One Heartシリーズ男女③ 聖書の解釈
Jul
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さて、先週まで、罪からの呪いである男尊女卑、神様の御心について、そして、イエス様がいかに女性を認めてきたかということを学びました。今日は、ではなぜ、教会文化の中にも根強く男尊女卑的な文化があるのかということをみ言葉から見ていきたいと思います。
それは、聖晝の解択聞違って教えられてしたからなのです。 伝統的に間違った教えを教会でしているために、日本でも、世の中よりも教会の中のほうが女性の地位が低いという現象が起きているのです。
男尊女卑と言われている数々議論されるみ言葉を詳しく見ていく前に、その背後にある文化の説明をしなければなりません。聖書の言葉だけを切り取って適用したり解釈することは、間違いに繋がることが多々あります。
歴史を見てみると非常に興味深いものです。へプルの世界では、女性は、宗教的な学びを一切させてもらえず、そして、宮にも入ることができなかった。また、男性と公に会話をしてはいけなかった。ですから、宗教的な教えを受けるのは、もつばら自分の夫に家で教えてもらうという風習があ った。と先週も話しましたね。
それとは、対照的に、異邦の民は、エジプトでも男女同権であったし、マケドニアでは、女性はビジネスにおいて大変活躍していた。というのです。
また、当時ギリシャの次にあげる三つの町は、特に、偶像の問題とそれにまつわる女性への見方が違っていました。コリント、工ペソ、ラオデキアの町々。こららの町々は、しばしばパウロ書簡ででてきます。
これらの町々では、女性の偶像をつくり拝んでいたという背景があるのてず。特にコリントでは、アフロデAphroditeの神を礼拝するときには、不品行もともに行われたのです。女性は、性の対象でしかなかった。売春が横行していた。コリントでは、そういう意味では、性的モラルのなさでは非常に有名でした。
ですから、パウロは、そんな背景の中にいる人たちに向かって、コリントにおける非常な性的な誘惑や罠から避けるために、独身でいられたらそのほうが良いというようなことを言ったのです。性的なモラルを守るために、女性を避けるような考え方が両極端の反対側にあったわけです。パウロは、何も、独身をどの地域にいる人たちにもすべての人たちにもすすめているわけではありません。
と言うような背景で、パウロは、結婚関係において、女性を敬うようにとも教えている。自分の体のように 。また、夫が、妻の欲求を満たすようにとも教えていることは、当時の文化、特にギリシャ的な背景からすると、非常に画期的なことである。
エペソ、アルテミス、女の神、子宝の神、子供を産むときに死から守ってくれると考えられていた。また、女は、すべての起源とし、女が世を支配するというマインドセットがあった。その文化的背景を持った、教会員たちに語っている言葉がある。
では、見ていきましよう。
Ⅰコリント11 : 3-16 ヒ工ラルキーの長は男性?
3しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。4男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。5しかし、女が、祈りや預言をするときに、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは神をそっているのと全く同じことだからです。6女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。7男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現れだからです。女は男の栄光の現れです。8なぜなら、男は女をもとにして造られたのではなくて、女が男をもとにして造られたのであり、 9また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。川ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためです。Ⅱとはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。12女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。13あなたがたは自分自身で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのは、ふさわしいことでしようか。自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしようか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであり、15女が長い髪をしていたら、それは女の栄光であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。16たとい、このことに異議を唱えたがる人がいても、私たちにはそのような習慣はないし、神の諸教会にもありません。
「頭」という言葉を聞くと、私たち罪の呪いのマインドセット、競争の観念では、どちらが偉いか、権威を持っているか、どちらが階層が上か、どちらが治めるのかというようなイメージを持っと思います。
私も、教会に行き初めのころ、、一を読んだときは、そう思いました。そして、少しがっかりしたものでした。 ああ、やつばり、神様にあってもそうなのか。女性というものは、いつも誰かに従えられて生きていくしかないのかな、と思ったものです。
しかし、 ここで使われている「頭」という言葉を聖書に原語ギリシャ語では、Kephaleという言葉が使われています。そして、その意味は、英語では、sourceとなります。源、起源という意味です。
ですから、言わんとしていることは、すべての男の起源はキリストであり、女の起源は男であり、キリストの起源は神です。
ですから、続く言葉のとおりです。女性は、もともと男性とーっであって、神によって男性の中から取り出され、一つであるが、違うものとして男のあばら骨によってつくられましたね。女性のソースは男性なのです。また、私たちは、キリストによってつくられました。私たちのソースはキリストです。キリストのソースは神です。私たちの源がそこにあり、私たちは、そこから成っているのです。
そして、キリストの起源が神であるが、二人は一体であり、一つであり、同等であることを覚えてください。ちょうどそのように、男女も一つであり、同等であるということなのです。
こ こで、男性も女性も考え方のシフトが必要になります。特に男性は、自分がリーダーだから俺に従えというのではなく、自分がソースである自覚をしなければなりません。あなたが、夫婦、また男女間の源であり、養いの要であります。また、女性は、男性をあなたの上に立ってあなたを奴隷のように使うものではなく、あなたを覆いあなたを守り、養うことのできる源であることを理解しなければなりません。
そして、考えてみてください。キリストと神は同等の方です。等しい立場であります。しかし、キリストのソースは神です。それと同じように、女性のソースは男性ですが、二人は同等の存在であります。
◎被り物と栄光について v4-9
髪の毛や被り物について書いていますが、 こをそのまま取って現代でも教会に行くときに女性が被り物をしていく教会も今もあります。しかし、背景を無視してここだけ切り取ってはいけません。被り物の文化は、コリントの文化の背景に重要な要素があります。
当時のコリントというのは、性的なモラルがめちゃくちやでした。売春も多かったのです。そして、アフロデの神殿では神殿娼婦たちがいました。宗教的な儀式で性行がなされました。そして、その娼婦たちは、頭を剃っていたのです。ですから、神が創造されてない、不自然な性行をする人たち、そして、本来美しい女性の髪を剃っているという不自然さ、そういうことがあって、剃った頭を隠すために被り物をしなさい。という風に書かれてたのです。
頭を剃った女性は娼婦であり、すなわち、娼婦というものは、夫の保護下にはいませんでした。当然です。それは、他の人と性的関係を持つのだからです。先週も性交渉の意味について話しましたね。ですから、被り物をするということは、夫との正しいユニオンに戻っている。男女、夫と妻があるべき姿となり一体となっている。一致を示しており、さらには、このユニオンが、神の前にキリストにも栄光を返し、キリストに従いキリストとともに一つになっていることを示しているのです。
ですから、頭にかぶり物をするならば、私は、神の権威の下に従っています。神の赦しの中に生きています。と証ししているものなのです。私は、神様に従って生きていきますという印だったのです。
◎み使いたちのため? V10
「女性は、男性の栄光」とあります。素晴らしい言葉ではありませんか。正しい神様のデザインされた、結婚関係という風に考えて読んでみると分かります。あなたの奥さんこそが、あなたの輝かしい誉であって、名誉です。すべての人の妻は、みんなトロフィーワイフです。あなたを完成することのできる、人間としての片割れなのですから。そして、神のようにあなたを助けることができる存在なのですから。
かぶり物に関してに戻りますが、 「み使いたちのためにもそうしなさい」と書かれていますね。どういうことでしようか。
1 ペテロ1:12 2
To them it was revealed that, not to themselves, but to us they were ministering the things which now have been reported to you through those who have preached the gospel to you by the Holy Spirit sent from heaven—things which angels desire to look into.
パウロは、この章を通して、神の教会において、礼拝中どのようにして、男女がともに等しく神の前に立つべきだと教えています。そして、男女一つとなって神に奉仕するべきであることを伝えているのです。決して、男がヒエラルキーの長であるという主張ではないのです。むしろ、当時地位の低かった、女性たちを男性と同等の地位までに引き上げたのです。
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