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ゆうこ新聞制作日記

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ゆうこ新聞・創刊までの歩み ●死んじゃダメだ編●

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院したものの、社会復帰までは遠い道のりだった。
会社で働くとかそんな次元の問題ではなくて、まっすぐ文字を書くとか、
料理で卵焼きの作り方を思い出すとか、スーパーで買い物した時のお釣りの計算のやり方を思い出すとか、
そのへんからのスタート。

今まで当たり前に出来ていたことが出来ないことのショックと、
大量に投与されたステロイドの副作用がだんだんと私の精神面を壊して行った。

やがてそれはひどくなり、何もしゃべらなくなった。
幻聴が聞こえて、「(死ぬしか)道がない」と、ブツブツつぶやくようになった。

いろいろな意味で危険を感じていた周囲の人の薦めで、母の家に身を寄せていた私は、
たびたび迷子になって、家族を心配させた。
目と鼻の先のコンビニから、家までの道が分からなくなった。
小さなノートに、道順を書いてもらい、いつもそれを持っていた。

免疫抑制剤の副作用で、髪の毛が抜けた。
大好きだったメイクもしなくなり、おしゃれにも興味がなくなり、
副作用で浮腫んだ(ムーンフェイスという)ぶくぶくの顔で、死んだ魚みたいな目をして公園のベンチに座っていた。
明らかに「ちょっと普通ではないひと」になっていた。
でも、家族や周囲の人は変わらず優しかった。それだけが救いだった。

心の中の奥底に、一握りの光のような「自分らしさ」が小さく光っていたけれど、
それを掘り起こすエネルギーがなかった。
長い闘病と、あまりに苦しい副作用の数々に負けてしまった。疲れちゃったんだ。

今、思うと恥ずかしいというか情けないけど、「逃げちゃおう」と思った。
みんなに悪いけど、「逃げちゃおう」って思った。
いろいろ調べてチャレンジした。
スカーフをドアノブにくくり付けて、首にかけてみたり、
真冬の夜中に外に出て、包丁を握りしめてずっと迷ったり、
アルコール度の高い日本酒の小瓶・精神科から処方された睡眠薬を集めたものを
リュックに入れて、オートロックでなく屋上に出れそうな高い建物を探してウロウロ歩いたりしていた。

銀行口座に残ったわずかなお金を全部おろして、「ママへ」と書いた封筒に入れた。
お世話になった人たちに今までのお礼の電話をしたりした。

でもね、人間は簡単に死ねないし、死んじゃいけない。

「その瞬間」って、ものすごく怖い。


お別れのメールを受け取った姉から、ものすごい勢いで国際電話がかかってきた。

「ゆうこ!死んだら駄目だ!絶対に駄目だ!頑張るんだ!
今の辛さを乗り越えることが出来たら、ゆうこはきっとすごい人になる!
同じような辛い思いをしている人たちに、すごい勇気をあげられるようになるんだよ!」

この言葉が、「ゆうこ新聞」の種にものすごい栄養と水をぶっかけることになる。
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Toshiaki Nomura
Commented by Toshiaki Nomura
Posted at 2010-11-05 06:03

死ななくてよかったです。

ゆうこ新聞の発行がきっと有意義なものとなりますよ。

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