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Dunkin' Donutsの謎

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Dunkin' 東側圧勝の事実... Dunkin' 東側圧勝の事実😂 この図からはDunkin'がじ... この図からはDunkin'がじわじわと西側に向かって行ってるのがわかる。
07/06/2022








Road tripの往路では、ペンシルバニアで暮らしているわたしの従姉妹のところに立ち寄ることになっていたのもあり、途中(インディアナに入った辺り)から有料道路以外のルートを進んだ。高速道路だったり、普通の道路だったり、GPSに任せて走らせる。


最短ルートではないので、街中を走ったりする。
おかげで、そこに住む人々の暮らしが垣間見えるような風景を楽しむことが出来た。中西部の平坦な土地から、少しずつ勾配が出てきて、だんだんと景色が変わっていくのも肌で感じられた。

そんな中ふと、Dunkin' Donutsのお店を何度も過ぎるような気がした。

ね、Dunkin' Donutsがやたら多くない?
そうかな。
そんな会話をしていると、またDunkin'を過ぎる。
ほらっ!まただよ。
ふむ。

そんなわけで、Dunkin'のお店を過ぎる度に、なんで〜?さっき過ぎたばっかりだよ???と、まさに笑い転げるわたしたち。
東部の人たちって、それほどまでにDonutsが好きなのか???と、興味津々だ。
そう言えば村上春樹の物語にはよくドーナツが登場する。あれはきっとDunkin' Donutsなのだろう。そんなことを思い出し、夫にその話をした。夫はもちろん村上春樹なぞ(いくら世界のHaruki Murakamiと言えど)、知るわけがなく、「村上春樹」という作家についての説明から果てはジョン・アーヴィングについても。なぜなら時間はたっぷりある。村上春樹には申し訳ないが、このような(少なくともわたしたち夫婦間では)どうでも良い話が出来たのも、このRoad tripの醍醐味だったと思う。
村上春樹とドーナツの話の他、日本におけるDunkin' Donutsの衰退、それに対するMister Donutsの展開についての話も出た。大昔、夫が日本にいた頃にはまだDunkin' Donutsがあった。現在は店舗ゼロ(というか完全撤退)と聞いた夫は愕然としていた。😂
逆に、この国ではMister DonutsはDunkin' Donutsに買収されている。不思議なものだ。
ちなみに、わたしはこの国に長くいるせいか、ミスタードーナツでは甘みが足りないように感じてしまう。恐ろしいことよ。。。


ToledoではTim Hortonsもあった。わたしはこのお店のことを知らなかったのだが、夫からカナダのドーナツチェーン店だと教えられた。カナダは地理的にすぐそこだ(近い)からか?
せっかくだからドーナツ買おうか!という話をしたが、あいにくそのお店に入るには大通りをもっと先に進んでU-turnせねばならなかったので諦めた。

その後、そこそこに大きな街、中くらいの街、ちっちゃな町やらを抜けて進む。
で、やはりDunkin'が目立つ。
興味深いのは、結構小さな町にもひとつはある、ということ。いや本当に。
小さな集落に入る度、まさかここにはないよねぇ〜と言いながら進むと・・・ジャーーーン!あるではないの、しかも割としっかりとした店舗。そして、それらのdrive-throughにはいつだって車が並んでいる。いや本当に。

この事実には何か秘密があるに違いない、と、ホテルで検索するわたし。
そして見つけたのがコレ(画像1)。衝撃の事実!夫に見せると大笑いだった。
いやはや・・・知らなかった!


わたしはドーナツが大好き。夫も好きなので、時々ドーナツ屋に行って買ってきてくれる。
わたしたちの行きつけのお店はローカルショップのドーナツ屋。Dunkin'もあることはあるが、そこに比べると少し遠い。スモールビジネスを応援したいという気持ちもあり、Dunkin'にはあまり行かない。
でも、この旅で何軒ものDunkin'を目にしてきたせいか、なんだか親近感を持ってしまった。ちなみに、最終目的地であったメイン州の片田舎の小さな町にももちろんDunkin'はあった。メイン州を去る朝、記念にと、そこに立ち寄ってドーナツと珈琲を買った。
まさに、America Runs🏃🏻‍♂️ On 🍩Dunkin'☕️









