05/16/2020 今朝(というか、たぶん昨夜)届いてた姪っ子るぅちゃんからの動画。 今日は朝から補習校関係で忙しくて、夕方になってやっとゆっくり開けて見られた。 涙、涙、涙。 感涙の、涙。ね。 是非、ご覧あれ。 こちらです。→Spitz 横浜サンセット わたし、最初の最初から、曲が流れるその度に、あぁ〜〜〜〜ん と、胸を押さえて感動に浸っていました。
05/15/2020 一昨日の晩、いつものようにベッドに入って本を読み始めた。少し前から読んでいる「永遠の出口」も後半に入って、最初の章で小5だった主人公は15歳だ。 この章では、家族旅行のことが書かれていて、思春期で色々あった主人公も渋々と旅行に行くことになった、というのから始まる。 ここで詳細は省くが、読み進めている途中、内容とは関係のないところで えーーーーーっ と、その一文に見入ってしまった。 「馬を水飲み場に連れて行くことはできても、むりやり水を飲ませることはできないからさ」 ここで繋がるのかーーーー!!! と、わたしは大興奮。おかげでその晩は眠くならずに結構、読み進んだ(ちょうど昨夜は停電で全然読めなかったからプラマイゼロってやつ)。 何を言っているかというと、これ、「馬の話でもしようか」である。 どうやらわたしも清水ミッちゃんと同じで、忘れてしまっていたのだなーと思う。 この本読んだことあったのに覚えていないし、この箇所もちっとも残ってなかったし。それにミッちゃんの記事読んでもその言葉を思い出さなかった。たぶん水飲み場にも行った筈なのに???でも、 そうか、こういう時に使うのか!! と、妙に納得した。結構、シリアスな感じでしか使いにくいのかもなぁ。 ああ、ミッちゃんにも教えてあげたい、この本。
05/15/2020 昨夜は酷い嵐だった。夕方から州の南のほうに嵐警報、雹警報(?)が出ていて。こちらは逸れるものと思っていたらその余波が通過したのかもしれない。結構な嵐だった。そして、20時頃から停電。久しぶりにすぐには回復しない停電だった。わたしはシャワーの後で、まだ髪を乾かしていなかったのでタオルでぐるぐる巻きにしてやり過ごす。もっと早くにシャワーしておけば良かった、、、としきりに思う。でも、その前に夫の髪を切ったのだが(例のバリカンで)、切ってる最中に停電しなくて良かった!と思う。そんなことになってたら・・・想像するだけで笑える。 そういうワケで、昨夜は早々にベッドに入ったのだが、灯がないので本を読むことも出来なかった。本を読んでいるうちに睡魔に襲われ、さっさと灯を消して寝る、というのがいつものパターン。なので、目をつむりながら色々考えた。その時ふと、停電と断水、どっちが辛いだろう?という疑問がわき、夏の暑い時期のエアコンなしとかは辛い!犬たちも心配だ、、、とか思う。が、やっぱり断水の方が辛い!筈だ!と、結論。もう何年も断水を経験していないけど、昔、テキサスに住んでいた頃は時々あった。あそこは雨が極端に少なくなる時季があって、時間制限の断水とかがたまに行われた。それから、芝への水撒き禁止とか(庭にスプリンクラーが設置されていて時間セットで水撒き出来た)、飲水には困らなかったけど、それでも辛かった、あの、乾燥し切ったカラカラな感じ。 島でも昔は時々断水があった。こっちはもっと深刻だった。飲水を確保しておかなきゃならなかった記憶がある。断水が施行される前、母が青いバケツに水を汲んでいたのもおぼろげに覚えている。 今は断水とか、もうないのかもしれないけど。あったら、やっぱり相当辛いのではないかな、、、と想像。 しているうちに眠ってしまったらしい。 それから夜中に目が覚めたらもう電気はついていて、夫はTVをつけながらラップトップを見ていた。わたしは眩しくて目をパチパチさせてたけど、キッチンへ行き、予約していた珈琲マシーンの時間設定をし直してから、またよろよろとベッドへ戻っていって、寝た。 おかげで、今朝も美味しい珈琲をいただいてます(断水してたら珈琲も飲めないな)。
