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ワッショイ・ワッショイ
そーれそれそれ
お祭りだ!
お久しぶりです。
岩魚太郎です。
埼玉県上尾市でのお祭りです。
介護保険料値上げの際、介護に従事する人の賃金が約2万円UPすると言う約束をした。
公式の記者会見で約束をした人物は
厚生労働大臣舛添要一であった。
一昨日の報道である。
全国介護施設に調査した結果をTBSが朝の報道番組で発表した。
賃金UPゼロを含め、2万円のUPが実現している介護施設はゼロ件の調査結果である。
配当金が毎月2万円もらえる言って金を集めた企業が、配当金ゼロ円、もしくは2万円未満の配当金であれば詐欺罪で罪に問われる。
厚生労働大臣舛添要一が記者会見で
「ざっくり言って約2万円の賃金UP」と言う約束で介護保険料を値上した。
結果2万円の賃金UPゼロ件
詐欺罪に該当する。
介護に従事する人の低賃金は我々は知っている。
介護保険料の値上げはそのような意味でやもうえないと国民は渋々納得した。
私怒っています!!
1本200円のこの写真の花を買ってきた。
定点観測で、花の華麗なる開花を記録する目的であった。
しかしその結果は・・・
二輪の内一方は開花せず、他方は開花はするがいびつである。
花は美しく華麗に開花してこそ花である。
しかし・・・
この花の人生はその目的を達成することなく朽ち果てる。
悲劇的な人生の終焉である。
この花の人生を我々人間社会に置き換えて見たとき・・・
見えてくるものは・・・
6月18日(木)仕事で都心に出向き、帰路朝日新聞の夕刊を見た。私にとっては衝撃の
記事であった。
その内容をすべてコメント無しで転載する。又記事の内容は加筆も削除も無く新聞記事の
ままの転載である。
日本 人・脈・記 この一枚の物語(9)人の命あるがままに
しめくくりとして、藤原新也(65)に会いたかった。私が学生だった25年前、彼の一枚
の写真に衝撃を受け、いまの仕事につながっているのだから。
写真の舞台はインド、ガンジス川の中州。流死体と2匹の野犬がうつる。写真の横に、
藤原の言葉があった。
「ニンゲンは犬に食われるほど白由だ」 犬に食われる自由って何だ?
文章が添えられていた。「人は死んだのち、焼かれて灰は河に流される。あるいはその屍を
丸ごと河にぼうり込む。犬が、そして魚が、それを食べる。白然だなァ」
考えたくてインドに行った。
50日滞在して写真を撮り、藤原気取りで文章を書いてみた。 本人に会って、インドに行
ったことをいうと、「僕の本は、読んだ人に何か行動させてしまうところがある。表現した
者への最高のご褒美だと思う」。
門司港の大きな旅館に、藤原は生まれた。だが、中学生のころ倒産。親切に見えた近所
のおじさんが、借金のカタに家財を持ちだした。宝物だったレコードの束に手を出そうと
する男の顔は餓鬼に見えた。藤原は彼の目の前でたたき割った。「初めて人間の表と裏を見
た。それも白分に降りかかるものとして」 別府に移り住み、18歳で上京。チンピラもや
った20歳のとき、成人論文懸賞に応募したら2等に。美術を勉強、東京芸大に入ったとき
は23歳。学生運動がピークで、絵を描いている気分になれなかった。
藤原はインド行きを決め「アサヒグラフ」の編集部助手を求めた。半年たって帰国し
た藤原のフィルムを見た遠藤弘道(83)はいう。
「みずみずしい色彩がすばらしかった。宝くじが当たった気分だった」。
特集が何度も組まれた。
アジア各地の写真に短い言葉を添えた著書はロングセラーに。そのタイトルは「メメン
ト・モリ」、ラテン語で「死を想え」という意味だ。最近は、国内の何げない景色と物語を
拾う「日本浄土」を出した。
犬の写真について、藤原はいう。「過去の仕事にはこだわらないが、この写真だけは違う」。
こんな風景は昔の日本にもあったんだ、と語り出した。
芥川龍之介の「羅生門」では、カラスが死人を食べる光景が描かれた。「日本に入ってきた
西洋的な意識は、人の命がとてつもなく重いものと教えた。だが本当にそうなのか」と藤
原。写真を見て、自分が背負う重いものから解放された、と若者が藤原のブログに寄せた。
二十数年ぶりに故郷に戻ったのをきっかけに公募した福岡の少女らを撮り始めた。
ある母親から、お礼の電話があった。
不登校だった娘があれ以降、学校へ行くようになり、進学するといっています。
そんな例がいくつもあった。「こちらが無心で対し、シャッターが押された瞬間、白身の
存在が承認されたということなんだろうね」。少女たちの写真は、03年に発表された「花音
女」などに収められている。
写真は追憶にもなり、生きる力にもなる。
みなさんにとっての「この一枚」は何ですか。
(このシリーズは、文、写真とも相場郁朗が担当しました。本文中は敬称略)
「この一枚の物語」の感想は jinnyaku@asahi.com
東京山手線恵比寿駅、かつてはサッポロビールの工場がありました。
その恵比寿駅に43年振りに降り立ちました。
続きはコメント欄です。
冤罪 足利事件 衝撃的なNewsである。
■ 冤罪
罪がないのに、疑われたり罰を受けたりすること。無実の罪。ぬれぎぬ。
■この事件での最近の報道
冤罪で17年間も身柄を拘束されていた菅家さんに対して、謝罪するかしないかの有無が
主題になっている。
そうじゃ無いだろうと言いたい。
■国家権力は正義か?
