生きづらさの正体
Mar
19
厳しすぎる。
けれど、時として、
それ相応の評価を得られる。
だけど、家庭に生きる女性にとっては、
それすら全くと言っていいほど得られない。
それどころか、
あなたは能力を活用しきれていないから、
社会に出て働きなさいと言われる。
もっと活躍できるはずだから、
もっと働けと言われる。
そして、いざ社会に出れば、
男性と同じレベルの仕事を求められる。
あるいは、誰でもできるような、
評価を非常に得にくいような仕事しか与えられない。
これで、どうやって輝けと言うのか。
「仕事はこういうもんだ」と、
「働くとはこういうもんだ」と、
ドヤ顔をする男性陣の中で、
必死にもがくしかない。
どんなに手いっぱいでも、
「言い訳」は許されない。
それが仕事というものだから。
疲れて仕事を終えて、家庭に戻っても、
今度は家事や育児という「仕事」が待っている。
けれど、それを「仕事」として
捉えてくれる人は少ない。
女性として、妻として、母として、
「当たり前」の「役割」。
父には、夫には、そこまで求められないのに、
妻に、母に求められることは多い。
それも、ごく当然であるかのように。
家事を手伝う夫。
育児を手伝う夫。
ああ、なんて素敵な男性なんだろう。
家事を手伝う妻。
育児を手伝う妻。
は?何様のつもり?
この風当たりの違い。
一人暮らしの男性は料理ができなくて当然で、
一人暮らしの女性は料理が得意で当然で。
男性並みに働くことを求められるのに、
女を捨ててはいけなくて。
その上、女は話が長いの何だのと。
私が名乗っただけで、
私が女性であるというだけで、
非常勤に間違われたことがある。
「あなたでいいの!?」って言われたことがある。
私じゃダメな根拠はなんだい?
私の仕事ぶりを評価する暇、
全くない状態のはずなんだけど。
それでも。
そんな状況であってもなお。
仕事の方がまだ、
真っ当な評価を得られる。
そう思ってしまえるほどに、
家庭における女性の地位は低い。
女性が家事や育児、
介護を行うことに対する
評価が低い。
男性が家事や育児をすれば、
プラスの評価になるのに、
女性が家事や育児をしても、
それは当然のことだから、
何の評価も得られない。
むしろ満足にできないと、
すぐにマイナスの評価につながる。
この状況下で、
さらに社会に出て働けと?
それも、猛烈に働けと?
そりゃあ、社会に出る女性の数は
なかなか増えないし、
増えれば増えたで、
婚姻率や出生率は下がりまくるよ。
やりがいなんてどうでもいいから、
幹部になんてなりたくないから、
家庭と両立できる仕事に就きたいと、
そう思う女性が増えるに決まってる。
それが許されないとすれば、
仕事に生きるしかないと腹を決めれば、
結婚や出産、育児とは遠ざかるに決まってる。
そんなことすら全く認識できない人たちが、
重要なことを決めているんだもの。
生きづらいに決まってるよね。
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