2016年11月1日 BS TBS 「日本の名曲アルバム」視聴して(写真・Webで引用) 私がこの映画を鑑賞したのは、三重県四日市の映画館である。 鑑賞した時期の記憶は曖昧だが、1958年頃で私が22歳であった。 監督:木下恵介 主題歌:若山彰 の意識もなかった。 と言うよりは、監督が映画を作ると言うことも知らなかった。 しかし見て感動した。 感動の中身は、今から思うと、高峰秀子と佐田啓二、海、灯台、そして灯台守の人生観、流れる曲に感動を覚えたのかも知れない。 当時、全編にわたりカラー映像あったのはまれである。 そしてこの映画見に毎日映画館に通った。 そこでこのような感動する映画を私は作りたいと思った。 映画作りを学びたい、しかし四日市の本屋にはそんな本はない。 唯一「キネマ旬報」だけは本屋に置いてあった。 当時東京六本木にあった「シナリオ研究所」と言う学校があった。 学校と言っても教室は一室、収容人数は30名程度。 夜間の講義が、人数が多く20数名、6時~10時まで学んだ。 夜間は、出席率80%以上で卒業証書を貰えた。 TVの開局 1955年TBS 1956年朝日放送。 1559年皇太子同妃両殿下結婚パレード TVが普及。 1964東京オリンピックでさらにTVが家庭に普及。 映画産業の氷河期がおとずれた。 シナリオ研究所卒で就職が内定していた。 卒業証書の印籠は、はかなく消滅した。 それから社会は、有無を言わさず私の人生航路の舵を変えた。 それから長い、時の風に流され68歳。 東京は神保町の古書店で、懐かしの恋人と巡り会った。 その恋人とは、リメイク版シナリオ『新・喜びも悲しみも幾歳月』であった。 この映画に陶酔するも、リメイク版とは言え、シナリオを目にしたのは初めて。 時の神が、この一冊の本に私を導いてくれたと思った。 高峰秀子が大原麗子に、佐田啓二が加藤 剛に代わっていた。 その事が、私の心に火をつけた。 「岩魚を釣る」「女と男の人類学」Web Home Page「岩魚と山女魚が釣れるHome Page」 そして3年の時を費やして、2016年7月に完成した、シナリオ小説「刑事・朝霧恵子」 http://p.booklog.jp/users/hongoutarou http://members2.jcom.home.ne.jp/iwana-tazawako/tokusou.htm さらに、TV5チャンネル、TVドラマ応募作品に挑戦中。 私は、喜びも悲しみも幾年月 に出会い、喜びも悲しみも幾年月 に再会し 私の79歳の青春に再会した。