- Hashtag "#本" returned 45 results.
「社会が失敗を許してくれないと言ってる人は、
実は、
自分が失敗を許していない。」
その通りですね。自分にも覚えがあります。
ある仕事で大変な思いと経験をしたことがあります。
許せない自分がいました。
でもよくよく考えたら、その失敗は自分にも原因があるはず。他者の責任にしている限りは、何も解決しないというかそこからの成長はありませんね。
自分と向き合う。簡単そうでなかなか出来ないことです。
有川 浩は、奥さんと息子が好きな作家らしく買い込んできた本の中にあった一冊。病床のなかで暇なので昨晩から読み始めたら、これが最高!
おかしくて、何度か大笑い・・・
そして、引退したらこんなジジイに竹馬の友と田舎でなって、近所の子供引っ括めて元気な街にしてみるかあ・・・などと想像の輪が広がりました。
元気なオッサン連中よ!是非お読みあれ!
Tandy、Dell時代とOEMプロジェクトで京セラさんとは随分深いお付き合いをさせていただきました。会社を越えて、人同士の付き合いを感じることのできるビジネス経験でした。その稲盛さんとは双方の時代に何度か商談でご一緒させていただいたことがありますが、Dellの初期時代、マイケルと夕食でご一緒させていただき、いろいろ仕事についてお話を伺ったりと駆け出しの頃、とても良い経験をさせていただきました。
そんな稲盛さんが松風工業に勤務の頃を、五木寛之氏との対談「何のために生きるのか」回想されています。昨晩読み返していて、フッと目に留まりました。 詳細は割愛しますが、稲盛氏が開発したセラミックのTV部品を松下電器がフィリップスより購買するのでなく、全て松風工業に発注。しかし、その頃、労使交渉の激しいかった日本では松風工業もご多分にもれず、全面ストに入ったことがあるそうです。
TV幕開け時代。毎日部品を届けてやっと間に合うほどの注文。それが止まると松下に迷惑をかけるということで、100名近い部下を説得し、寝泊まりして生産。工場の表門などはストで閉じられており、塀越しに毎日生産部品を渡して事無きを得たことがあるそうです。
乗り切ったあと会社からは礼を言われた。しかし、稲盛さんは会社のためにやったのではない、自分が研究開発した仕事がなくなると困るからやった。
ここですね。サラリーマンとビジネスマンの違い。ちなみに壁の向こうで完成した製品を受け取って松下に届けていたのが、今の奥さんだそうです。
滅私奉公とか会社の看板のためでなく、自分のため、自分の信念に基づいて仕事に向かい合っているかどうか?その部分がしっかりとしていないと、逆に上手くいかないときには、会社・組織のせいにしてしまいます。
戦後日本が発展したのは、会社のためではなく、みんな好きなことに一生懸命没頭していたのではないでしょうか? 今はどうなのでしょうか? そんな会社や仕事がなければ、若い人達は自分たちで立ち上げる。そんな新陳代謝を歓迎し、応援し、見守るくらいの懐の深さが社会にも会社にも欲しいですね。
(1)としたのは、なんとなく読み返す中でシリーズ化して書き留めることが出そうな気がしたので・・・そうしてみました。
日本では発売4日目で増刷になったほどのヒットだそうですね。
昨夕、シアトルの紀伊國屋書店でサイン会がありました。
その後、月例の吉田の会へ・・・
いつもの刺激を受ける会ですが、どうもシアトルメンバーはお行儀が良くて静かだという吉田会長のコメントがちょっと気になるというか反省。
昨晩夜中まで読み終わらず、今朝何故が5時半に目覚めたので一挙に読みました。
何度もこれから読み返すそばに置きておきたい一冊です。
ビジネスの7つの法則は、実は、JUNKIの生き様・・・だと感じています。
ある意味では突っ走ってきた人生でした。
でも仕事は何度か変わっています。自分から選んだものもあれば、流れの中で身を任せたというか成り行きでそうなった部分もあります。
会社を辞める。今までの日本ではあまり考えられないことだったかもしれません。
でも歩んできたレールから途中下車して「降りる」こともいいのではないでしょうか? その駅には案外別の道に続くレールが敷かれて入っているかもしれません。
「降りる」勇気は、挑戦する勇気でもある。
「降りる」勇気は、人生を楽しむ妙薬でもある。
「降りる」勇気は、自分へのご褒美でもある。
そのことで周りがよく見えることもある。
一緒に乗って走っていたと思い込んでいた家族や仕事仲間との語らいの時間もできる。
「降りる」=「転職」ではありません。 でも当たり前とおもって惰性でしていること。周りからのプレッシャーで出来ていないこと。 それに対して、自分自身と向きあうために「降りる」ことは、とても意味があると思います。
