原子力損害賠償法
Jun
7
原賠法の目的(第一条)が明確に「被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発達に資することを目的とする」となっている事を知っただけでも収穫だ。
そして、第四条では、「原子力事業者以外の者は、その損害を賠償する責めに任じない」とされている。
つまり、福島第一原発の事故では、東京電力以外の誰も責任は無いのである。
この法律、要するにめちゃくちゃだ。
東京電力は賠償能力がないため、原子力損害賠償支援機構が設立されたが、その原資となる「負担金」は原発を持つ電力9社と日本原子力発電、日本原燃の計11社が払支払う。
例えば関西電力は2012年度に183億円を支払った。
つまり、第四条の記述とは裏腹に、福島第一原発の責任は既に多くの国民が負っている。
今回の勉強会は、飯田先生の環境エネルギー政策研究所だけでなく、国際環境NGO FoE Japan、国際環境NGO グリーンピース・ジャパン、原子力資料情報室、日本消費者連盟の共催であり、かなり左派色の強いものだ。
また、弁士の福田健治弁護士は実際に原子力賠償の仕事に係っており、会場には被害者も参加している。
よって、「原賠法のあるべき姿」は原発事故の責任範囲拡大という方向へと話が進んだ。
電力会社の責任だけではく、国の責任、メーカーの責任、お金を貸した銀行の責任、という具合だ。
僕はだんだん腹立たしくなってきた。
国とは何だろう?
国の経済的な実態は、僕を含めた国民の税金である。
何の賠償でもそうだが「国が責任を認めた」と大喜びしている人がいると言う事は、圧倒的多数の人がわけのわからぬ事にお金を取られると言う事である。
政治家や公務員が仕事の失敗に対して責任を取ると言う事ではない。
国の責任とは、僕らの責任だと言う事なのである。
製品の事故に対するメーカーの責任はあるだろう。
しかし、今回は施主の要求仕様以上の災害が発生した事が事故原因だ。
ならば、メーカーは顧客の要求や国の基準にない過剰な設計をすべきだったのだろうか?
偽善的発想は危険だ。
海外でもメーカー責任が大きく問われるようになれば、先進国の大企業は原発の入札ができなくなる。
おそらくは責任を取らない国の、責任を取れない中小企業が世界の原子炉を受注してしまう事になるだろう。
麻生政権~民主党政権においては、偽装請負という言葉や派遣雇用の禁止等のコンプライアンスにより、国内での生産活動がスポイルされ、その分コンプライアンスを遵守しなくてもいい海外に生産現場を移し、結果として国内雇用が失われた。
もし、世界中で新設される原子炉が全て中国製だったら?
それこそパラドックスではないだろうか。
貸し手の責任ともなれば、もうわけがわからない。
銀行は、融資対象の事業の事故リスク・訴訟リスクを予測し、利息には予想される賠償額を上乗せしておけと言う事なのだろうか?
これでは、銀行はどこにも融資ができなくなる。
今日は勉強に来ただけだと我慢していたが、ついに発言してしまった。
「メーカーの責任と言うが、今回のように要求仕様を超える災害による損害と、設計ミスとでは責任の大きさが違うのではないだろうか?
また、責任の所在に自治体が入らないのはなぜか? 原発立地自治体は、多額の地域振興策(交付金)を受け取ってきた。 これはリスクが存在するから支払われてきたものだ。 それをくだらない建物や道路で浪費してきた結果、本来の事故救済ができなくなったのではないのか?」
これは、見方によっては非常に危険な発言だ。
原発被害者の多くは、リスクの代償として多額の地域振興策の恩恵を受けてきたのは事実であるし、原発被害地域の自治体は被害者ではなく当事者の一人だという意味を含むからだ。
当日の資料は、そんなことは百も承知のうえで、自治体の責任があえて省かれているように見える。
会場はうなずく者と凍り付く者に別れた。
原子力賠償に係る福田弁護士はコメントしなかった。
確かに原賠法はめちゃくちゃであるが、取れる所から取ろうという発想もめちゃくちゃであろう。
原賠法をどう改正するかもまた重要である。
洪水も、土砂崩れも、竜巻も災害は恐ろしく悲しい。
なぜ悲しいのか? 誰もどうすることもできないからだ。
偽善と感傷ではなく、正しい責任の所在を僕は見極めたい。
ただし、既に発生した事項の責任の所在を探し続けても、政治家も公務員も誰ひとり逮捕される事は無い。
だが、未来は変える事が出来る。
経済的・倫理的に「割に合わない」技術を使わないという選択だ。
原発推進派の論点は「経済性」でしかない。
原発に経済的合理性がない事は、既に電力会社も気付いている。
電気事業会計規則を紐解けば解るが、一度原発に手を染めると止める事が出来ないのだ。
僕はこれからどうやって「止めさせてあげるか」の仕組みを考えたい。
その経済性が「割に合わない」のならば、誰も原発を動かしたいと思う事はないのだ。