炎(かぎろひ)の里 阿騎野 (写真集より)
Aug
5
喫茶店オボゴボで見た2冊の写真集には盆地特有の朝霧によって水墨画さながらの景色が見られる場所で有ることが判ります。高地で見られる雲海に浮かぶ山脈の景色にも似てますが阿騎野のそれはもっと箱庭的で霧に浮かび上がるのは小さな丘陵や木々の姿です。
また「かぎろひ」は万葉集の柿本人麻呂が詠んだ歌に由来します。
写真集「炎(かぎろひ)の里 阿騎野」から引用します。
「柿本人麻呂の秀歌 [ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかえり見すれば月かたぶきぬ](万葉集第一巻)は、持統6年(692年)11月、人麻呂が当時10歳の軽皇子(かるのみこ)後の文武天皇の狩の伴として阿騎野を訪れた際に詠まれたものである。阿騎野は、3年前に不幸な死を遂げた皇子の父草壁皇子の愛した御狩場でもあった。軽皇子にとってこの阿騎野の狩は、父の追悼と鎮魂の行事であるとともに、皇位につくための修行の意味もあったものと推測される。
極寒の早朝、漆黒の闇より黎明に移行する際の美しい「かぎろひ」の出現、そして、西に傾いていく月ー。阿騎野の空に去来する対照的な自然の輝きを詠み込んんだこの歌は、そのまま、歌人の心の中に激しくうずをまく、軽皇子への期待と草壁皇子への追慕の念とを象徴するものとなるのである。」
この写真集に寄せた小松左京氏の序文よりー
「いうまでもなく万葉集記載の(軽皇子の阿騎の野に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作る歌)の中に入れられた有名な短歌である。ー私はこの歌を中学の時から知っていた。
だが、この歌にうたわれた「かぎろひ」がこんな天象だとは、その写真を見るまで、まったく知らなかった。
それまでは、ごく常識的に、春先の晴れた日に野に立つ、空気のゆらぎによって起こるカゲロウの事だと思い込んでいたのである。ーその写真にうつっているように、冬の日の暁に時たま東の山なみの上にあらわれる、美しい光景だとは、想像したこともなかった。」
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Posted at 2014-08-05 18:01
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