たぶん、旧アニメのうさぎちゃんって、
女の子の憧れを体現した存在であり、
なおかつ親しみやすいキャラなんですよね。
だから、「なんでこんなヤツのために他の戦士たちが必死に戦わなきゃいけないの?」って疑問があまり浮かんでこないし、
浮かんできても、「まあ、うさぎだから仕方ないか」って思えてしまう。
旧アニメも突っ込みどころは満載だけど、
でも、突っ込みながらも楽しんで見ることができる。
でも、原作準拠を目指したCrystal1期は、
突っ込むことに疲れました(笑)
あんまりにもバカくさくて、時間の無駄で、
見る気が失せて、途中でやめた。
突っ込むことを楽しむことができなかった。
Crystal2期は、気になる話だけを部分的に見ました。
確かにイラストはすごく綺麗で、
特にブラックレディの美しさには見惚れたけれど、
それだけでしかなかったかなぁ。
ちびうさのコンプレックスも、
旧アニメに比べれば、浅いというか、
理由づけが甘いというか。
ネオ・クイーン・セレニティが絶対的な存在だからこそのコンプレックスだから、
「女の子の憧れ」であるはずのセレニティが、
さらに遠い存在になっているというか。
それよりも、旧アニメの、「ママみたいな素敵なレディになりたい!!」って願いの方が、ものすごく共感できる。
齢900の幼い王女様の不思議な生態よりも、
等身大の少女の願いだったり、出来心だったり、
罪悪感や劣等感、孤独の方が、親しみを覚える。
旧アニメスタッフは、
そういうのをよく理解していたんだろうな、と思う。
原作及びCrystalは、「戦う女の子」をテーマにしながらも、
「ギリシャ神話」や「ロミオとジュリエット」をモチーフにしたラブストーリーに重きを置いていたのかな。
「ロマンチックで大人な恋」に憧れる少女の、
乙女心を刺激する作品。
でもそれだけじゃつまんないから、
戦うヒロイン要素を入れてみました!!
あら、画期的vv
みたいな、そんな感じ?
そうやって考えれば、ロイヤルファミリー至上主義も、
納得がいくかな。
悲恋で終わってしまった「ロミオとジュリエット」の物語を、
転生とバトルを交えることで、ハッピーエンドに塗り替える物語。
貴族同士の恋だから、従者がいて当然で、
「普通の女の子」にはなりえない、特別な存在で。
なおかつ、月の女神セレーネと人間エンデュミオンとの悲恋を下敷きにしているから、
「不老不死」とか「不老長寿」という設定がベースに来てしまう。
でもさすがに、少女マンガで恋人を永遠の眠りにつかせて恋愛成就、なんてわけにはいかないから、
全員が生きながらにして不老長寿になりました!!って設定になる。
そんで、ベースが女神さまだから、
絶対的な女王として君臨してしまう。
圧倒的な力で反対勢力を排除したり、
亡くなった人を転生させたり。
そんなことが思いのままにできてしまう、絶対的王者。
それが、ネオ・クイーン・セレニティ。
そう考えると納得が行く。
崇高なロミジュリ神話を庶民的な魔法少女にされてしまったから、原作者にとっては納得が行かなかったのかもしれない。
けれど、少女の憧れを刺激しつつも、
庶民的な要素を入れ込んだから、
「普通の女の子が変身して戦う物語。しかも前世はプリンセスだよ♪さらに未来にはクイーンにもなれる!!でも、やっぱりおバカで泣き虫で乙女心を持った、仲間思いの普通の女の子だよ」って設定にしたから、
アニメで爆発的なヒットを生んだ。
そんな気がしてきた。
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