僕は政治を職業にするつもりはない。 IT技術の世界が楽しいし、それが僕の仕事だ。 だけど、日本を好転させるプロジェクトチームがあるならば、そのプロジェクトで僕の能力の全てを発揮してみたい。 それは常日頃から思っていたことだ。 僕はこれまで、政策の批判・提案、環境問題、エネルギー問題などの思いを「無責任に」書き続けてきた。 しかし、維新政治塾の会場で諸先生方のお話を伺うにつれ、「ならば君に何ができる?」と問いかけられているようで、緊張感は頂点に達した。 リーマン・ショックまでは、なんとか立ち上がりかけた日本だったが、それ以降の日本の低迷ぶりはひどいものだ。 総理大臣が何度も交替し、政権政党が替わり、長い時間が過ぎた。 でも、日本は何も変わらない。 何も動かない。 いや、確実に悪くなっている。 「あれがこうなれば、総理大臣が替われば、天気が良ければ、誰かがやってくれれば・・・」 そんなことをいくら望んでも、書き続けても、行動をしなければ何も変わらない。 それは、自分自身でも理解していたはずだ。 冷戦終結後に大きく変化した世界の力学の中で、それまで良好なバランスが成り立っていた日本の仕組みが、経済発展の阻害要因になっていった。 昔の手法で成功経験のある政治家たちは、「公共事業」「財政出動」を連発する。 それでもうまくいかず、「国民給付金」「高速道路無償化」「子ども手当」などを使い、票を税金で買い始めた。 また、政治の方向性は、格差是正だ、規制緩和だと、同じところを右往左往しているだけにも見える。 批判の為の批判、政権の為だけの争い。 そんなものの繰り返しに、この国の仕組みの限界を強く感じた。 話は変わるが、僕がエコ(すでに死語か?)をテーマに何かを書くときは、個人の努力を求めるものではない。 例えば電力供給量の緊急時には、個人の節電努力も実を結ぶかもしれない。 しかし、長期的なエコを語るならば、個人の努力よりも社会の仕組み作りが重要だ。 エコの実現するのは、人々を動かす社会の仕組み作りそのものなのだ。 それと全く同じ手法に感じたのが、「大阪都構想」なのだ。 これは、大阪から始まる2重行政の是正なのだが、実現するためには、法律を変えなくてはいけない。 大阪から始まるにもかかわらず、最終的に地方主政型道州制を目指し、国家の統治機構を変える壮大なプロジェクトだ。 誰がリーダーなのか、お金の配分をどうするのか、そんなレベルではない仕組みの変更。 いま日本国に必要なのは、小手先の修正ではない。仕組みそのものの改革だ。 「大阪都構想」を発端とするいくつもの改革は、日本に残されたわずかな再生へのチャンスだと感じるようになった。 しかしこの作業は、世襲議員をはじめとする職業政治家には頭の痛い話だ。 なぜならその中では、議席の削減や国政の影響範囲の変更など、自分達の首を絞める政策が盛り込まれるからだ。 我々受講生が議員になったとしても、それは職業を持つボランティアが、「大阪維新」という一つの目的の為に集う、ワンタイムのプロジェクトチームに過ぎない。 我々は、捨て身の行動が可能なのだ。 さらに我々が有利なのは、社会を知る各業界の専門家が集う所にある。 これは、政治の世界だけしか知らない職業政治家からの大きなアドバンテージだ。 プロジェクトが成功すれば、我々は元の場所へ戻る。 何事もなかったように。 新しい仕組みができれば、東大卒の血筋の良い世襲議員たちが力を発揮できるはずだ。 彼らが働ける環境を作れば、そのパフォーマンスは僕らの比ではなかろう。 ただし、彼らの方向性がまた狂い始めたとき、我々はまた集まるのかもしれない。 さあ、そんな事を思っている場合ではない。 僕はその憂国の士に残れるのだろうか? チャレンジは始まったばかりだ。
Posted at 2012-03-29 04:38
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