冤罪は、警察・検察・それの判断を誤った裁判所、国家権力の誤りである。
ある報道番組に出た弁護士が言っていた。
いったん最高裁で確定した事件で、検察は個人に対して謝罪するのは「司法の革命」であ
る。と述べていた。
又裁判所が再審の審理に於いて、菅家さんに対して謝罪の意志表示をするか否かに注目し
ている。と語っていた。
■ 私達人間の性格は個人差があって千差万別である。
この足利事件の場合は自白の強要があったとされている。
実際にその現状に立たされてみないと分からないのが事実であるが、自白の強要に徹底的
に対抗出来る人はそう多くはいないと推察する。
■同情
足利事件を含め、冤罪事件に同情している人が多いが、その同情心は他人ごとである。
まさか我が身に冤罪事件が降りかかってくるとは思っている人は少ない。
■国家権力は怖い。
今回はDNA鑑定の結果で冤罪が明るみになったが、全く事件に関係の無い我々が、犯人に仕立て上げられる事実を再確認した事件でもある。
証拠のでっち上げでの事実も多い。選挙違反で鹿児島県の事件でもそうである。
科学鑑定は正義、したがって自白の強要。
■裁判員制度が始まった。
制度そのものは否定をしないが、裁判員がこの足利事件を初審理する場合を考えて見る。
DNA鑑定の一致、自白、選ばれた裁判員の全員が有罪の判決をするであろう、
選挙で無い。多数決は問題である。全員一致であるべきである。
■正義
アメリカ映画「12人怒れる男」と言う、陪審員の映画があった。映画は無実の黒人少年
か捉えられ、12人の内1人が無罪を主張、ドラマの展開の中で、全員が無罪判決下す映画であった。
この事件を契機に、私達はどうすべきか? 具体的に何をすべきか?
国家権力の怖さに、じっと身を潜めているしか無いのだろうか?
火の粉が降りかからないように・・・
3216 2012 1608 1005 0603 0420 PNA YMAHA 富士機械 天竜 タムラ 千住・・・この数字と文字にピン?と、こられる方はそう多くはいらっしゃらないでしょう。
数字はチップ電子部品のサイズであり、文字はその電子部品をプリント基板に搭載するロボットの製造メーカである。
この関連業界の、日本で最大のイベントが、東京ビックサイトで「ものつくりフェスタ2009」と称するタイトルで行われている。
もっと詳しくはコメント欄にUP
この映画館と出合った私岩魚太郎の、ミニ回顧録である。
昔懐かしい映画館「文芸座」、新宿、池袋にも常設されていたが今は昔の話になってしまっ
ている。ところが平成21年5月16日(土)早朝の散策で、この映画館を発見、その映画館の
名称は「神保町シアター」
身震いするぐらい懐かしいく興奮を覚えた。
昭和30年代、映画の世界を目指し上京した岩魚太郎、昼は仕事、夜間は「シナリオ研究
所の学生」として勉学、当時の深夜喫茶で、熱く映画論議に燃えていた。
小生岩魚太郎は、当時六本木にあった「シナリオ研究所卒業」第二期生であった。
当時の住まいは3畳のアパート、賃貸料は畳一畳一千円が相場、月額三千の家賃である。
その畳三枚の部屋にミカン箱が一つ(当時のミカン箱は木製)、出がらしのお茶を置きなが
ら、総勢5人〜6人が車座になり、自分が書いた作品を順次読み上げ、その読み上げた作
品に対して、激論を交わしていた。
当時私の作品は「被害者」
交通事故で、歩行者死亡と言う人身事故を起こした運転手が、その被害者の家族との関わ
りの過程で、加害者の運転手が、苦悩と後悔と罪悪感にさいなまれて人生を過ごす・・・
加害者の彼も又被害者である。と言ったテーマであった。
シナリオ仲間の論評。
「安物のヒューマニズム」の一言で酷評された。
熱く燃えた青春であった。
埃をかぶった押し入れの箱の中に、その卒業証書は変色をして眠っていた。その変色した
古色の色合いが、遠い私の青春時代を物語っていた。
テレビの普及により映画産業はどん底時代を迎え、シナリオ研究所も閉鎖、卒業生にシ
ナリオの下書きの話も皆無、失意の中で、食う為にアルバイトの通信機修理業務が本業に
なり、見事シナリオの夢は挫折、岩魚太郎の熱き青春時代はその時点で終焉を迎えた。
