=角打ち語源に関する定義=
「角」と 「打つ」 の真意を問う
神戸角打ち学会
角打ちの語源には諸説ある。
昔、酒屋は計り売りの時代。 客は「通い徳利」で買いに行ったもの。
持って帰り飲むことに我慢ならずその場で酒を所望。
酒屋も心得たもの、計量用の枡で呑ませた、と。
枡の角で飲むから 「角打ち」と名付けられた。
だが疑問が生じる、「枡」で飲むのにあえて「角」とするか。
さらには、なぜ「打つ」なのか、「飲む」が自然で、「枡飲み」でいいはず。
ここからが核心
ここまで踏み込むのは全国で神戸角打ち学会以外にはないと思われる。
学会と名乗っているからには・・・
「飲む」と「呑む」の語源が重要
飲む・・・ゆっくり飲み込む意、茶、ジュース、味噌汁、ビール、ウイスキーなど
呑む・・・「塊」を、喉に放り込む感じを表す、「気合いで日本酒」を呑む感じ
「ごく、ごく、ごく」と。(実はこの響きがこれ以降の展開の鍵となる)
◎ここで、神戸角打ち学会の博識、写真酒さんの「角打ち語源説」
関東(江戸)が発祥との説があります。
(※現在、角打ちのメッカは北九州と言われています)
江戸の講談師が、中山安兵衛の高田馬場の討ち入りの講談の中で、
仇打ち直前に酒屋で枡酒を一升引っかけて、仇打ちに走って向かったとか。
この時状況を講談師が、「安兵衛〜角を!打ったり〜!」 と話したとか・・・?
相当の酒豪だったようです、ただ「講釈師 見て来た様な嘘を吐く!」と言いますから、
定かではありませんが、この講談で 『枡の事を角』 と言ったのが始まりらしく、
それ以来、酒屋で枡に酒を注ぎ、立って呑むことを、
「角を打つ!」 と言われ始めたとか・・・?
「角」は、どう疑っても「枡」しかあり得ない
一部、“カウンターの角で” などという説があるが噴飯もの
その時代の酒屋にカウンターなどあるはずがない。
◎どの解釈も、「角」は「枡」の意味だろうまでで終始しており道半ば。
「打つ!」 には、誰一人踏み込んでいない。
この現状を 『角打ちの定義』 を会是とする神戸角打ち学会として、
看過するわけにはゆかない。
★神戸角打ち学会の 「語源解釈」 として後世に残し語り継ぎたい。
角打ちの「打つ」に関連する考察
これまでの三十有余年に亘る立ち呑みの経験、経緯から、
やっと、以下の結論に至る。
先ず、「呑む」の意から抽出される「ごく、ごく、ごく」と「打つ」に、
何らかの関連性があろうという仮説で取り組みを進めた。
それでは、気になる「3つの案件」から解き起こしその「真意」をあきらかにしょう。
①遍路を打つ
昔日、遍路の関連で「逆打ち」という語句を知る。すなわち「逆回り」
正しい回り方は「順打ち」。
遍路をなぜ、「打つ」というのかを調べると核心はこうだ。
◎いまは「紙の札」を参った寺に納めるが、古くは「木の札」を参った寺に
槌や石などで「打ちつけて」帰ったことより派生し「遍路を打つ」となったとの記述が。
「コン、コン、コン」と打ちつける。
そう、角打ちも「ごく、ごく、ごく」で呑み終える
音の響きから、枡で酒を呑むありようを「打つ」と表現したのだろう。
ここで「打つ」とは
酒を気合いで「塊」のように喉に放り込む意と重なる
②合槌を打つ
刀鍛冶が、たたらで高温に溶融した鋼を槌で打つ時、
弟子が両脇から「阿吽の呼吸」を介し鉄槌で叩く。
これも「コン、コン、コン」 ・・・・相槌を打つの語源は、これから派生したとのこと。
「打つ」という言葉には、日本文化の本質が潜む,「言霊」が宿る。
酒呑みの先達は「枡」を隠語としての「角」に置き換え、
更に意味ありげな「打つ」と結びつけ、
「角打ち」という見事な言葉を残してくれた。
当時の「酒屋主人」と「客」の枡を通じての阿吽の呼吸まで観えるようである。
ここでも「打つ」とは
酒を気合いで「塊」のように喉に放り込む意と重なる
※写真酒さんの言う仇討説をこの視点で解釈すれば
講談師は「仇を打つ」に「角を打つ」を音韻的、意味的にもかけたわけで、