昨夜の花火は予想通りとは言え、かなりけたたましくて、犬たちには受難の夜だった。
パス公のクラスのインストラクターから、TVの音を大きくすると良いと言われたけど大した効果は得られず。ズン、と、お腹に響くあの重い音はTVの音量ごときで消し去ることは無理だ。でも、何もしないよりはしたほうがいいけどね。
ちなみに、びぃ坊は最初の晩で慣れた模様。翌晩からは、花火が始まるとさっさとわたしたちの寝室奥にあるbathroomに行ってぐーすかぴーぴー寝ていた(びぃ坊はシェルターに引き取られる前にはAmish FarmのBarn内で過ごしていたらしいので、嵐とかも結構、平気なのだ)。パス公は花火の音にいちいち反応し、そわそわと落ち着かなかった。かなりストレスフルだったと思う。音がする度に飛び上がり、窓際に行って吠え、ダディのところへ戻ってはダディに引っ付く、の繰り返し。そしてそのうちダディから離れなくなる。

July 4thのお祝いは昨夜で最後だろう(7月になってから毎晩何処かから花火の音が聞こえた)。今夜からはようやく通常通りになる筈。犬たちよ、お疲れさん!








#日記 #犬日記

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浦島太郎

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浦島太郎
07/04/2022









July 4th, Independence Day.
兄2の命日。
娘のBFの誕生日。



今朝、メールボックスにイリノイとNYの有料道路から、それぞれ領収書が届いていた。
イリノイ州の分(Illinois Tollway)は個人メールに直接、N Yの分(EZ Pass)はレンタカー会社を介してのものだった。
借りた車のナンバーがメリーランド州のものだったので、もしかするとEZ Passが搭載されていたのか?良くわからないが、とりあえずは無事に支払い完了ということだろう。

実はわたしたち、有料道路用にと、小銭を準備して出かけた。我ながら準備万端!と自画自賛だったのだが、無用の長物だった。しかも、支払いやすいよう、nickel, dime, quarterそれぞれ別容器に入れてという周到さ。😂


シカゴへは何度か行ったことがあるのだけれど、このところ、否、久しく遠ざかっていた。
以前はシカゴからの直行便で帰国することが多かったが、送迎のための夫の時間的な負担を考えると、隣町の空港(車で30分)からの経由で帰る方が簡単、と、ここ6-7年はずっとそうしている。よって、シカゴまで出向くことがほぼなくなった、と言って良い。

友人はよくシカゴに行くらしく(車で3時間)、フットワーク軽いわ〜と尊敬の眼差しで見ていたのだけれど、彼女に色々と訊いておくべきだった、と悔やまれる。まさかいつの間にこんなことになっていたとは、老夫婦には寝耳に水よ。

忘れもしない、最初のTollwayで。
よっしゃー大丈夫!任せて!!と、わたしはコインを入れたカップを取り出した。運転は夫。
前方には何レーンもあるTollwayの入り口が見えてきて、I・Passというレーンがずらりと並んでいる。
I・Pass???😳😳😳
わたしたちには何のことやらさっぱり。とにかく、I・Pass以外のレーンに向かうしかない。
時速10マイルで、というサイン通り、夫はゆっくりと車を進める。が、人間がいない。誰もいない。チケットを取る器械もない。
ええええええ!😵

止まるわけにはいかないので、そのまま車を走らせ、また高速に合流。その間、わたしは慌ててIllinois Tollwayについて検索。Pay-By-Plateという方法があるらしいことを知り、夫に伝える。
ナンバープレートをカメラで撮影してるってことか?と、夫。
わからんが、そういうことでしょう、と、わたし。
だから時速10マイルだったのか?
そうかもね。
本当に大丈夫なのか?
大丈夫じゃなくてももう遅い。大丈夫だと決まっている。

