近江高校の監督が試合終了後のインタビューで、金農を称えてくれたこと、 金農の全員野球が近江高校を上回ったのだと、そう言ってくれたことがうれしかった。 一人はみんなのために、みんなは一人のために。 それを体現してくれているチームだと、ものすごく思う。 近江・多賀監督、金足農・吉田に脱帽「あの凄い気迫は素晴らしい」 八、九回追加点奪えず
嵐の「夏疾風」は、良い曲だと思うんだけど、 あんまり印象には残らない。たぶん、カッコよすぎるのかな。 上滑りしている感が否めないというか。 ゆずが歌ったらどうなるのかが気になる。 福山さんの「甲子園」も、悪くはないんだけど、 美しすぎるのかな。 俯瞰しすぎているというか、達観しすぎているというか。 大人から子どもへのメッセージというか。 甲子園をしばらくしてから振り返ったら、こういう心境にもなるかもなっていうか。 甲子園真っ最中というよりもむしろ、卒業式に歌うといいんじゃないかなっていうか。 卒業式に、今までのことを振り返って歌えば、いろいろ思い出されることがあって、 じんと来る曲なんじゃないかなって。 どうしても、青春ど真ん中、闘いのど真ん中って感じがしないんだよな。 個人的には、甲子園ってもっと泥臭いものだと思う。 今、この一瞬に、今までの、そして今目の前の、汗水泥涙、全てを懸けて闘う、熱いものだと思う。 だから、ふんわりとのびのびと朗々と未来の展望を歌われても、ぴんと来ないというか。 個人的には、どの年でもこの曲がものすごく合うと、そう思っている。 高橋優「虹」MV~YouTube限定エディットバージョン
「全員野球みんなに見せられた」成長証明し、能代商去る >>>保坂君は試合後、「僕たちのチームにはホームランを50本打つ選手も、150キロの直球で三振を取る投手もいません。だけど、全員野球で勝ち上がってこられたのをみんなに見せられたのはうれしい」と話した。 ここがすごく、今年の金足農業とは対照的。 吉田投手、150km投げちゃうし、奪三振すさまじいし。 だけど、全員野球ってのは、おんなじなんだと思う。 能代商業の工藤監督の言葉が印象的。 NOSHO
アニメ「メジャー」を思い出した。 やっぱ、高校野球編が一番おもしろい。 主人公が強豪私立から、野球部のない高校に転校して、 一から野球部を立ち上げて。 主人公の吾郎くん以外は、元々野球には興味がなかったり、 興味はあっても経験がなかったりの素人集団で、最初はチームワークもてんでダメで。 豪速・凄腕の吾郎くん1人が力んでいるような状態で、 マジでみんなバラバラで。 でも、徐々にまとまっていく。 最後は、吾郎くんを筆頭に、みんなで勝ちを取りに行く。 みんなで凄腕エースを支える。 そんなメジャー第3期を思い出しました。
第100回大会のテーマソングが、この曲じゃないことかな。 この曲をバックに、金足農業の快挙を、ミラクルを、見たかったな。 【記憶に残るシーン集】 2017 夏の甲子園 × 高橋優 (虹) 2020.1.5 追記。 同じことを思ったのか、動画を作ってくださった方がいたようです。 100度目の夏を彩った、金足農業 令和という新時代に入り、 高校野球でも投球制限が導入されることとなった今、思うことは。 あの100回大会は、本当に、平成最後のお祭りだったんだな、と。 秋田県民に夢を見させてくれてありがとう。 本当に楽しかったです。
「終わり」を告げる世界で、慌てふためく人々をなだめる役割も担っていたとしたら。 門を開けた瞬間に、地上に送り返されるのもわかるけれど。 原作だと、門を開けた直後は、中ツ国に戻って来てるから、 中ツ国で目覚めているから、タカマガハラでは眠っている、ということだよね? 門を開けた直後、彼らがどうなったかがわからないから、 納得のいく展開を想像できないから、「続き」の出だしが書けない。
天空に行けるのが、ごく限られた人間だとして。 天珠宮に給仕はいないのだろうか。 「城」と言いつつも、つつましい「家」みたいなものなんだろうか。 それとも、十二国記の世界みたいに、給仕も皆、一種の「仙」みたいな存在として、 特別な存在として、召し上げるんだろうか。
天空に行けるのは、選ばれた人間だけだとしたら。 天照や月読といった、新王家の人間と、思兼神。 そして、勾玉を持った者たち。 そうだとしたら、天ツ神たちが「天の岩戸」を開き、勾玉を失った途端、 「元の世界」に戻されるのは、必然。 だけど、だとしたら、澪標シリーズで天珠宮に忍び込んだ男は、 どうして天珠宮にまで足を踏み入れられたのだろう。 実は、神王家の血筋を引く者だったとか……!? というか、神王家って何? 天照を輩出する由緒正しき家なのだから、いわば天皇家ってことだけど。 歴代の地平線の少女(ホル・アクテイ)とは、どういう関係なのだろう。 無に帰した世界を、新たに照らす「太陽」と、どんな関係で、 どうやって今の地位を築いたのだろう。 たぶんここがわかんないと、原作直後の話はもちろん、 澪標シリーズの続きも書けない。 「廻り舞台」の世界観を、築けない。
私の小説ではないことにしてしまったけれど。 原作の終盤で天ツ神たちはそれぞれ、門の前で石になりかけていた。 あれは、天ツ神たちが門の前から離れることのないように、 一刻も早く門の前で呪文を唱えるようにと、彼らを急かす意味合いだったのかなと。 「シナリオ通り」に事が運んでいたら、世界は滅ぶから、 地平線の少女(ホル・アクテイ)を除いて、全ての命が絶えるから、 天ツ神たちもそのまま、門の前で絶命するのかな。 けれど、実際には「シナリオ通り」には事が運ばなかったわけで。 スサノヲが自ら命を落とし、天照は負傷しつつも生き残り、世界は救われた。 地平線の少女(ホル・アクテイ)はと言えば、あっという間に中ツ国に帰ってしまった。 そのような状況下で、4人それぞれ、天上界の異なる場所で倒れていたとして。 いったい、誰が彼らを無事に地上まで運ぶのだろう……? 彼らがそれぞれ、自力で目覚めたとしても、 いったいどうやって下界に降りるの……? 個人的には、門を開けると同時に、 下界に送り返される、というイメージだったけど。 なんとなく全員、神王宮のそばに戻されそうだと思ってたけど。 何の根拠も説得力もないことに最近気づいた(苦笑)
早く、「廻り舞台」を書きたいな。 早く書きたいけど、原作直後の話を書かないと、書けないのがわかってるから。 原作直後の話、久しぶりに書き直そうとしたら、最初でつまずいた……orz Youtube覗いたら、新曲見つけた。声に艶が戻っていて何より。 出だし聞いただけで、即、「廻り舞台」のイメージソングに決定。 「あの方」を彷彿とさせる曲だなと。 鬼束ちひろ - ヒナギク(Music Video Short ver.)