歌「とんがり帽子」から、空襲の話、機銃掃射の話になった。
Nov
26
今日は自治会の集会所で、お茶のみサロンでした。
去年から月一回開いています。
お茶を飲んでおしゃべりするだけ。
出入り自由。
団地の高齢の方々の交流の機会作りです。
ミネフジコさんも参加して、クイズを出しました。
「とんがり帽子」の歌詞を配って、歌うことになりました。
この歌は終戦直後、人気のあったラジオ番組の主題歌です。
「緑の丘の赤い屋根…」という歌詞で始まる、戦争孤児になってしまった少年がみんなで住む家のことを歌う、エネルギーに満ちた、明るい歌です。
でもこの歌がキッカケで、Aさんが思い出した記憶を語ってくれました。自宅があった浜松の街が空襲で丸焼けになってしまった話です。幼児だったA さんはその時疎開中で、疎開先から遠くの浜松の町の空が真っ赤になっていたのを覚えているそうです。お父様が町に帰られると自宅も、防空壕も、学校も「丸焼け」だったと教えてもらったそうです。あの時町にいたら死んでいたのだと、命拾いをしたのだと今も感じていると。
すると、隣に座っていB さんも、じゃあ私も…と言って、命拾いの話をしてくださいました。仙台にいた頃、小学校の帰り道、女の子3人男の子5人で下校中の時、機銃掃射が目の前にいきなり現れてこちらへ向かって来たのだと。子供達は側溝へ慌てて入り、伏せて身を隠し、激しい銃撃音が通り過ぎるのを待ち、ふと顔を上げたA さんは、飛行機の中から操縦士が自分たちを見下ろしてにやりと笑うのを見たそうです。「笑った…」と思ったのも束の間、女の子3人は走って逃げて家に帰りました。しかし男の子たちは1人も帰って来ません。お母さんたちが通学路を見に行くと男の子5人のうちは3人撃たれて倒れ、亡くなったそうです。
A さんもB さんも、明るく優しい気さくなご婦人です。子ども時代にそんな経験をしていたなんて、正直ちょっと信じられない感じがしました。今の時代を一緒に生きているご近所の方々が幼い時、日本の上空に機銃掃射が飛び、子どもを狙い撃ちしていたこと。空襲で自宅のある町ごと焼き尽くされたこと。
「今、戦争が起きている国のニュースを見ると、子供達の事を思ってしまう。他人事ではないと思ってしまう」のだそうです。
忘れたくないこととして書いておきます。
今日は、貴重なお話しを聞かせていただき、ありがたいことでした。