっているらしい、特に右手は酷い。
レモン系のハンドソープを使って丁寧に洗い、レモン系のハンドクリームも塗ってみたのだが、実はまだ匂いがかすかに残っている。多分、気にし過ぎだとは思うのだが。


chivesにニンニクの匂いなんてあったっけ?と、気になり、検索してみたらば、なんと我が家の庭のやつはgarlic chivesだった。なんだ、だからか!道理でこんなに匂うワケだよ。

来年からはディスポーザブルのビニールグローブをした上で作業しなくては。









#日記

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fun

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10/11/2017







時々覗いている某サイトの掲示板で「何が生きがいか」というトピックがあり、興味深く読んだ。その質問は、専業主婦に向けてのもので、仕事に生きがいを感じている人が多いようだが、それでは仕事を持たない主婦にとっての生きがいとは何なのか、といった趣旨だった。

わたしは仕事をしている。
しかしながら、仕事を生きがいだと感じたことはない。仕事は、好きかそうではないか、程度だと思ってきた。好きなことを仕事にできたら(つまりそれでお金が稼げたら)最高だが、そこまでなくとも、仕事自体が好きだったら幸せだよね、と思う。逆に、嫌い或いは苦痛な思いをするだけの仕事なら、辞めて違う職業を選べばいいやん、と思う。仕事を続けるからには、やはり好意的な想いがないと辛いだけだと思う。それほど強い思い入れはなくとも給料を貰えるという喜びがあれば、それはそれで良い。そのメリット(喜び)よりも辛さ(デメリット)の方が強ければ、違う仕事を探すべき。という考え。

わたしは自分の仕事が好きだ。楽しいし、気に入っている。医療(看護)関係で仕事していた時も、仕事は好きだった。生命に関わる仕事なのでストレス度は高かったが、それ以上にやりがいというか、達成感というか、使命感というか、そういうものを持っていたし、また、患者さんや家族との関わりは心の奥底に深い喜びをもたらしていた、と思う。
今の仕事は全く違うフィールドだが、それはそれで楽しんでいる。年齢的にもこの変化は良かったのかもしれないなぁと思う。平日の日中だけの仕事で、祝日休みに加え、長期休暇があるのも嬉しい。自分の今のライフスタイルにぴったし。この仕事を紹介してくれた友人に感謝、感謝だ。
補習校の講師の仕事も楽しい。悩むこともあるが、生徒たちとの関わりは本当に楽しいし、勉強になる。だからこの仕事も好きなのだと思う。

けれども、生きがいか?と問われると、それはちょっと違うかなーと思う。

では、生きがいとは何?

専業主婦じゃぁないけれど、わたしもしばし考えてみた。
結果・・・いや〜生きがいなんて立派な名前のつくものはありませんなぁ〜と、わかった。
生きがいとまでは行かなくとも、まぁ仕事に「やりがい」はあると思う。
あとは、日々の暮らしの中で、小さな楽しみを味わうこと、かな。
楽しみがないと、生きてくのはつまらない、筈。楽しみがない、というのがなかなか想像できないけれど。


ここ最近、ぐっと気温が下がって、秋!という感じ。近所にはハロウィンのデコレーションがちらほら増えてきた。
10月ももう半ばになりつつある。こうなると、あっという間にHoliday Seasonだ。わたしの大好きな季節。









#日記

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26

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10/10/2017







もうすぐ結婚記念日だ。

去年は25周年ということで、夫が小旅行を計画してくれた。彼のvacationとわたしの休みとがうまく噛み合わず、距離的にはそう遠くないがこの近辺では閑静なリゾート地とも言えるところでゆったり2泊。犬たちも同行させるべく、ペット可のキャビンタイプをreserveし、食事もそこへと運んでもらった。キャビンと言っても室内にジャグージがついていたり食事は最高に美味しかったり、それはそれは至れり尽くせりの素晴らしい滞在となった。

そのときのホテルからいただいたカードはわたしたちの宿泊したホテル(ホテルとキャビンとのcomplex)のイラストが描かれていて、「記念に額に入れて置いて飾らなくちゃね!」と言っていた。

記念旅行から4ヶ月程後の春、夫はフロリダ旅行を計画した。
なんで????と、わたし。
「あの時は近場で済ませてしまったから」
いやいやいやいや。あれで充分っすよ!