それから十数年経過、趣味で渓流の世界へ埋没、自費出版(完全な手作り)で「渓流の夢
尚子」(渓流写真を多用したサスペンス小説)を発刊、定価¥2.000円で知人約100名に、工場長の権威で強制的に売りつけた。
その後、再度一念発起して日本テレビ企画、「テレビドラマ シナリオ募集」(年一回)に
応募、作品は「おてもやん」、営利目的で誘拐した子供が人違い、熊本女性の若きお母さん
は、我が子を取り返すために孤軍奮闘するサスペンスコメディのテレビシナリオ。
見事落選で500円のテレホンカードゲット。
翌年再度応募、作品は「友情は生きていた」、嘘をつき親友から金と恋人を奪った主人公が
癌で死亡、遺品の中から発見した親友への思い・・・その遺品を、元恋人であった友人に
届けて再会する友情の絆・・・
これまた「安物のヒューマニズム」ドラマで、見事落選で500円のテレホンカードゲッ
ト。
その後の現在は「天然岩魚と山女魚が釣れる究極の本」の発刊を目指して校正に悪戦苦闘
中である。
現代は死語となっているが、昭和30年代前後、唯一大衆娯楽は映画であった。
その映画館ランクは「一本立て」「二本立て」「三本立て」と呼ばれていた。
「一本立て」はロードショー館(封切り館)、「二本立て」は映画作品二本を上映、「三本立
て」は三本上映していた。一本〜三本までの入館料金55円でほぼ同額。
当時の映画は、一作品が上映時間はほぼ90分、三本立ての映画館では、休憩時間を含め
一日映画館の中で、お握りの持参でたっぷり映画を楽しめた。
岩魚太郎の映画に対する思い入れは、そのような環境の中で育っていった。
平成21年5月16日(土) 「神保町シアター」は「ここ」と言う看板を目した。
「ここ」と言う矢印に向かって歩いた結果が、岩魚太郎のこのミニ回顧録となった。
この写真を撮影していたとき、若い女性が熱心にメモを取っていた。
何故か私はうれしい気持ちなって、心の中で「お早う」と挨拶を交わし、無言で会釈した。
眼鏡の奥には、優しい瞳があった。
きっとこの映画館のフアンになってくれるのであろうと思った。
「神保町シアター」作品上のスケジュールをHome Pageより転載した。
◆5月16日(土)〜5月22日(金)
8.「藤十郎の恋」 監督:山本嘉次郎 昭和13年 東宝東京/白黒
9.「樋口一葉」 監督:並木鏡太郎 昭和14年 東宝東京/白黒 ニュープリント
10.「にごりえ」 監督:今井正 昭和28年 文学座、新世紀映画/白黒
11.「婦系図 湯島の白梅」 監督:衣笠貞之助 昭和30年 大映東京/白黒
12.「野菊の如き君なりき」 監督:木下惠介 昭和30年 松竹大船/白黒
13.「ぼく東綺譚」 監督:豊田四郎 昭和35年 東京映画/白黒
14.「雪国」 監督:大庭秀雄 昭和40年 松竹大船/カラー
◆5月23日(土)〜5月29日(金)
15.「破戒」 監督:木下惠介 昭和23年 松竹京都/白黒 16mm
16.「夜明け前」 監督:吉村公三郎 昭和28年 近代映画協会、民芸/白黒 16mm
17.「地上」 監督:吉村公三郎 昭和32年 大映東京/カラー
18.「晩春」 監督:小津安二郎 昭和24年 松竹大船/白黒
19.「太陽のない街」 監督:山本薩夫 昭和29年 新星映画/白黒 16mm
20.「伊豆の踊子」 監督:野村芳太郎 昭和29年 松竹大船/白黒 16mm
21.「足にさわった女」 監督:増村保造 昭和35年 大映東京/カラー
◆5月30日(土)〜6月5日(金)
22.「乱菊物語」 監督:谷口千吉 昭和31年 東宝/白黒
23.「白夜の妖女」 監督:滝沢英輔 昭和32年 日活/カラー
24.「滝の白糸」 監督:島耕二 昭和31年 大映東京/カラー
25.「雁」 監督:池広一夫 昭和41年 大映東京/白黒
26.「刺青」 監督:増村保造 昭和41年 大映京都/カラー
27.「鬼の棲む館」 監督:三隅研次 昭和44年 大映京都/カラー
28.「おんな極悪帖」 監督:池広一夫 昭和45年 大映京都/カラー
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