思い出すのは
Mar
10
眠るのが怖くなったこと
テレビから流れてくる信じられない光景と
京都の平和な青い空―。
ギャップがありすぎて
どちらが夢でどちらが現実なのか
わからなかった
わかることが怖かった…。
* * * * * * * * * * *
知っているつもりでした。
たかだか震度1で揺れただの、エレベーターに閉じこめられただの騒いでいる大阪人よりは。
「東北に関係ある身近な人はほたるちゃんしかいない」
そう話した大学の友人よりは。
「震度4」って聞いても、それほど大きいとは思わなくなった。
(7階で立っているときに感じた震度4はちょっと怖かったけど)
震度5弱の地震も経験した。
(揺れが収まり次第すぐに爆睡したけど←おいっ)
停電で電気もガスも使えない。
信号は止まり、もちろんエレベーターも電話もパソコンも動かない。
各課に1台(?)しかない緊急用の電話や携帯、人を駆使して、
県内の被害状況を確認する先輩職員たちの姿も見た。
だけど、私が知っているのは、本当にごくごくわずかなもの。
私が経験した停電は、一日も続かなかった。
放射線濃度も今のところ、低い値しか計測されていない。
津波に流されたのではないかと心配していた祖母は、驚くほど元気だった。
高校時代の友人も無事だった。
私は、何も知らない。
知らないのなら、知らなきゃいけない。
それが、現実だから。