そんなやり取りもあったが、夫自身、vacationを楽しみたい、という思いがあったらしい。そういうわけで、なんだか贅沢過ぎやしないかい?と思いつつ、フロリダ旅行も決行。
思いがけず、2度にも渡って25周年をお祝いした。
フロリダ旅行の際にもホテルから立派なカードをいただいた。
あ、そういえばあの時のカード、まだ飾ってないや、、、、そんなことを思いながら、そのカードも保管。



で、昨日、それらのカードを、やっと(!)フレームに入れて飾った。
なんてこったい。1年近くも経ってしまったではないか。
もうすぐ26年。
なんだかんだで良くもまぁ続いたもんだ。

気構えることなく、これからもどうぞ、よろしく〜 って感じかな。












#日記

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ふぁっしょん

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10/9/2017






Free Shipping(送料無料)に惹かれて、オンラインで買いものをした。クリックしてから、じわじわと感激。届くのが楽しみだわーい。

服を購入する時には、似合うか似合わないか、そもそもわたしのような年齢に合うものなのかどうなのか?そういったことを悶々と悩む。試着する場合、着心地などは自分でわかるものだ。が、しかし、果たしてそれが似合っているのか?というのはわからない。店員さんは似合わない、とは到底言わないだろうから。
自分の服なんだから自分で決めろよ!とも思うのだが、まぁ仕方がない。これはもう随分前から変わらないし、これからもきっと変わらないだろう。世間の女性たちが自身の服を自ら選択して買うことを、わたしは心から尊敬する。

服を買うとき頼りになるのがわたしの場合「娘」である。彼女なら本音を言ってくれる。「ん〜それはちょっと無理があるかな」「その丈よりちょっと短い方が良いと思う」「いいと思うけど、色はこっちの方がいいかも」などなど。それに、良くないことだけではなく、わたしが決めかねているときには後押しもしてくれる。

ということで、先ほどの購入も娘に手伝ってもらった。オンラインで見てもらって、どうよ?どう思うよ?
結果、彼女からのお墨付きをいただき、安心してクリックした、というワケである。


服を見立ててもらってから、もしかして彼女も欲しい商品があるかな?と思い、ついでにオーダーしちゃるぞーと言ってみた。「えー!いいの?よっしゃ!」娘は喜んでそのwebをひとしきり見ていた。
が、しばらくして、「残念ながら、ピピッと来るものがありませんでした、、、」と言う。えー残念。なんでー?
でもなんとなく、そうなるような気がした。日本で仕事している彼女にとって、こちらの服のデザインは、「今ひとつ」fitしないのだ、日本社会において。それは、よーくわかる。

日本に帰国すると、女性たちのファッションにほぉ〜!と感嘆する。いや〜皆さん小綺麗にしていますな。っても、これは都会(東京)での話だけど(わたしの田舎(島)では当てはまらない)。

東京で街へ出かけると、日本の「流行」が見えてくる。この現象は本当に不思議なものだ。毎夏に帰国しているのだが、毎夏、変化している。それは皆が似たようなものを着ているからなのだけれど、そこに住んでいると、そのようなことには無感覚になってしまうものでもあるらしい。実際、姪のnちゃんにそのことを具体例を示しながら言ってみたら、彼女は「あーーー本当だ!!」と、驚いていた。ちなみに彼女は流行ものに捉われない、独自のファッション感覚の持ち主である。
娘はその流行を横目に、多少は取り入れても「あからさま」にならないようにしている、と言う。彼女の場合、「すぐに廃れるからさー」なるほど、それもまた賢い。

そのように流行に惑わされないようにしている娘であっても、この国の服を日本社会で着るとどうしても「浮いて」しまうのだそう。わたしのような、一時的な滞在とは違い、そこで暮らし、仕事をしているから。

そしてわたしの場合はその逆だ。
この夏、娘と一緒に東京で服を買わなくっちゃ!と、意気揚々と出かけた。買う気、満々だった。
なのに、これ!といったものが見つからない。加えて、色々なお店を見れば見るほど、似たような服ばかりで、どれがどれだかわからなくなってしまった。あ、良いな、と思っても、次から次へと同じようなものを手にすると、だんだんどうでも良くなってしまうのだった。
それと、この国で、その服を着ている自分を想像すると、「いやこれはおかしいでしょ!」と感じてしまうものばかり。なぜに???
そういうワケで、結局、一着も(!)購入しなかった。いや、出来なかった。


補習校で2学期が始まったばかりのとき、ある保護者さんに声をかけられた。「m先生、その服はどこで買ったんですか?日本でですか?」
いや、違います、こっちでです。
そんな話をしながら、最近は日本で売ってる服はちょっとどうなのかな、、という気持ちが強くなっちゃって、、、と話すと、その方(永住組)もまた、「わかります〜!!」と強く頷いていた。うーむ。わたしたちは少しずつアメ人化しているのか?