講談台本を作った時代の前から「角打ち」の言葉はあったと思われる。
もし・・・・
先達が「角飲み」としていたら・・・
仇討の中山安兵衛は枡に入った酒をさも旨そうにちびちび味わう。
飲み始めて数刻、「肴じゃあ、旨い肴を持って来い」 「もっと上等な酒はないのか」
など、まるで舐めるように延々と飲み続け、終に日は落ち、
その日の仇討は終に果たせなかった・・・ こういう顛末になったろう。
■すなわち、角打ちの「打つ」とは
酒屋の店頭で、計り売りの酒をあわただしく
恰も、塊りの如くに「ごく、ごく、ごく」とまるで
呑み逃げでもするかの如く、三口で呑む早技を、
「コン,コン, コン」のリズムと重ね表現した
先人の文学的叡智ではなかろうかと思う。
※擬音からの派生という妙味に心くすぐられる
③饂飩を打つ
手捏ねや、足踏みでこさえる饂飩、さらには蕎麦を何故打つというのか疑問であった。
世の解釈では
・捏ねた生地を板に打ちつけたから
・料理用語で「切る」を打つと表現する慣習から
・中国語の(打電話―電話する)打は、なになにする意で饂飩をこさえるという意味。
など解釈されているが、ここに核心的解釈を発見
昔の中国で、麺を作ることを「打麺」と呼んだそうな
いまの中国語の「拉麺」は、「拉」が引っ張り伸ばす意味で
あるからして、ひっぱり伸ばした麺という意味になる。
日本の「素麺」は中国では「拉麺」の範疇なのだろう。
やよ福フアンクラブの汪先生も「拉麺は縁起がいい」とおっしゃるが
寿命が延びる縁起から。
この「打麺」、まさに、木槌で麺の生地を
「コン,コン,コン」と叩きのばしていたということ。
これと前の、「遍路を打つ」「相槌を打つ」の
3つを通底している符号は
「コン,コン,コン」
更にここでも「打つ」とは
酒を気合いで「塊」のように喉に放り込む意と重なる
◎最後に「余談なことと断り置く」が・・・
①遍路になぞらえ「打つ」とした背景に
・角打ちは神聖なこととして意味付けようとして、
枡を四国に見立て、酒遍路したいという願望を、
神仏信仰にかこつけたのではないだろうか?
ここに日本文化の神髄、軽さと俳味が感じられる
・当時酒は貴重品。 飲み足らず、八十八枡呑みたいなあとの「はしご酒」
願望も込められていたのかもしれない。 いつの世の酒徒も同じ。
「角打ち」の打つは「遍路を打つ」に、なぞらえて生まれたと見る方が自然だ。
②うどんも「打つ」というが、うどんもルーツは、
弘法太子が唐から伝えたとの説も。
同じ「打つ」の語源で勘ぐれば、「角打ち」の先達はひょっとして、
「遍路を打つ」「饂飩を打つ」の並びとして「角を打つ」に思い至ったのか。
まさに時代の寵児、最先端の「鉱山技師」でもあった、
弘法大師にあやかったのでは・・・!
などと勘繰ったりもしたくなる。
③相槌を打つ、鍛冶技術の重要な炭、火力の強いたたらに必要な「白炭」も、
弘法大使が唐から持ち帰った「製炭技術」。
まさに余談だが、 「①遍路を打つ」「②相槌を打つ」「③饂飩を打つ」
この「3つの案件」の背後には弘法大使が・・・・・!?
「打つ」は「呑む」と同義だと結論付けたが
「角打ち」は日本の酒文化に裏打ちされた麗しい言葉
即物的な「立ち呑み」よりこころくすぐられる
結論
「角」は「枡」の隠語
「打つ」は、「ごく、ごく、ごく」の「コン、コン、コン」の音韻置き換え
「角打ち」は言霊の国「日本」の俳味あふれる粋な先達の「造語」である。
(神戸角打ち学会定義より)
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Posted at 2012-06-30 18:12
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Posted at 2012-07-03 09:03
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