05/13/2020 レストランやダイナー、ファーストフード店での店内飲食が出来なくなってどれくらい経つのか、もう思い出せないくらいなのだが、それらの店は閉店したわけではなく、ドライブスルーやテイクアウト、curbside pick up(オンラインでオーダーしたものをお店でピックアップ=お店の人が車まで届けてくれるサービス)、no contact delivery(配達員が自宅まで届けてくれるが、直接的な受け渡しはなく、玄関に品物を置いて行くサービス)などで、細々と営業している。 日曜日、うちに訪問客が来た。 ドアベルが鳴ったのは久しぶりのことで(最近はアマゾンやUPSなどの宅配便もドアベルは鳴らさず、品物だけを置いて行くのだ)、わたしは飛び上がるほど驚き、犬たちは大騒ぎ。見ると(玄関のドアの一部はステンドグラスのようになっている)、誰かが立っている姿が。でも、宅配員ではなさそう??? 夫は「誰?」とわたしに目配せするのだが、知る由もない。そんな中、騒ぐ犬たちをベッドルームへ誘導するのに時間がかかってしまった。それでもドアの人影は消えない。ファイルに綴じたノートのようなものとペンを持っていたのが見えたので、何か理由があっての訪問なのだろうと思う。だが、ちょっと待て、、、、とりあえずマスクをしよう、マスクマスク・・・と、てんやわんやの末にようやくドアを開けたその時、、、、! その訪問客は、警官に呼び止められていた。(そう言えば、PC部屋の窓から覗いた時、Police carがうちの前を通り過ぎるところだったのだが、うちの前で停まったのだと後になって思う。) わたしは手でマスクを当てたまま、ふたりの様子を呆けたように見ていたのだが、ちらりと聞こえたのは You can't contact door to door like that. みたいなことを警官が言っていた。No sale, no surveys, nothing.みたいなことも聞こえた。彼(まだ若いー20代?)は、I just wanted ....と言いかけたが、そこで、なんだかその場にいてはいけないような気がしてそっとドアを閉めた。 思うに、彼はうちの近所をあんな風に訪問していたのだと思う。それで誰かが通報したのだと思う。他の人たちはドアを開けたのだろうか???開けてはいないかもしれない。考えてみたら、ドアを開けずに無視しててもよかったのかも?でも、そんな発想がなかった。翌日、職場でこのことを話すと、「わたしなら絶対に開けない!」と同僚たちは言っていた。そうか。そうなのか。危機感が低かったか?でも、一応マスクをしたけどね。 あ、そう言えば、訪問客の彼はマスクをしていなかった。 てか、警官もマスクしてなかったぞ。 でも、ふたりは6フィートを保った距離で話していた、うちの玄関の前で。 で、しばらくしたらふたりとも、いなくなっていた。 警告だけで逮捕されてはいないと思うけど。。。 なんだかあの若い彼のことを気の毒に感じた。
05/11/2020 PC部屋の窓から見える外がだいぶん明るくなってきた。 起きてすぐ犬たちを庭へ出した時はまだ真っ暗だった。 時々、小鳥たちのさえずりが聞こえる。外気温45°F、体感39°F(3.8℃)、曇天。今日は50°F(10℃)までしか気温は上がらないらしい。天気も良くないから尚、肌寒く感じる。5月だというのに。 春はあけぼの。 春は明け方よねぇ〜!ってやつ。 でも今朝はちょっと違うな。 補習校開始が1ヶ月以上遅れて、第3週目(5/23)に「春はあけぼの」を扱う。時すでに「夏は夜」にさしかかっている頃かもしれないけど。 そう言えば昨日の午後、犬たちとの散歩で、ちょっと晴れ間が出た時に(昨日も天気は良い方ではなく、気温も低かった)、Cが木蔭やフェンスの影の部分を好んで歩いているのを見て、夏休みの散歩は早朝が良いかもね、という話になった。太陽が出ると一気に気温が上がるし、黒い部分の多いCは熱を吸収するから。Bも全身こげ茶色だし。 朝早いうちと、夕方かなぁ・・・いや、夕方は虫がいるから夜のほうが良いかもね。それで、夏は夜!と、言ったのだった(意味が違うけど)。 あと3週間で、夏休み。
05/09/2020 清水みっちゃんが好きで、ときどき読んでいる彼女のブログ。 くすり、と笑えるのが良い。 今日、「感謝する気」という記事のなかに「はげまし」とひらがなで書かれていたのだが、それを「はげ、マシ」と(心の中で)読んだ。 読んだ直後に、いや違う、励ましだ、と思う。でもなぜか「はげ、マシ」のほうが定着してしまって、なんの話だったっけか、と読み返す始末。 はげ=うちの島の言葉。感嘆詞。 マシ=まし(他と比べて少しは優っていること・さま)。名詞・形容動詞。 そのせいかどうか、前日の記事「馬の話でもしようか」のほうが、はげ〜マシ!