以前、何かの雑誌かオンラインの記事だかでこんなことが書かれていた。
その女性はフランス在住のファッションライターだったのだが、「街中にいるとアメリカからの観光客は一目でわかる」というものだった。「格好がね、フランス人とは全く違うから。ショートパンツにスニーカーの人たちは100%アメリカ人よね」
そのライターがフランス人だったのかはたまたフランス在住のアメ人だったのか?記憶が曖昧だ。

アメ人、馬鹿にされてる感じ。
でも、それもわかるような気がする。以前、義母がヨーロッパ旅行へ行った時の写真は、見事にそれだった。

わたしはこの先、どんな風になるんだろ?
変な話だが、娘には「もしあなたから見たわたしが途轍もなく変な格好してたら、直してね!!」と、随分前に、伝えている。

しかし、こんなことを今のうちから言ってること自体、問題なのかもしれない。











#日記

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最上のわざ

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10/8/2017







I'm forcing me to go out and do something.
と、義母は言っていた。「時には無理をしてでも外へ出るようにしている」。
定年してからは特にそうしているとのことだった。実際、彼女はよくやっていると思う。教会の婦人会(とでも言うのかな?)に参加し、お葬式や教会での催しものの手伝いをしたり(これが結構、頻回にある。特にお葬式)、meals on wheelsのボランティアもやっている。毎週火曜日のレディースゴルフ、ズンバのレッスンなどは自分自身の楽しみとして続けているし、フットボールの観戦も同じだ。

義母は去年、乳癌の手術を受けた。幸い、初期の段階だったので、手術範囲は小さくて済んだ。手術後には何クールかの放射線治療を受け、今はチェックアップのみとなっている。母親を乳癌で亡くしている義母は、毎年の乳癌検診を怠ったことがない。義母の妹は、もう随分前に乳癌のために片側の乳棒切除術を受けているし、何年か前には再発してもう片方も手術となった。なので、義母は常にいつかは自分も、という恐怖心を持っていたらしい。それが現実となったのが昨年のことだった。
治療のために色々な制限を受けた時期があり、少しずつ、元の生活に戻そうと努力をしているのが今の義母の状況だ。体力的なことだけでなく、精神的に「何もせずにゆっくりしていたい」と思うことが多々あるそうだ。それでも奮起して「家の中だけにいないようにしている」のには、それをしてしまうとなかなかそこから這い上がれなくなるかもしれない、という思いもあるからだと言う。それは本当にそうだと思う。


友人がこんなことを言った。
彼女の義母もまた、教会の手伝いや地域の子供達の世話など色々なボランティアをしていたらしいが、「今は老人ホームに入って、テレビをずーっと見てるだけよ」。
この話を聞いた時、少し胸が痛んだのだが、同時に、それもまた役割なのかもしれない、と思った。
わたしの母はホームではなく在宅なので、デイの皆さんにお世話になりながら暮らしている。身体的な機能の衰えとともに認知症の方もどんどん進行し、母と一緒に暮らす姉の苦労は大変なものだ。だが、それでも母には生きる意味があるし、そういう母の姿を見ながら、わたしたちは生かされている。
我が家に飾られている一編の詩を思い出した。


最上のわざ  ヘルマン・ホイヴェルス

 この世の最上のわざは何?
 楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
 若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。
 老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。
 まことのふるさとへ行くために。
 おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつ外ずしていくのは、真にえらい仕事。
 こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
 神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
 それは祈りだ。
 手は何もできない。
 けれども最後まで合掌できる。
 愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
 すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。







#日記

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Homecoming

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10/7/2017








夫のカレッジ時代の友人たちと会った。
夫曰く "we were so wild."の彼ら、見た限りではそんなことは想像できない。フッツーのおじさん。どの人もそこらにいる50代のおじさま方であった。落ち着いていて、穏やか。昔話に笑い合っている姿も微笑ましいほど。
彼らは皆、普通に結婚して家庭を築き、子供たちを育てている。まだ高校生の娘を持つ人もいた。「娘が体操のレッスンを受けている間に来た」と言っていたS氏は、フットボールプレイヤーだったらしい。homecomingでバンドメンバーとして参加する筈だった娘を持つ人は、悪天候でパレードが中止になったことを半ば冗談気味に嘆いていた。フッツーの父親たち。不思議なものだ。


夫も歳をとったんだよなぁな、と、彼らと一緒に笑う夫を見て思った。カレッジ時代のやんちゃな夫は影を潜め、でも、ちょっと見え隠れしていたな、あの笑顔に。


楽しくて嬉しくて、少々ノスタルジックな夜であった。









#日記

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