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岩魚太郎の何でも歳時記

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人の命あるがままに

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人の命あるがままに
6月18日(木)仕事で都心に出向き、帰路朝日新聞の夕刊を見た。私にとっては衝撃の
記事であった。
その内容をすべてコメント無しで転載する。又記事の内容は加筆も削除も無く新聞記事の
ままの転載である。

日本 人・脈・記 この一枚の物語(9)人の命あるがままに
           
 しめくくりとして、藤原新也(65)に会いたかった。私が学生だった25年前、彼の一枚
の写真に衝撃を受け、いまの仕事につながっているのだから。
 写真の舞台はインド、ガンジス川の中州。流死体と2匹の野犬がうつる。写真の横に、
藤原の言葉があった。
 「ニンゲンは犬に食われるほど白由だ」 犬に食われる自由って何だ?
文章が添えられていた。「人は死んだのち、焼かれて灰は河に流される。あるいはその屍を
丸ごと河にぼうり込む。犬が、そして魚が、それを食べる。白然だなァ」
 考えたくてインドに行った。
50日滞在して写真を撮り、藤原気取りで文章を書いてみた。 本人に会って、インドに行
ったことをいうと、「僕の本は、読んだ人に何か行動させてしまうところがある。表現した
者への最高のご褒美だと思う」。
       
 門司港の大きな旅館に、藤原は生まれた。だが、中学生のころ倒産。親切に見えた近所
のおじさんが、借金のカタに家財を持ちだした。宝物だったレコードの束に手を出そうと
する男の顔は餓鬼に見えた。藤原は彼の目の前でたたき割った。「初めて人間の表と裏を見
た。それも白分に降りかかるものとして」 別府に移り住み、18歳で上京。チンピラもや
った20歳のとき、成人論文懸賞に応募したら2等に。美術を勉強、東京芸大に入ったとき
は23歳。学生運動がピークで、絵を描いている気分になれなかった。
 藤原はインド行きを決め「アサヒグラフ」の編集部助手を求めた。半年たって帰国し
た藤原のフィルムを見た遠藤弘道(83)はいう。
「みずみずしい色彩がすばらしかった。宝くじが当たった気分だった」。
特集が何度も組まれた。
 アジア各地の写真に短い言葉を添えた著書はロングセラーに。そのタイトルは「メメン
ト・モリ」、ラテン語で「死を想え」という意味だ。最近は、国内の何げない景色と物語を
拾う「日本浄土」を出した。
       
 犬の写真について、藤原はいう。「過去の仕事にはこだわらないが、この写真だけは違う」。
こんな風景は昔の日本にもあったんだ、と語り出した。
芥川龍之介の「羅生門」では、カラスが死人を食べる光景が描かれた。「日本に入ってきた
西洋的な意識は、人の命がとてつもなく重いものと教えた。だが本当にそうなのか」と藤
原。写真を見て、自分が背負う重いものから解放された、と若者が藤原のブログに寄せた。
二十数年ぶりに故郷に戻ったのをきっかけに公募した福岡の少女らを撮り始めた。
ある母親から、お礼の電話があった。
 不登校だった娘があれ以降、学校へ行くようになり、進学するといっています。
 そんな例がいくつもあった。「こちらが無心で対し、シャッターが押された瞬間、白身の
存在が承認されたということなんだろうね」。少女たちの写真は、03年に発表された「花音
女」などに収められている。
 写真は追憶にもなり、生きる力にもなる。
みなさんにとっての「この一枚」は何ですか。
(このシリーズは、文、写真とも相場郁朗が担当しました。本文中は敬称略)

「この一枚の物語」の感想は jinnyaku@asahi.com
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Toshiaki Nomura
Commented by Toshiaki Nomura
Posted at 2009-06-18 09:08

興味深く読ませていただきました。

写真も目を引きましたね・・・。

この一枚か・・・。
振り返ってみると、
その時その年代で変わってきてるんですね・・・。

この一枚といわれると今は答えられないですね・・・。

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岩魚太郎
Commented by 岩魚太郎
Posted at 2009-06-19 02:26

犬に食われる自由!

人間が牛を飼育して殺して食っている自由!
人間が食われる事実が、何故人間には悲壮な現実として意識されるのか?

私は、この一枚から連想しています。

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