05/09/2020 少し前から、森絵都の「永遠の出口」を読んでいる。これもMy本棚からのもの。タイトルからして、おっ読んだことない!と確信。 も、第2章(というのか?)で「トリ」が「冬眠する」と言ったときに、あ、、、聞いたことある、、、、と、思う。どこで?ドラマ?何?まさか読んだのか?前に?いやいやそんな筈はない、と自問自答。実際、「黒魔女」のことはまったく記憶になかったし。 でも、次の章に進んですぐ、あ、、、これ読んだわ、、、と思い出した。読んだことは思い出したけれど、でも内容は思い出せない。読み進めるごとに読んだ読んだ、と思うだけで、だからと言って次に何が起こるのかは全然思い出せない。なんだろ、これ?悪い内容じゃない。非常に共感できる内容だ。それにところどころの表現が胸に残る。それなのに、このお話を覚えていないというのは、、、、やっぱりこれは老化現象なのだろうか??? 今日はお初!のZoom meetingを使ったホームルームだった。 久しぶりに生徒たちの顔を見て、こどもの持つ純粋なエネルギーに照らされた。すごいな、こどものパワーって。自分はこども好きではないと思うし、そう公言しているけれど、それは単にこどもの持つ何かが自分みたいな人間には眩しすぎるからなのかもしれない、と、あらためて思う。
05/07/2020 今朝の、職場へ向かういつもの道すがら・・・・ また、いた! 今朝の彼は真っ黒ないでたち。 黒のドレスシャツに黒のパンツ、ベルトも黒、靴も黒、そして、黒いハット! しかも今朝ははっきりとわかった。 彼は踊っていた。 あの朝と同じように足を開いて立っていて、腰をくねくね、指を鳴らしながら。 そしてわたしと目が合うと、ピース!をした。 わたしは大きく笑いながら手を振った。あーでも、ピースにすれば良かった。 そして、 やっぱり踊ってたんだーーーーーと、つい大きな声でひとりごと。 彼はああやって通りを行き交う車の人たちに、ダンスをしながらエールを送っている。 のだと、思う。きっと、そう。 だって、ピースだよ、ピース! 久しぶりに見たよ。
05/06/2020 一般的にアメリカの家には前庭と裏庭とがあって、小さな子どものいる家庭にはすべり台とブランコが一体型になった遊具が裏庭(バックヤード)に設置されていたりする。公園に設置されているものよりは小さめではあるが、おもちゃのようなものではなく、本格的な遊具。ブランコ、滑り台だけでなく、上り棒(?)とか吊り革(?)みたいなものが一緒になっていたり、ちょっとしたハンドクライミングみたいなものが付いてたりするものもある。色んなタイプがあるが、大体はまぁこんな感じ 昔、義妹夫婦の家にも設置された。その時うちの娘はもう8歳とかだったので、彼女より年下のいとこ達とその遊具で遊ぶにはちょっと大き過ぎて、それを羨ましがることもなかったのだが、わたしたち夫婦にとってはbackyardにあんなデカイもの取り付けて、後からどうすんのよ?という感じだったのを覚えている。(結果的に子ども達が大きくなる前にその家を売って引越し先で家を買い換えたのだが、売れたとき買主に「遊具を取り外す」という条件を付けられたので、義弟はあくせくとあの遊具を撤去したのだそう。) 娘は遊具こそ欲しがらなかったが、トランポリンを熱望した。親にその気がないのを見てわかったのか、グランパやグランマ、果てはサンタさんにお願いしていたっけ。結局、我が家のbackyardにトランポリンが設置されることはなく、彼女は友達の家に行って遊んでいた。 トランポリンは、実はわたし自身も欲しいな・・という気持ちはあったのだが、やはりあの大きさのものを庭に設置して、いよいよ不要になっちゃったね、って時にどうするよ?というので、購入しなかった。その後、わたしたちもその家を売って引っ越し(しかも日本に)することになったので、あー買わなくて良かった〜と思ったものだ。 が、今のご時世。