ひとり息をする孤独 散らかした文字を片付けず 嫌われることより 愛する自分がいたりする 失格だろうか ひとり歩く孤独 帰る場所を知っているから 出て行く安心のもとに 笑ってしまった目的地からの 軽蔑だろうか ひとり倒れる孤独 先人も楽しんでいたように 踠いて叫ぶ詩から求め 苦しみの中を客観したのは 黄昏だろうか
風景を絵にすれば情景となり 好かれる作品であったりもする しかし、詩の場合は違う 風景だけを言葉で表し喜怒哀楽を描かなければ 情景になることは難しくなってしまった それだけの作品で終わる 私は読み手の感情移入する感性が 狭いのではないかと感じている 今まで書き手の表現未熟だと思っていたが そうではないのかもしれない 詩は気持ちの色を誘導させて見せる 喜びを伝えるように 怒りを伝えるように 哀しみを伝えるように 楽しいを伝えるように 絵や音楽は音と色でそれを伝える 「これは喜びの作品です」 と、説明しなくても充分に心が踊る 詩は嬉しくなるような風景や情景を書いても 「私は嬉しいです」と、匂わせる表現をしないと 作品としてつまらないことになる 言葉の限界がそこにあるのだろうか 私は詩を読むための感性が失われ 書き手の世界が狭くなっていると実感している 「青に白が小さく浮いている ただそれだけである」 例えばこの言葉に感情移入をできるか、できないか 詩の世界が萎縮しないためにも 私は風景や情景だけを言葉に連ねてゆく詩が もっと書かれて読まれることを夢みている
ひとりの詩 自分以外には読まれない詩 ずっとそのスタイルで外へ表現はしなかった する必要もなかった 三十年前のノートがタンスの隅から飛び出した 投げ散る字で書かれた詩は力があり生きている言葉だった 今、自分の詩は叫んでいるのだろうか 愕然 まったく意味のない詩ばかり書いている 掲示板へ詩の投稿 詩を学んだことにより失ってしまったもの こんな風に書けば纏まって完成度を上げれば 確かにひとの心へ入りやすい そうして少しは読める詩が書けるようになった だが、三十年前の自分が語っている お前はそんな詩を書くために生きているのか もう詩を書く資格は無くなっている と もう戻れやしない 戻り方など存在しないのだから仕方ない これが自分なのだから それでも生きていることは詩を書くこと 詩を書くことは生きること に、なってしまい その執着で汚れるように 詩を書いて行くしかないのだろう もう、それしかない