シリーズGod’s Image④受肉と神の働きYou are Incarnated His Word
Jul
31
★人生とは、対話である。
前回のメッセージを覚えていますか。人とは、神と対峙し、神に応答するために造られているというお話しでしたね。マーチン・ブーバーという、有名なユダヤ人哲学者が言うには、「人生とは、対話である」。第一回でも話したように、私たちのアイデンティティは、人との関係性の中で見いだされる。三位一体の神の関係から学びましたね。また、感情についてのお話しでもいかに、自分にとって対峙する相手が必要か分かりましたよね。人は、他者と対話をするごとに、自分を見出していくのです。不思議なことですが、私たちの傷というものは、人から来ます。でも、癒しも人からくるのです。私たちの人生にとって他者は切り離せない存在です。人生は対話。対話の中で自分を見出し、癒され、そして成長していく。隣人は、対峙しコミュニケーションをとる相手である。すなわち愛の対象であり、共感の対象である。ブーバーは、真の私と、隣人が本当に出会うところに神が働かれる。と言います。少し、真の私とは何かということを探ってみたいと思います。
★私になるという召し。
私たち一人一人に名前がついているように、私たちには一人ひとりユニークなデステニーが神に用意されています。神の意図された私になるには、召しがいる。召しがある。召しというのは、すべての人に与えられている。神からの天職というか、神の目的ともいえましょうか。自分が自分になるために献身する必要ある。私たちは、自分が分かるまで、自分の人生の目的が分かるまで、すっきりしないのではないでしょうか。
私がよく聞かれる質問に、どうやったら自分の召しが分かるのですか? 私は、どうやって自分の召しを自分のものにしたらいいですか? 私は、宣教師になるという召しが与えられましたが、どうやったら宣教師になれますか? と聞かれます。実は、この質問は本末転倒なのです。
召しは、あなたであることが召しなのです。もし、健全な神に造られた通りのあなたであるなら、ほかの働きはすべてついてくるのです。頑張って達成するゴールではないのです。
ただ、そこには、コミットメントが必要。自分が健全な自分になるために献身しなければ到達できません。ふわっと、ただ生きているだけでは到達しません。ライザップも結果にコミットするというてます。。
1、 神との対話を大切に
2、 人との対話を大切に
3、 真剣に神の声に従う= 神を恐れる= 神の愛することを愛し、神の嫌うことを嫌う
4、 自我に死ぬことを知ること
5、 赦すことを学ぶ = いつも心の癒しを受け取っている
これらをまとめると、愛することと言い換えることができます。愛の中にとどまること。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すること。
召しは、賜物ではありません。神に造られたあなた自身になることです。私たちは、神のために生きる。または、自分の召しを全うするということに関して、たびたび賜物を用いることと混同して考えてしまいます。ですから、パウロは、他者の集まりのキリストの身体のことを説明し、そして、愛について説明し、それから聖霊の賜物について説明しているのです。一緒に、あなたがあなたとなるために必要なみ言葉、を読んでみましょう。
★最も優れているのは、愛。
Ⅰコリント13章
たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のしたあくを思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔を顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知らされているのと同じように、私も完全に知ることになります。13 こういうわけで、いつまでものこるものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
賜物を追いかけるでもない、実際、聖霊様が働かれるのは、召されて、召しに応じているあなたが、神と対話し、対峙する中で、他者に出会うときに、流れるものがある。それが、神様のお働きであり、御業である。エリックの父の日のメッセージでも話されましたが、愛によって、父から子に渡る霊的財産があるのです。イエス様も、ヨハネ14: 15 「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」If you love Me, keep My commandments.と言われました。愛の関係のあった人の信念というのは、自然に受け継ぐものです。死んだおばあちゃんがよく、こんなことをしてくれた。私も知らず知らずのうちに、同じことをしているな、と、言うものです。
★神の働きは、受肉の働き。
私たちの働きというのは、神の言葉の受肉の働きです。愛によって、私と神とが一つになっている時、用いられる。一つになることも、愛。相手に向かう愛がなければ、働きもない、また働きの実も愛である。神と一つになることは、先週も感情というシグナルも大切だという話しをしましたが、「死」も大切な要素です。「死」とは、どういうことでしょうか。それは、古い肉の自分に死ぬことです。自己中心の肉が、愛の一番の邪魔者です。
受肉を考える時に。。。神と一つになるためには、いつも心の一新(ロマ12)悔い改めしかありません。
ガラテヤ2:20
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
もはや私ではなく、キリストが生きているということ。神は、そういう私たちの中におられて一緒に事業をなされたい。預言、み言葉の奉仕、励まし、癒し、神と一つとなって働くこと。神の荷姿というのは、どこまでも、一つであることだ。
★愛の中にとどまりなさい。
ヨハネ14: 23
イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」
私の命令を守るなら、あなたは愛にとどまっている。
神を愛することは、神の愛していることを心から愛し、神の嫌うことを嫌うことです。今日、神に対峙し、神と対話し、また人との交わりの中で、自分を見出し、真の自分になることにコミットしませんか?
ぼ
Posted at 2017-08-01 16:50
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Posted at 2017-08-01 18:24
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