このBackyard Playsetやトランポリンのある家というのは、ホント、子どもたちにとって(逆に親にとって)救いだろうなぁーと思う。 公園も閉鎖になってどれくらい経つだろう。子どもは外で思い切り体を動かさないといけない生きものだから、ただ庭に放って「さぁ遊べ!」と言うわけにもいかない。というか、時間が持たない。だからトランポリンとか遊具があるとまだ良い。それに、お友達を呼んで一緒に遊ぶわけにもいかないから、それこそ各家屋に1つは欲しい!状態。 以前、犬たちと散歩していて、その辺りは大きな家ばかりでbackyardにそれぞれplay houseやplay setが置かれているのを見て、こん人がたは公園に連れて行くのも億劫なんかいな、、、と思ったものだが、今回、そういう家はラッキー。 ここ数年、断捨離とかとかミニマリストとか良く耳にするが、アメ人には無理だろうなぁ・・・と思っていた。「我が道を行く」のがアメ人。 でも今回の長い長い外出制限の暮らしでは、アメ人の余計なものも入手する(もちろん、余計なものだという感覚はないのだが)というライフスタイルは吉と出たような?そんな気がして、世の中うまいこと行ってるのかもしらんなぁーと思ったり(そうか?)
05/05/2020 何かの会合に参加している。 男性も女性もスーツとまではいかないが、Yシャツだったり白いシャツに紺色やグレーのパンツだったりボックススカートだったり、お役所関係みたいな感じ。 その中にYがいた。 Yは沢山の書類を抱えていて、どこか別の部屋へ移動するところだった。 急いでいたようで、持っていた荷物が落ちそうになったので、慌てて近付いて手伝おうとしたら、 あーサンキュー!またね!! と言って、バタバタと行ってしまった。 Yが座っていたテーブルにはノートや本が残されていて、あれ?これはYのだろうか?と思って眺めていると、方眼ノート1面に大きく、二重になった四角が書かれていた。 算数?と思いながら手に取ってパラパラとページをめくると、上に細い四角とその下に大きな四角とか、左と右にそれぞれ違う形の四角とかが書かれていた。 ふと、いやこれは算数じゃないな、、、と思う。 漢字?漢字の形か?部首とか、そういうもの?違うか??? と、そこへYが戻ってきて、 やーだー、見た?見たよね? と言って、ニヤリと笑った。 あ、ごめん、見ちゃった。と言うと、mもこれやってる?いいよね、この方法!と笑顔で言う。 あーうん、良いかも。 やってもない(というか何のことやらわからない)くせに、そんなことを答える自分。 Yは、1年生だとちょっと難しいとは思うんだけど、視覚的に有効ではある!と、思う! と、明るく、ものすごく聡明に自信のある表情で笑うので、わたしは相変わらずYは頼もしいなぁ、、、、と感心してしまった。 そして、彼女の後ろ姿を見ながら、ああ、Yはこんな歳になってもチャレンジングだなぁ、すごいなぁ、、、さすがだなぁ〜 と、心の中で彼女のことを絶賛した。 ・・・ Yは小学校の時のクラスメイト。確か5年か6年の頃に転校してきた。ピアノの上手な子で、ちょっとふくよかだったけれど、目がくりっとしていてものすごい美人さんだった。頭も良くて、皆から一目置かれるような存在。住んでいるところが遠かったのでそんなに親しかった訳ではないが、下の名前で呼び合うくらいには仲良かった。ピアノの、というか、音楽の教員になったと聞いた気がするが、なぜにこんな夢を見たのか??? Yはよく、皆にせがまれて「エリーゼのために」とかを体を揺らせながら弾いてくれた。そういうYの姿を見て、初めてゲイジュツというものを感じたわたし。 ・・・ 今朝、Yではなく、超〜〜〜久しぶりにMからラインが届いた。 「世界中が大変なことになってるけど、そちらはどんな感じ?」って。 それから、「お互いに生き抜こう〜」って。 Mは島の幼馴染。こちらは片平なぎさ似の美人。酒豪。 よって、 「うん!生き抜いて一緒に美味しいお酒を飲もう!」と返信。 YとM、不思議なつながり。