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- 私の一枚 私の昭和20年8月15日(水)8歳、「玉音放送」を松山市の郊外で母と並んで聞きました。意味は理解出来ません。母と周囲の大人たちは泣いていました。泣いている母に聞きました。僕「何で泣いているの?」 母「日本が戦争に負けたのよ」 僕「もう防空壕に入らなくてもいいの?」 母「そうよ」
報道特集:1931の出演していた「保阪正康先生=新・戦争論」を聞いた。
➀江戸時代300年にわたって戦争はなかった.
②幕府が富国強兵で日清戦争を仕掛けた~昭和16年12月8日未明太平洋戦争を仕掛けた。
③ナポレオン・ドイツのヒットラー・日本の東条英機・戦争を仕掛けた方が負けた。
④1940年・石原莞爾は『最終戦争論』唱えたが軍部の意に沿わないことで消えて。
⑤日本は今こそ、核保有核が核の脅と戦っている現実を直視、【新・戦争論】と提言している。
この意味は「生者変わる」
生きている人々は、時代の変化に伴って思考も世代も変わる。
真珠湾攻撃を命じる開戦暗号電文、「ニイタカヤマノボレ」を知っている人は皆無。
原爆投下の広島も長崎も、沖縄の悲劇も、ひめゆりの悲劇も、東京大空襲も、松山大空襲等々も、忘却のはるか彼方だ。時代は、忘れる→知らい→に変わる。
死者の声は変わらない その声を聞きのが 8月だ
戦争は仕掛けたものが敗者だ。
その理論を実践=【新・戦争論】
04 敗戦 昭和二十年八月十五日正午
四郎が、8歳の時に敗戦になった。
玉音(ぎょくおん)放送を(天皇による大東亜戦争終結ノ詔書の朗読)愛媛県東温市北郷村拝志公民館広場で聞いた。
机が出され、その上には茶色の箱形ラジオが置かれていた。そのラジオは、上部が卵形の円形になっていて、全体が木目の茶色である。四郎は妙に上部の円形型の箱が気になった。
子供を含め三十人ほどの人々が、机に置かれてあるそのラジオの前に直列不動の姿勢で整列していた。四郎も菊子にせかされて姿勢を正した。 昭和二十年八月六日午前八机に置かれたラジオから、正午の時報が告げられ、以下の放送が流れた。
「只今より重大なる放送があります。全国の聴取者の皆様ご起立願います。天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏(かしこ)くも御自ら大詔(たいしょう)を宣せられることになりました。
これより謹みて玉音をお送り申します只今より重大なる放送があります。
天皇の【終戦詔書】が聞こえてきた。
世に言う「玉音放送」である。 「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局 ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク(以下省略」 玉音放送終了後、土下座して号泣する人、直列不動の姿勢で泣く人々、四郎は大人たちが涙を流す理由が、理解できなかった。
菊子も泣いている。
「お母さん、何故泣いているの?」 「日本が戦争に負けたのよ」 「鬼畜米兵に負けたの?」
「そう。鬼畜米兵に負けたのよ」 「じゃあ防空壕に入らなくていいの?」
「そうよ。もう空襲もなくなり、防空壕に入る必要もなくなったの」
四郎は、母の言っている意味がよく理解できなかった。
竹槍で鬼畜米英の人形を刺す行為と、飛行機で焼夷弾や爆弾を落とす行為、先生は「我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにして敵と戦えば必ず勝利する」と言った。
先生がそう言っているのに「何故負けたんだろう?」
空襲もない。防空壕に入らなくてすむ。爆弾や焼夷弾で人が死ぬこともない。喜んでいいはずなのに何故泣くのだろう? 戦争に負けたから? 四郎はのちに「玉音放送」と呼称される「玉音」の意味を広辞苑で調べている。「玉のように清らかな音または声。相手の音信の尊敬語」
昭和を生きた物語
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