あらためて福島原子力事故調査報告書に目を通すと、当時の混乱ぶりがよくわかる。 現場は必死だったのだ。 この状態で、被曝線量に関わらず、命をかけて戦った人たちは、確かにいるはずだ。 それすら隠蔽され続ける、この国の仕組みに怒りを感じる。 先日も記述したが、原子力を火力に置き換えても、日本は何とかなる。 http://jp.bloguru.com/furyou/150139/2012-07-24 もちろん、そのための準備は必要だ。 問題の本質はむしろ、作ってしまった原子力発電設備をどうするかだ。 原子力依存度の多い関西電力の決算書を見てもそれはわかってもらえると思う。 http://www1.kepco.co.jp/ir/brief/h24/kessan24/pdf24_06.pdf 原子力発電設備:3,700億円 核燃料:5,100億円 これらが特別損失になる時、電力会社は破綻する。 「電力会社が負担すればいい、ざまあみろ!」 「国が負担すべきだ!」 と言う人は多い。 しかし、電力会社の負担は、電気代から行われる。 関西電力の場合それを支払うのは、関西圏の企業と住民だ。 総理大臣がいくらかっこよく「国が全額を負担します」と言っても、それは総理大臣が支払うわけでも、国会議員が支払うわけでも、役人が支払うわけでもない。 「国が全額を・・・」とは、「みんなで払えよ」という事なのだ。 各地の電力会社が破たんすれば、原発に依存しない地域住民も税金が上がるなんてこともあり得るのだ。 実際、東京電力は実質国営化が決まったわけだが、つまりは「東京電力管内では払いきれないから、国民みんなで払えよ」ということなのだ。 今後、「東京電力が賠償」ということは、「国民全員で払えよ」という言葉に置き換える事ができる。 そんなわけで、原子力を止める事はほとんどの国民の総意であるように見受けられるし、地球に生きる者の義務であろうと思えるようになってきた僕だが、まだまだどうやって止めるかという難問は解決できていない。 原子力を止めたところで、冷却し続けなくてはいけない核燃料が残るので、ある程度の危険性は減ったとしても、安全になるわけではなく、その状態でもコストはかかり続ける。 正直に言うと、日本には緩やかに原子力から撤退する方法しか残されていないのではないかと思えてならない。 「原子力の後始末と自然エネルギーの実用化」は、僕の目標だ。 もう、論理的科学的な問題ではなく、経済と宗教の領域に大きく踏み込んでいる。 即時停止した場合に、産業界への大きなインパクトを与えない方法はあるのだろうか? まだまだ知恵を絞る。 問題の解決方法は、シンプルではない。
Posted at 2012-08-08 05:41
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Posted at 2012-08-09 04:03
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Posted at 2012-08-10 13:19
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