よくもまぁこんなんでRoad tripなんかに行ったもんです。😂

イリノイ州は14日以内に申請、NY州のやつは48時間以内にということで、それぞれホテルに着くなり、PCを開いてその作業をしたわたしであった。

道中、日本の高速道路事情について夫に説明。うろ覚えだけれど、ずっと前に政党変化(?)で一悶着あったようなことを、しょろしょろと。今はどんな風になっているのかな?
そう言えば姉3の車にはETCカードを挿入するための機器が取り付けられている。でも、ETCカード自体は持っていなくて中身は空のままなので、エンジンをかけるたびに「ETCカードを挿入してください」という女性の声が流れていたのを覚えている。🤣


今回のRoad tripでは、あちこちで新たなTollway自動支払システムが建設されていた。そのうち、チケットというもの自体もなくなるのだろう。今回の旅では、往復で若干ルートは違うが、本物の人間に出会ったのは2回だけだった。ボックスに人間がいるのが見えた時には、Yayyyyyy!と小躍りする老夫婦。

勉強になりました。
















#日記 #犬日記

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パス公、学校へ

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07/03/2022









前回、復活の兆しと書いておきながらどうもまだ本調子が出ないまま数日経ってしまった。猛暑だというのに外へ出てもそれほど暑さを感じない。それどころか、背中がうっすら冷えている感じが拭えず。ずっと夫任せにしていた犬たちとの散歩に同行し始めたが、長袖にスカーフを巻いて、という出で立ちだ。行き交う人たちは老若男女問わずタンクトップ或いは半袖シャツにショートパンツで、眩しいくらいに健康的に見える。健康であることの素晴らしさ。早く100%になりたい。(ちなみに、念のためCOVID検査した結果は陰性。ホッ😌)



先日(6月30日)パス公の学校が始まった。初回はbeginner's classのおさらいから始まり、少しずつタスクがレベルアップされていった。参加者は7組。コロナの関係で参加数を制限しているようだ。パス公は最年長(3歳半)らしく、どのタスクも難なくこなす。外面が良いのは相変わらずだ。

Advanced classに入れたのは我が家の歴代犬の中で唯一。どんな感じか興味津々だったのだが、どの犬もわちゃわちゃしていて、問題行動(?)のある犬というのは沢山いるんだ!と知ってひと安心だった。とは言え、どの犬もパス公より若いのだが。😅

クラス終了間際にインストラクターから個々の具体的な要望(ゴール)を知っておきたいと言われた。周囲に吠える、来客に飛び上がる、呼び戻しを聞かない、などなど、皆がエピソードを交えながら話すのを聞くと、ただただ、(((犬だからねぇ〜)))と思う。でも、犬だからしょうがない、それで良い、とはならないわけで。

うちの場合、自転車、バス、アマゾントラック、ゴミ回収車などに異常に反応する。散歩中にはそれらを無視出来るようにさせたい。と言うと、インストラクターは「牧羊犬だからね!」と大きく笑った。彼女の寛容な受け答えに安心し、励まされる。そうだよな、牧羊犬だからね!!


1時間のクラスを終えて家へ帰る道中、パス公は後部座席でおとなしくしていた。かなり疲れたみたい。ルールを理解して指示に従うべく、たくさん考えて脳はフル回転だったのだろう。パス公、頑張りました!💯
卒業は7月21日。それまで宿題しながら一緒にわっしょいガンバロウ!















#日記 #犬日記

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Home sweet home

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@Mount Washingt... @Mount Washington
よくまぁ登ったものだ、と、、、、
風が強く(強風警報)、霧が深く、すごく寒いっ!!
大昔に夫と富士山に登ったときのことを思い出しました。
06/29/2022








人生初の長距離Road tripより帰還したのは4日前。
帰宅後、体調を崩してしまったがようやく復活の兆しの朝。
とりあえず、メモ。


 ・・・

Dunkin' Donut 🍩
mini golf and swimming pool
Ice cream shop

Local news

Joyco

Turtle 🐢crossing
Moose crossing
Horseback riding crossing
Amish horse and buggy sign

 ・・・


中西部から東側へ。
行きは3泊しながらゆっくりと向かい、帰りは強行的に1泊で戻ってきた。
途中、従姉妹のYちゃんと感動の再会を果たし、しみじみと「血の繋がり」の不思議を思う。


犬たちも一緒に行けるようにと、今年のvacationはRoad tripにしたのだが、ごめんよ、boysにはやや過酷だったかもしれない、と反省。
でも、帰宅して元の生活に戻って、2頭ともに元気溌剌。
帰宅直後のめっちゃ嬉しそうな様子(&安心して熟睡しているところ)、動画に撮っておくべきだった!!
どこへ行っても何があっても、ここがわたしたちの家(home)で、必ずここに帰ってくる、ということ。
犬たちだけでなく、人間もあらためて実感。
There is no place like home.












