「笑う角(門)に福来る」

東海道の難所・箱根山の旧跡。今では正月恒例の大学駅伝の折り返し地点近くに位置する。画像1。
しばらくまえの東京・歌舞伎座前。画像2.
門松つくりの途中。画像3.
以前は、玄関の軒先には「ほぞ穴」があり提灯やしめ飾りを吊るせるようにしていた。画像4。


お正月の三が日も過ぎ、おとそ気分も一段落(一寸古いか?)!!
ブログルサーフィンをしてたら“同感”と思う投稿がめにはいった。
皆さんが首を傾げておられるように、僕自身も感じるところ大。
慣わし・伝統って長い年月を以って、完成されたもの。
お正月は日本古来からの「神様‥仏様」、伝統的神仏混淆催事の典型!?!
伝統・文化なのに余りにも形骸化され味も素っ気もなくなった様に映る?
暮れに松材を使わず樫の木を用い、継承してる箱根の門松を知った(画像1)。
日本各地に、様々な形態の「門松」があるらしい。
一般的な松飾りにしても使われ方が、実に煩雑に‥・・!
門松を門前に飾る家もすくなくなった。
子供の頃「お正月は、神様が地上におりてくる日。目印に門松を置く」と教わった。
松竹梅が慶事に用いられるようになったのが室町時代。
「門松」に松と竹が使われるのは、「松は千歳を契り、竹は万代を契る」によるとか。
依代(よりしろ=神の宿る場所)が永遠に続く事を願ってのことらしい。
子供の頃、庭師(植木屋さん)のおじいさんが、門松の竹を斜めに切るのは新しいやり方。
武家の門前には竹先を平にした、寸胴と呼ばれる形があってそれのほうが古い形(画像2)。
今作っているのは、「そぎ」と云う形だょ(画像3)と教えてもらった事を鮮明に覚えている。
“竹の先を切る時が難しいんだ。節のところを切って「笑口」にする”(画像3)。
だから「笑う角(門)には福来る」といわれるんだ、とも。
裏木戸には、枝振りのいい若松に、水引を蝶結びにして飾りつけ、輪飾りを添えた。
時代とともに環境の変化で簡略されるのはわかる。
が、使い方はやはり伝統的用い方に則り、子どもたちには伝えたい。
これが伝承・伝統ってものだろう、と思う。

「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」徒然草にもあるように。
こんなことも伝えたい歳になった。

個人のお宅でも軒にこんな飾り付けをしていた。
氏子に神社が配っていた。そんな風習全く見られなくなった(画像4)。
何とか・・・残したいものだ。
おせち料理は、母親・女性軍の腕の見せ所。
母から娘に伝えるものだったが。。。!?!
時代と共に変化してほしくない。




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