下記の本は、日本の知り合いから送っていただいた物に入っていました。
最近いろいろ言われるMSですが、一昨日この本を手にし、就寝前に一挙に読みました。
懐かしいお世話になった方、今もお世話になっている方も登場されたりしていましたが、そうした歴史というかサクセス・ストーリーからも若い人たちは学べることは沢山あると思います。ある意味では、小学生時代に読む伝記物に近いですね。
どんな仕事を選択しても、成功。人生の充実度・・・
それは、その仕事にどれだけ「情熱」を持てるかだと思います。
高校二年生頃まで、本当に本を読まない学生でした。当然、国語のテストは悪いというか苦手。国語が得意なクラスメイトがいて、何で?と聞くと本を沢山読むからかも?という答え。何を読んでいいかもわからず、当時、彼が読む本を片っ端から借りて読み始めました。
社会人になって、ビジネス書も読みますが、気がついてみると本棚は、禅関係か武道関連と偏っています。
その一方、子供も成長し、家内と子供二人が同じ文庫本を回し読みするようになりました。自分では手を伸ばさないジャンルをと思い、家族が読む本を手にし始めたのですが、今回は有川 浩シリーズ。 そんな中で、三人ともが泣いたといっていたのが、この「空の中」。 息子は泣きそうになるのを見られたくなくて、その部分になると部屋に閉じこもって読んだとか。
週末、読みました。 本編では人間の横暴への警鐘が軽快なタッチで展開。
問題の部分は本編のあとの部分。読み終わって、この話で泣いた家族、特に子供には、逆にうれしい感情がこみ上げました。
自然に対して畏敬の念を持ち、
お年寄りに対して、尊敬といたわりの気持ちがもてる
そんな子に育てば、まず人の道を踏み外すことはないと思います。
私たちの両親、つまり、彼らの両祖父母もまだ健在。その祖父母と一緒に育った環境も決して無駄にはなっていない。 親だけでは教えることができない何かがあると思います。
それは家族という範囲だけでなく、私が育った時代に隣近所というコミュニテイが当たり前にありました。近所のおじさん、おばさんはみんなどこの子か知っていました。そんな自分の育った時代や田舎のことまで思いがはせました。
遠くなくなった将来、子供たちは初めて肉親との別れも経験するでしょう。 それも受け継いでいく大切な道の学びかもしれません。
読む本の好みはどうしても偏ってしまいがちです。そこで時々、家族が読んでいる本を手にすることがあります。
今回手にしたのが「阪急電車」 有川浩著。
とても斬新な面白い視点の物語展開で楽しめました。
登場人物の袖も触れ合うのも何かの縁。そして、忘れかけていた日常生活でのシーン。
お勧めの一冊です。
「夜明け前」というと島崎藤村ですが、読んだことはありません。中学生当時、島崎藤村を「しまざき・ふじむら」と「ふじこ・ふじお」のように二人かと思っていたくらいの文学少年からは程遠い位置にいました。たまたま今朝WiKiでみると、この小説の時代背景は私が好きな幕末時代。それだけでも読むべきか?と今更ながら思ったりしました。
で・・・なぜ夜明け前・・ある雑誌を読んでいたら、あるイタリアの資産家が詐欺に合い、4億円以上もの借金を負い、10年間のどん底生活のもと復活。その彼の信条が・・・・イタリアでよく言われる言葉。
「夜明け前の一瞬が一番暗い」
逆にそれは、夜明けが近いということで、どん底で明るい兆しが見えなくても、突破口はすぐそこという意味。
そして、彼のもうひとつが、誠実に生きる。
まだどん底に落ちた夕暮れなのか?今が夜中なのか?
それは、わかりませんが、自分の生き方には誠実に凛とした背筋を伸ばした姿勢はくずしたくないと思います。
そういえば、昨夕は宵の明星で金星がとてもきれいにはっきりと見えていました。
アナログ世界をデジタルで分析して解明するには限界があると思います。また分析できても敢えて踏み入れないほうが良い領域もあるのは確かでしょう。 特に精神世界を科学で切り込むのはタブーな部分を感じざるをえないものがありました。
しかし、この1ヶ月でたまたま手にした下記の三冊の本はいろいろな面を示唆している一連の問いかけになりました。
西洋では、宗教ー>哲学ー>科学の順に発展してきた文明・文化の背景があると書かれていました。日本人の文化背景には科学の基盤に宗教・哲学が根ざしていない部分があるのかもしれません。
でもやはり、自分の感性の部分で感じることが一番大切なことなのでしょう。そうでないと自分のものには決してならない。そのためには実践あるのみだと思います。
- If you are a bloguru member, please login.
Login
- If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account