#日記 #犬日記

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言しゃんゆむたや飲みんきゃならん

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06/16/2022










同じことを繰り返し、またやっちまったか、、と思う。
思う、のも、繰り返している。ということは、反省にもなっていない、ということだ。

ということに気付いて、少々、落ちこむ。
いい加減にしようよ、自分。恥ずかしくないのか、自分。どうにか出来ないのか、自分!
というようなことをここ2日ほど、悶々と考えている。

同じような過ちを起こしてしまうので、もうそういうことからは遠ざかる。

というのは現実的ではない。
なので、考えた。

次回。その時には「マジナイの言葉」を記したものを持っていく。
効果があるよう、見えるところにそれを置く。
でも、相手があることなので、自分にしかわからない言葉にしなければならない。

何かシンボルのようなものでも・・・と、最初、思ったが、それでは意味がないような気もする。
言霊というのがあるし、わたしが気をつけようと思っているのは、まさに「言葉」に関することなのだ。

と、ここまで考えて、はたと、気付いた。

島口があるじゃないか〜!!

そうだ、わたしには島口がある。
島口で書くのだ。純粋な、島口で書く。相手は見てもわからない。言葉だとは思わないかもしれない。そういうレベルの島ゆむた。
わたしは、それを見る。それを読む。そのゆむたはわたしの心に届く。わたしの行動が、変わる。

いい考え!!



島口ことわざも良いけど、、、、これ、ちょっと戒め感が強くて苦手。😣

自分にもっと合う言い回しを考え中。














#日記

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仏の顔も三度まで

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今朝の散歩。びぃ坊は先を歩こう... 今朝の散歩。びぃ坊は先を歩こうとする。パス公もそうだけど、わたしたちはいつもびーちゃんにリードしてもらうようにしている。
06/14/2022








このところ、びぃ坊のパス公への反撃が半端ない。

体躯的にはパス公のほうがデカく見える。パス公は躯体が長く背も高い。びぃ坊はパス公より胴も脚も短い。ただ、体重的にはびぃ坊のほうが優っている。パス公は痩せっぽっちのひょろ長、びぃ坊はがっしりの短足。
と、あらためて書くと、びぃ坊のことが不憫に思えてくるが、びぃ坊はびぃ坊、パス公はパス公、どちらも素晴らしい、どちらもハンサム。


びぃ坊は優しい。とにかく、優しい。
やりたい放題のパス公に辟易しながらも、彼を群れの一員として受け入れ、遠目に見ているところがあった。
わたしたち夫婦は、犬世界のことは犬同士に任せている。が、先住犬であるびぃ坊に主導権を握って欲しいと思ってきたし、今もそう思っている。
パス公を迎え入れてから、びぃ坊がどんな風に変わるかなーと思って見てきた。彼はとても謙虚で、驚くくらい大らかで、それはもうこちらが心配するくらい(立場が逆転してしまうかな、と)。
まぁそれも仕方のないことだろうとは思いつつ、それでもやっぱり、食餌もトリーツも、まずはびぃ坊に、それからパス公に、と徹底している(パス公もそれはそれでしっかりと受け入れている)。


パス公はいつも一番にしないと気が済まない貴公子だ。迎え入れる時にも言われた、"He is very dominant."
反面、びぃ坊はとってもマイペースなので、こいつにやられちゃうかなーと心配でもあった。また、びぃ坊を迎え入れた時、彼はまだ2歳にも満たない仔犬で、コズモは立派な成犬だった。つまりびぃ坊はまだ一度も優位に立つという経験がない。我が家にとっては、唯一(&驚きの)ドアベルに反応しないのんきな犬。Guard Dogには程遠い。それがびぃ坊。

