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岩魚太郎の何でも歳時記

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喜びも悲しみも幾年月  私の79歳の青春

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2016年11月1日 BS T... 2016年11月1日 BS TBS 「日本の名曲アルバム」で、私の青春時代に再会した。
おいら岬の灯台守は 妻と二人で... おいら岬の灯台守は
妻と二人で沖ゆく舟の
無事を祈って灯をかざす
灯をかざす
冬がきたぞと海鳥鳴けば 北は雪... 冬がきたぞと海鳥鳴けば
北は雪国 吹雪の夜の
沖に霧笛がよびかける
よびかける
離れ小島に南の風が 吹けば春く... 離れ小島に南の風が
吹けば春くる 花の香だより
遠い故郷思い出す
思い出す
あしたに夕べに入船出船 妻よ頑... あしたに夕べに入船出船
妻よ頑張れ涙をぬぐえ
燃えてきらめく夏の海
夏の海
あしたに夕べに入船出船 妻よ頑... あしたに夕べに入船出船
妻よ頑張れ涙をぬぐえ
燃えてきらめく夏の海
夏の海
2016年11月1日 BS TBS 「日本の名曲アルバム」視聴して(写真・Webで引用)


私がこの映画を鑑賞したのは、三重県四日市の映画館である。
鑑賞した時期の記憶は曖昧だが、1958年頃で私が22歳であった。
監督:木下恵介 主題歌:若山彰 の意識もなかった。
と言うよりは、監督が映画を作ると言うことも知らなかった。

しかし見て感動した。
感動の中身は、今から思うと、高峰秀子と佐田啓二、海、灯台、そして灯台守の人生観、流れる曲に感動を覚えたのかも知れない。
当時、全編にわたりカラー映像あったのはまれである。

そしてこの映画見に毎日映画館に通った。
そこでこのような感動する映画を私は作りたいと思った。
映画作りを学びたい、しかし四日市の本屋にはそんな本はない。
唯一「キネマ旬報」だけは本屋に置いてあった。

当時東京六本木にあった「シナリオ研究所」と言う学校があった。
学校と言っても教室は一室、収容人数は30名程度。
夜間の講義が、人数が多く20数名、6時~10時まで学んだ。
夜間は、出席率80%以上で卒業証書を貰えた。

TVの開局 1955年TBS 1956年朝日放送。
1559年皇太子同妃両殿下結婚パレード TVが普及。
1964東京オリンピックでさらにTVが家庭に普及。
映画産業の氷河期がおとずれた。

シナリオ研究所卒で就職が内定していた。
卒業証書の印籠は、はかなく消滅した。
それから社会は、有無を言わさず私の人生航路の舵を変えた。

それから長い、時の風に流され68歳。
東京は神保町の古書店で、懐かしの恋人と巡り会った。
その恋人とは、リメイク版シナリオ『新・喜びも悲しみも幾歳月』であった。
この映画に陶酔するも、リメイク版とは言え、シナリオを目にしたのは初めて。

時の神が、この一冊の本に私を導いてくれたと思った。
高峰秀子が大原麗子に、佐田啓二が加藤 剛に代わっていた。
その事が、私の心に火をつけた。

「岩魚を釣る」「女と男の人類学」Web Home Page「岩魚と山女魚が釣れるHome Page」
そして3年の時を費やして、2016年7月に完成した、シナリオ小説「刑事・朝霧恵子」
http://p.booklog.jp/users/hongoutarou
http://members2.jcom.home.ne.jp/iwana-tazawako/tokusou.htm

さらに、TV5チャンネル、TVドラマ応募作品に挑戦中。
私は、喜びも悲しみも幾年月 に出会い、喜びも悲しみも幾年月 に再会し
私の79歳の青春に再会した。

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