録画していた半沢直樹の6話と7話を見て、
気持ちが今凄いことになっている。
現場の人間は小さくて非力なネジ。
望んで現場に来たはずだけど。
こんな現場を望んでいたわけじゃなかった。
この分野の現場を望んでいたわけじゃなかった。
毎回毎回、右も左もわからない別の畑に投げ出される。
そのくせ、「専門家」としての対応を求められる。
「何でも屋」かつ「専門家」としての対応を求められる。
はっきり言って無理がある。
こんなものが「現場」ならば。
もう二度と来たくない。もう絶対に望まない。
そう、強く思っている。
組織の末端で疲弊して終わるのは嫌だ。
明らかに構造の問題なのに。
組織の、社会の、制度の問題なのに。
現場の一人一人がどんなに精いっぱいやったところで、
それは、砂漠の砂っ腹にスポイトで水を撒くようなもので。
けれどもやらないわけにはいかなくて。
やってもやらなくても、責められるのは現場で。
国は何の責任も取ってはくれない。
単に責任を押し付けるだけ。
だからせめて、「やるだけのことはやった」と、
そう言えるために、それだけのために、こんなにも一人一人が疲弊している。
どう転んでも大変なのは現場で、
けれど上に行ったところで、中枢に行ったところで、
それで事態を改善できるような、そんな単純なものでもなくて、
上には上の、中枢には中枢のしがらみがある。
「無理なものは無理なんです!」、「どうしてもできないことだってあるの!」
と苦しい胸の内を吐露した谷川さんのセリフが印象的だった。
たぶん国の官僚だってそうなんだろう。
組織の末端として疲弊して声を上げることもできないか、
声を上げたところで、いろんな障壁があって、事態の改善には至らない。
その前に疲れ果ててしまう。
だからこそ、某省庁はあんな不名誉な俗称で呼ばれるのだろう。
本当に、何が働き方改革だと思う。
毎日胃痛に悩まされながらも、
なんとか必死に生きていますよ。
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