でも、そんなびぃ坊が新たな一面を見せてくれたのは、コズモが虹の橋に行ってしまってしばらくしてからのことだった。
その夕、わたしはいつものようにびぃ坊と散歩へ出た。散歩コースは時々変えるようにしているが、これまでにも何度も通ったある家の前で、いきなり黒い犬が中から飛び出して来た。不意の出来事に驚きながらも咄嗟にびぃ坊のリーシュをしっかりと握る。びぃ坊よりはるかに大きな犬だった。びぃ坊と一緒にとにかく早く立ち去らなくては、、と、思う間もなく、びぃ坊がぐるぐるるーーーー!牙をむきだし反撃したのだった。「やられる!」と思った。勝てるわけがない。でもびぃ坊は全くひるまなかった。驚いた。心底、驚いた。そのうち、その犬のオーナーがやって来て、彼を制止し、I'm so sorry!!!と言った。He's not like that, but,,,,と言うので、It's okay...と言って、びぃ坊を引っ張り(彼はまだその犬を追いかけようとしていた)、その場から離れた。
だいぶ離れたところで、腰が抜けたようになって、歩道に座り込み、びぃ坊を抱きしめた。それから、彼の首やら耳の後ろやら肩やらを触って傷がついていないか確認した。相手の犬と絡み合ったときの濡れた形跡はあったが、なんともなかった。ホッとした。その後もしばらくドキドキしながら歩いた。おかげで散歩はいつもより早く切り上げた。

このことを夫に報告すると、He tried protect you.と言った。わたしはただただ驚き混乱し、恐怖心も残っていたので、その言葉を聞いて、あぁそうかもしれない、と初めて思った。娘に言うと、彼女は、「コズモがいなくなって、びーちゃんはマミィを護るのは僕だって思ったんだね」と涙声で言った。夫と同じ意見を言われて、これまたびっくり。いつの間にびぃ坊はお兄ちゃんになってたのね。😭


たまに勇敢な面を見せてくれるびぃ坊は、パス公のことを戸惑いつつも、大らかに迎え入れた。コズモとは違う犬。なんか知らんがわがままで態度のデカい犬。ちょっとクレイジーなのかもしれない、色んなことに大袈裟に反応する犬。
もちろん、ガウガウ喧嘩をすることはある。遊びガウガウからいつの間にか本気ガウガウになることもあった。そういう場合、私たちが止めに入るせいか?どちらが勝ち、というのはなかったと思う。

大抵のことはパス公の思うままにさせるびぃ坊だけれど、ひとつだけ譲らないことがある。
それは、ガレージに向かうドアか玄関ドアから外へ出るとき。びぃ坊は必ず先に出ようとする。パス公が先に出ようとすると、がううう!と唸って制する。でも、階下のドアからバックヤードへ出る時、或いは前庭のフェンスドアからバックヤードへ入る時にはパス公が先になる。びぃ坊も先に出る気満々に見えるのだが、いつも一歩遅い。というか、パス公が俊敏過ぎる。ただ、びぃちゃんはそれをあまり気にしていないように見える。先の、我が家から外界へ出るときは別で、必ず自分が先に出るようにする。不思議でならないが、そうなるよう、こちらも加勢している。節もある。😁


前置きが長くなったが、そんなびぃ坊の、このところの反撃が半端ない。
どういう時に見られるかと言うと、

散歩の時。
自転車やらトラックやらを見て大興奮するパス公をわたしが制する。(←今も尚、Leave it!を指導しているところ、、、)
パス公はそれでも興奮冷めやらず、そのうち、一緒にいるびぃ坊に八つ当たりをする。
と、ここでびぃ坊が怒る。なんじゃこらー!下がってろ、こらー!そんな感じだ。
パス公も怯まないので、かなり激しいガウガウになる。お互い、立ち上がってガウガウぐるるる。かくいうわたしは2本のリーシュを握りしめ、彼らに巻き込まれて自分が倒れされることのないよう必死なのだが、見ると、びぃ坊が優勢。というか、かなり、優勢。Stumpyなびーちゃんが、パス公より高い位置で彼を抑えこもうとしている。パス公もかなり激しくびぃ坊に襲いかかるのだが、びぃ坊はさらに強く抑え込む。
わたしは嬉しくなりながらも、2頭のガウガウを止めさせる(この頃にはパス公も、なんで興奮してたんだっけ?という感じなのかもしれない)。

というようなことが最近、何度かあった。
現在、びぃ坊連勝中。


これはもしかして、びぃ坊目覚めたのか???

