〝みんな死んじまえ〟~寺山修司とネフローゼ~
Oct
31
神奈川近代文学館の寺山修司展へ。
高校の同級生と、最高に楽しい時間でした。
詩や実験映画の話は別の機会に、
「ゆうこ新聞的寺山修司さん」を書こうと思います。
人の5倍も10倍もの熱量で時代を駆け抜けた感のある
寺山さんは、早稲田大学に入学してまもない1955年(19歳?)
に腎臓の難病、ネフローゼを発症しました。
入院生活は(転院なども含め)3年間にもおよび
「生活保護を受けながら、治療(1956年の記録)」
など、辛い日々を送った寺山さん。
当時の治療や入院生活は、現代と比較にならない
未来の見えないもので、彼が孤独で死を意識していたことが
伝わる言葉が(展示室に)残されていました。
中でも、朱色の大きな文字で「ばら色の人生」と書かれた
「遺書Vol.1」。
そこに、小さな文字で添えるような
〝みんな死んじまえ〟。
病気の症状があまりにもつらい時、同じようなことを
考えていた私には、とても身近に感じました。
ひとは、感謝や誰かの役に立ちたいなって思う以前に、
こっちの道を通りませんか(笑)
少なくとも、私は長い時間、地獄の階段で体育座りを
していたし、今だって時々そこに戻って
〝なにか〟を確認していることがあります(笑)
話がそれてしまいそうなので、
展示物の中でもうひとつ、印象的だったもので締めたいと
思います(※内容がちょっと違うところがあるかも)
いま、このハガキをそのまま誰かに出したいと
思っているひとがいるかもしれないな~って思って。
~1955年11月に寺山修司さんが編集者の中井英夫さんに
宛てたハガキより~
僕、参っちゃった。癒らないんです。
まだ入院時とおんなじで、むくんで、
とてもとても 絶対安静のまんま
くやし涙の滝。