喜びも悲しみも幾年月 私の79歳の青春
Nov
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私がこの映画を鑑賞したのは、三重県四日市の映画館である。
鑑賞した時期の記憶は曖昧だが、1958年頃で私が22歳であった。
監督:木下恵介 主題歌:若山彰 の意識もなかった。
と言うよりは、監督が映画を作ると言うことも知らなかった。
しかし見て感動した。
感動の中身は、今から思うと、高峰秀子と佐田啓二、海、灯台、そして灯台守の人生観、流れる曲に感動を覚えたのかも知れない。
当時、全編にわたりカラー映像あったのはまれである。
そしてこの映画見に毎日映画館に通った。
そこでこのような感動する映画を私は作りたいと思った。
映画作りを学びたい、しかし四日市の本屋にはそんな本はない。
唯一「キネマ旬報」だけは本屋に置いてあった。
当時東京六本木にあった「シナリオ研究所」と言う学校があった。
学校と言っても教室は一室、収容人数は30名程度。
夜間の講義が、人数が多く20数名、6時~10時まで学んだ。
夜間は、出席率80%以上で卒業証書を貰えた。
TVの開局 1955年TBS 1956年朝日放送。
1559年皇太子同妃両殿下結婚パレード TVが普及。
1964東京オリンピックでさらにTVが家庭に普及。
映画産業の氷河期がおとずれた。
シナリオ研究所卒で就職が内定していた。
卒業証書の印籠は、はかなく消滅した。
それから社会は、有無を言わさず私の人生航路の舵を変えた。
それから長い、時の風に流され68歳。
東京は神保町の古書店で、懐かしの恋人と巡り会った。
その恋人とは、リメイク版シナリオ『新・喜びも悲しみも幾歳月』であった。
この映画に陶酔するも、リメイク版とは言え、シナリオを目にしたのは初めて。
時の神が、この一冊の本に私を導いてくれたと思った。
高峰秀子が大原麗子に、佐田啓二が加藤 剛に代わっていた。
その事が、私の心に火をつけた。
「岩魚を釣る」「女と男の人類学」Web Home Page「岩魚と山女魚が釣れるHome Page」
そして3年の時を費やして、2016年7月に完成した、シナリオ小説「刑事・朝霧恵子」
http://p.booklog.jp/users/hongoutarou
http://members2.jcom.home.ne.jp/iwana-tazawako/tokusou.htm
さらに、TV5チャンネル、TVドラマ応募作品に挑戦中。
私は、喜びも悲しみも幾年月 に出会い、喜びも悲しみも幾年月 に再会し
私の79歳の青春に再会した。