夫にそう言うと、彼は「仏の顔も三度まで」と言った。

とは大嘘で😂、意味合い的に同じようなことをここには表記できない英語の言い回しで言った。


仏様のようなびーちゃん。
3度どころか、1年かかりました。😂
ガンバレびぃ坊!











#日記 #犬日記

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Cross my heart

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Up Up
06/13/2022









昨夜、娘と姪っ子のるぅちゃんふたりから強く推されていた映画「Up」を観た。とうとう、やっと、観た。

勧められたのはもう随分前のことだ。
何かの話で、わたしが「見てない」と言うと、ふたりは「えええええええ!!」と大袈裟に驚いていた。信じられない、と言われた。mねぇちゃん絶対に見なきゃダメ!と言われた。
家に沢山の風船つけて飛んでく、って話でしょ、なんかファンタジーな感じの、と言うと、ふたりは顔を見合わせて言った。「内容は言いたくない。必ず見て欲しい。」



実を言うと、その前の晩に見始め、途中何度も何度も泣いて、とうとう耐えられなくなってDVRを途中で止めた。
心を落ち着けてから続きを見よう、と思った。
しばし、このストーリーから離れなくちゃ、と思った。

何がそんなに苦しかったのか、辛かったのか?自分でもよくわからない。
とにかく、一気に見てしまうことが出来なかった。休憩しないと、、、と思ったのだ。
もし映画館でこれを見ていたら、と思うと、、、自分、オイオイと声を出して泣いていたかもしれない、本当に、冗談抜きで。


そして昨夜、最後まで見た。

ファンタジーじゃなかった。

ぐしゃぐしゃになった。
心、洗われた。



Upというタイトルが良い。
どうしてUpというタイトルになったのか、わかるような気がする。
それから、今朝になって、途中で苦しかった理由も少しわかったような気がする。

心に残ったフレーズをメモしておく。



What have I got myself into, Ellie?

Thanks for the adventure-
Now go have a new one!
Love, Ellie












#日記

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Lentils

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グリーンレンティルのサラダ😋 グリーンレンティルのサラダ😋
06/12/2022









コレステロール値が気になっているのだろう、最近、健康食思考気味です。😙

写真は、何日か前に作ったLentil Salad(レンズ豆のサラダ)。


Lentils
- Lentils are high in protein and fiber and low in fat, which makes them a healthy substitute for meat. They're also packed with folate, iron, phosphorus, potassium and fiber.


レンズ豆、最高に美味しい。
グリーンリーフ、トマト、ラディッシュ、オレンジのベルペッパー、セロリ、あるもので作った。多分、feta cheeseなんかもあれば尚よろし。


ドレッシングは適当に作った。
今回はバルサミコ酢仕様( balsamic vinegar, mustard, cumin powder, olive oil, salt and black pepper)だったけど、白ワインビネガーで作っても美味い。



「レンズ豆」で検索したら色んなレシピが見つかった。
今日は夫がいないので、ひとりご飯用にレンズ豆のカレーを作るぞーい。😋😋😋










#日記

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Gワード

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06/11/2022









職場で、たまに、(気に許せる相手に対して)ふざけて
Fxxx yxx!
と言う。
気持ち的には「なんじゃそら」「ふざけんな」。
でもこの言い回しはもちろんタブーとされているので、それなりに気をつけて使っている。
気をつかうくらいなら、そもそも使うな、とは思うのだが、それはさておき。


わたしがこのフレーズを言うとアメ人同僚は大いに喜ぶ。
「mの言うそれは特別だから大好き!」とか、言う。
彼らによると、わたしのそれは「歌うように」言っている、らしい。発音やイントネーションの違いとか、あるのだろう。
そして、それ故に多分、それ本来の意味として聴こえるのではないのだろう。と、思う。
だから腹も立たない。逆に言えば、「面白い」、「笑える」。


しばらくはそのセオリーがわからなかった。が、今はなんとなくわかる。
例えば、日本で(明らかに)外国から来た人が「クソヤロウ」とか「バカヤロウ」とか言っているような感じなのかもしれない(例えばデーブ・スペクターとかが)。
その人はもしかしたら本気で言っているのかもしれない。でも、日本人の耳には、そうは聞こえない。だから笑って流せる。

わたしの場合、そもそも冗談で言っているのだから、どう聞こえようが関係ない。
が、要はそういうことなのだ。冗談だろうとそうでなかろうと、本来の意味としては捉えられていない。


わたしは夫が時々発する日本語をカタカナで聞いている。
彼にしてみれば一生懸命日本語で語りかけているのに、わたしの耳はそれらを「カタカナ」として聞き、そのまま脳に伝えている。
夫の発する日本語はいつまでも「外来語」なのだ。

はたと、これは失礼な話ではないか、と、思った(ごめんね、夫)。
が、まぁしょうがないわな、とも思う(ごめんなさい、夫)。


つまり、わたしの放つFワードも、そういう感じで聞こえているのだろう。
ある意味、ラッキー。
でも、気をつけなくちゃ、とは思う。




3週間程前か。
某生徒にから差別的な言葉をかけられた。
厳密にはその言葉は直接わたしの耳に届けられたものではなかった。後から聞かされた。
でも、直接に聞こえたとしても意味がわからなかったと思う。わたしにとってはこれまで一度も聞いたことのない言葉だったから。


このことで、わたしの上司は憤り、これは許されることではない、すぐに対処する、と言って、実際、彼女はすぐに行動を起こした。
同僚は、Like mother, like son.と言っていた。某ストアで働く彼の母親を知っているらしい。


その夜、夫にこの言葉について聞いてみた。
純粋に、どういう意味なのか知りたかったのだ。自分で調べる前に、まず彼に訊いた。

夫は、深く息を吐いて、落ち着いた調子でその意味を教えてくれた。
想像通り、意味はあってないようなもので、いわば、アジア人を差別的に表した単語だった。
わたしからすれば、カタカナに聞こえる言葉。そこに意味はなかった。
でも、もちろん、その言葉に込められた「意味」はある。


後になって、語源?由来?となるものを調べた。
元々の由来には諸説あってはっきりはしないらしいが、差別的な呼称であることは明確だった。


あの生徒はどういう気持ちでその言葉を発したのだろう、と、今になって思う。
わたしがFワードをふざけて使うように、深い思い入れはないのかもしれない。
でも、相手がわたしでなかったら使っていない言葉ではある。

親から引き継いだのよ。
そう言った同僚の言葉を思い出す。

彼ら自身、有色人種としての差別を長い間(今もなお)受けている。














#日記

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出前一丁

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06/10/2022









Road tripの途中、従姉妹のところに寄ることになった。
少し回り道になるが、せっかく近くまで行くのだから、と、夫が提案してくれた。


2日前、彼女に連絡してみた。
以前もらったLINEにメッセージを送ったが(2つもアカウントがあった)届いていないようだったので、textしてみた。クリスマスカードに「新しいiPhoneの電話番号です」と書かれていたのを思い出したのだ。

間もなく返事が来たので早速電話に切り替えた(textを打つのが面倒で)。

Yちゃんと話すのは何年ぶりだろう。
Yちゃん、と呼んでいるが、彼女は73歳。わたしの兄貴と1つ違いだ。


相川らずのYちゃん節だった。
彼女はいつもAオバ(Yちゃんのお母さん=わたしの叔母)とわたしの母の思い出話をする。
Jオバ(わたしの母)には本当にお世話になって、そのことを忘れたことがない、前にJオバに会った時、母ちゃんにそっくりで本当に驚いた、云々。
Aオバはとても豪快な人だった。幼い頃、わたしはAオバのことを怖れていた。声が大きいし、小さな子にも容赦なくはっきりと物事を言う人だった。不思議の国のアリスの「赤の女王」のイメージ。


わたしと弟がまだ幼い頃、1週間くらいAオバのところで過ごした。
その時、父は入院していて、母はその付き添いで病院に寝泊まりしていた。
Aオバは一人暮らしだった(Yちゃんはもう結婚し既に米国で暮らしていた)。

Aオバは尾崎紀世彦が大好きだった。TVで彼が歌っているのを見ながら、「キヨヒコは素晴らしい!」と言っていた。キヨヒコと尾崎紀世彦がわたしの中で繋がったのは、後になってからだ。Aオバは彼の歌唱力をかなり評価していた。ジュリィ(沢田研二)のことも気に入っていた。とてもハイカラなおばさんだった。

窓の枠に桜島の灰が積もっているのが室内から見てとれた。Aオバは掃除しても追いつかない、というようなことを言って怒っていたが(少なくとも、そう見えた)、わたしと弟はそれがとても珍しくてじっと見入ってしまった。島では見られない光景、火山灰との暮らし。


Aオバと一緒に銭湯(温泉銭湯)に行った。
銭湯に行くのはとても楽しかった。はしゃぎながら歩いたことをよく覚えている。Aオバの家にもお風呂はあった。でもAオバは銭湯に連れて行ってくれた。3回くらいは連れてってもらったような気がする。わたしたちを喜ばせるために連れて行ってくれたのだと思う。

Aオバは母と姉妹なだけあって、顔が少し似ていた。でも、母とは違うパワーの持ち主だった。わたしたちはビビりながらAオバのところにいた。それでも弟はかなり小さかったので、屈託なく、色んなことを「おねだり」した。

弟のおねだりのひとつに、「出前一丁が食べたい」というのがあった。
CMで見て、その歌を歌いながら、弟はAオバにおねだりしたのだ。
その頃、島には民放が入ってなくて(つまりNHKのみという時代)、TVのCMを見るのはとても興味深く楽しいものだった。その中でも、♪出前、一丁〜〜〜♪という哀愁を帯びたあのメロディと歌声、わたしたちはそれを真似てよく歌った。そして、弟がついに「おねだり」したのだ。

Aオバは、あんなものが食べたいのねーと、笑いながら言い、それを買ってきてくれた。
ほら、出前一丁、作るよ!
Aオバさんが台所でラーメンを作っているのを、ワクワクしながら待った。とうとう、あの、出前一丁が食べられるのね!そう思った。


しかし。

食卓に出されたそのインスタントラーメンは、汁気が殆どなく、CMで見たあの美味しそうなものとは全くの別物だった。
一口食べて、え、、、、と思う。
しょっぱい、、、、、

見ると弟も苦戦しているようだった。

Aオバさんは、さぁ食べなさい、と言った。
わたしたちは黙々とそれを口に入れた。でも、なかなか飲み込めない。
Aオバさんは、これ食べたいっち言ったでしょう、食べなさい、と言った。
わかってるよ、でも、食べられないんだよ、、、、泣きそうになった。
弟は、麺を持ち上げては戻し、を繰り返している。そしてわたしをちらりと見たので、「食べなさい」という視線で答えた。そういうわたしも、なかなか箸が進まなかった。


結局、わたしたちは食べきれなかった。
Aオバさんは一体何食分を作ったのだろう。鍋にもかなりの量が残っていた。

その後、どうなったのか、覚えていない(!)
覚えているのは、なんとかして食べようと努力したこと、Aオバに怒られたこと、最後に弟が泣いたこと、それくらいか。


Aオバは亡くなるまでの数年間を病院で過ごした。
わたしは何度かお見舞いに行った。
身体は小さくなって、腰は曲がったまま硬くなっていた。
それでもAオバさんの眼光は鋭く、時々、ギクッとするようなことを言った。それらは、普通の人達にとってははばかって言いにくいような事柄だ。すごいな、Aオバさんはいつまでも変わらないな、、、!と、おそれおののき、感心した。


Yちゃんと話していて、Aオバの気配を少し感じた。
「mちゃん、わたしらはもう日本人じゃないの、アメリカ人なのよー」

Yちゃんの中の「覚悟」のような強さは、Aオバから引き継いだものなのだと思う。
わたしは母から何を受け取ったのだろう。


Yちゃんと会うのが本当に楽しみだ。










#日記

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